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三井寿と適切な距離を保って生きていきたかった

スポーツ漫画の金字塔、『SLAM DUNK』の一気読みをしている。
2023年2月現在にこれをやっている、ということでお察しの通り、きっかけは現在公開中の『THE FIRST SLAM DUNK』を観たことだ。世代的にど真ん中をやや外れていることもあり、今まで全く触れたことのない漫画作品だったのだが、Twitterのフォロワーの声に背中を押されて観に行った(フォロワーの皆さんのお陰で面白い映画を見逃さずに済んでいる、本当にいつもありがとう)。

で、これがよかった。ぜひ原作も読みたくなったので、大人買いした。そして今に至る。
映画の感想も漫画の感想も言い尽くされているだろうから、それについて語ることはない。いや、語りたいけれども、この記事で言うべきことは他にある。それがタイトルの、

「三井寿と適切な距離を保って生きていきたい」

という話である。

ここからしばらく、いちおたくとしての私の自分語りにお付き合いいただきたい。
私は割と何かしら作品を読む前に下調べをするのが好きなたちだ。ネタバレはあまり気にしないほうなので、どんなキャラクターたちがいて、彼らの人柄がどうで、ざっくりどういった人間関係があるのか、ということをなんとなくかつ満遍なくリサーチする方だ。その上で(おたくとしての自分の好みはウン十年で理解しているので)、あ、こいつは好きそうだな、なんてのを予想した上で本編に臨む。この一連の作業を「準備運動してから助走をつけて沼にダイブする」と勝手に呼んでいるがそれはまあ、どうでもいい。
そもそも今回はまず映画を観たので、あー流川楓くん好きだなあ、ということがよくわかった。私はとりもなおさずわかりやすく面食いでミーハーだからだ。そしてそれは予想の通りだった(流川楓くんは本当にかわいいね)。

で、問題は三井寿なんである。

例の「バスケがしたいです」のシーンがあまりにも有名だから、流石に存在くらいはなんとなく認識していた。でもだからって、実際読んでみたらあんな、勝手に脚壊して、勝手にグレて、勝手に殴り込んできて、勝手にボコられて、勝手に泣いて、勝手に改心して、勝手に帰ってくる、強いていうなら桜木軍団の株をストップ高にした上で流川楓くんの流血シーンを提供してくれた(これについては本当にありがとう)だけの、しょうもなくて情けない奴だと誰が思うだろうか。

で、そんなしょうもなくて情けない奴がである。
かっこいいのだ。
いざバスケの試合となるととんでもなくかっこいいのだ。

ここで再び自分語りをすることをお許しいただきたい。
そもそも私は崇高で美しいものを崇め奉り、またそれに圧倒されていたいのだ。この文脈では主に流川楓くんのことを指す。恵まれた者の、しかしそれを顧みることのない傲慢さ。そういうものを浴びて恍惚としていたい、そういうおたくなのである。

だから、死角から殴られた、という他はない。

……負けたくない。三井寿に負けたくない。あんな奴にうっかりやられちゃうの、なんか自分の格に関わる気がする。推しとか言いたくない。
何をもって勝敗とするのか、とか、そもそも格ってなんやねんそんなもん手前にあったのかとか、適切な距離って何?とか、その辺りは一切不明ながら、私はそんなことを考えていた(し、大体Twitterで言った)。とにかく、精神世界のこれ以上深いところに三井寿を立ち入らせてはいけない。私の中で何者かがそう警鐘を鳴らしていたことは確かだ。

三井寿は不思議な奴だ、と思う。
人間なんて実のところ、自分のせいでしかないことを他人のせいにしてみたり、人から見たらどうでもいいような理由で深く傷ついてしまったり、悲劇のヒロインを気取ってみたり、できもしないと知っていることに挑んで返り討ちにあってみたり、それでやっぱり傷ついてみたり、昨日と今日で言うことが変わってしまったり、するものだ。大人の私だって毎日そんな感じだし、況や高校生をや、である。
フィクションの登場人物はふつう、それをしない。少なくとも花道くんや流川楓くんは、やらない。もしかしたら、赤木に「息苦しい」と言って顔も出さぬままにコマの隙間に消えていった湘北生たちはそうだったのかもしれないけれど。
でも三井寿はそれをやるのだ。うまい喩えかどうかよくわからないけれど、
「スーパーの弁当売り場で弁当をカゴに入れた次の瞬間店員さんが什器に残った弁当に半額シールを貼りに来て、あ、なんか損したな、と思ってる間に『そちらにもお貼りしますね』とにこやかにシールを貼られるまでの数秒間のあの気まずさと恥ずかしさ」みたいな、そういうものを、三井寿はきっと感じるのだ。やっぱりあんまりうまい喩えじゃなかったけど、まあとにかく、そういう地に足のついたというか、いやに生々しい人間の小ささとか弱さが、三井寿には、ある。

でも、だ。それでも三井寿は、週刊少年ジャンプを背負う人気漫画のメインキャラクターなのだ。だから試合中はすこぶるかっこいい。というか、スラムダンクにかっこよくない奴なんか一人もいない(なんでこんな漫画が描けるのか、本当に凄まじいことだと思う)。

そんなのは卑怯でしょう。

これを、最早古語になってしまった「ギャップ萌え」の一言で片付けるのはとても容易いし、もしかしたら実際それだけのことなのかもしれない。けれど、私のここ数日の葛藤をちゃんと言葉にしておかないといけない気がしたので、ここにしたためるものである。
私は先に「死角から殴られた」などと書いたが、20年以上も前に紙面に現れた架空の人格が殴ってくることなどありえないのだ。私が勝手に壁にぶつかって、お前が殴ったのだろうと因縁をつけているに過ぎない。とんだ当たり屋だし、そんな当たり屋のおたくの方が、三井寿よりよっぽどどうしようもなくて情けない。いやどうかな、私は人の顔にモップをエイッてしたことは(まだ)ないから、やっぱりトントンくらいにしてもらいたい。

何を以て負けと言うのかわからない勝負を一方的に挑んで吠えていたわけだけれど、振り返ればある一人のキャラクターに対してここまでまとまった量の文章を書いたことなどなかった気がする。その時点で、きっと私の負けなのだ。
三井寿は諦めの悪い男だが、私は諦めの早いおたくだ。そして、それを自分の美点のひとつだとも思っている。
だから素直に白旗をあげて、この記事のタイトルは過去形にしておいた。

三井寿、推しです。


お小遣いください。アイス買います。