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巨大な狸の信楽焼が部屋の中にある

というのは単なる例えで、別に私室にそんなものはない。
今回しようとしているのはある臓器の話。すなわち、子宮の話である。

何度か言及しているように、私は対象をとった恋愛感情や性愛感情を抱くことが(ほとんど)ない。そのうえ、自分が男だとも女だとも思っていない(し、本質的には男/女という区分の仕方は大きな誤りだと思っているのだが、この話はまた別の機会に)。
それに伴うものだと思うが、結婚したいとか、子供を持ちたいとか、そういったことを考えたことがない(思うが、と留保しているのは、恋愛や性愛に関心がなくとも家族をもつことに関心のある人は存在するからだ)。そういうものは私にとってはまったく別世界のできごとだ。人間社会が再生産を前提に回っているということを頭で理解してはいるものの、それについて当事者意識を持ったことが一度もない。結婚や出産といったイベントは誰しもが通るライフステージの一ではなくオプションだと思っているし、前のnoteで述べたとおり、たとえば鉄道模型のような、一部の愛好者にとってのみの関心事であると考えている。

なので子宮というものが邪魔で仕方ない。
ご存知の通り、健康体のメスにはかならず月経というものが月イチほどのペースで訪れる。これが鬱陶しい。
かといって、よく言われるように月経痛がつらいとか、あるいはメスであることを思い知らされるのが心理的に負担とか、そういう話でもない。たしかにそういった辛さが皆無ではないのだが、全く動けなくなるほどひどい月経痛に見舞われることはほとんどない。経血の処理はたしかに面倒ではあるが、それを理由として子宮を取り出しちまいたい、思うほどの煩雑さではない。

ではなにが私にそう思わしめるのかというと、表題のようなことだ。私にとって子宮とは、部屋に置かれたばかでかい狸の信楽焼きのようなものなのである。
これだけでは多分どういうことかわからないと思うので説明してみよう。想像してほしい。あなたの部屋に、巨大な狸の信楽焼が設置してあるとする。それはあなたの趣味で選んだものではなくて、いつのまにか誰かの手によって運び込まれたものだ。その信楽焼は確かに邪魔っけなのだが、住まいの動線を妨害する場所に置いてあるではないし、生活を脅かすようなことをするでもない。だが移動させるには重すぎるし、破壊するには硬すぎ、またどうしてかドアのサイズよりも大きいので運び出すこともできそうにない。なので、あなたは仕方なくそれを部屋に放置する。
私ならその信楽焼を見て思う。これを置くスペースがあるなら、代わりに推しの祭壇の一つでも作りたいなあ、と。

うーん伝わるかなあ。とにかくそういうわけで、子宮がいらない。と言うと大概、「子供が欲しくてもできない人もいるんですよ!」だとか、「泣く泣く子宮を摘出した人もいるのに!」だとかいう意見が飛んでくる。しかし申し訳ないが、よそはよそ/うちはうちなのでそんなんは知ったこっちゃないし、できるのなら取り出した子宮をそういう方々に差し上げたいくらいだ。

ちなみに米国では予防医療の一環として、内性器を取り出す手術をすることは可能なようだ(アンジェリーナ・ジョリーが実際に卵巣・卵管摘出の手術を受けている)。ただ日本ではその手法はまだ広まっていないようだし、ただいらないというだけで摘出することはできない。あくまで疾病のリスクを回避するための方途の一つであり、たとえば遺伝子検査などで癌リスクが高いと判断された場合にのみ可能だそうだ。また保険適用外なので、費用もばかにならない。難儀である。

と、いう、わがままの話。まあこんなことを考えている人間もいるのです。

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歯塚傷子
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