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ペンは剣よりヒプノシスマイク

ヒプノシスマイクというコンテンツに手を出し始めている。
公式サイト(のdescription…要するに、グーグルで表示される概要文)に「男性声優キャラによるラップバトルプロジェクト」とある通り、男性声優12人がそれぞれキャラクターに声をあててラップ曲を歌ってぶつけ合い、それで勝負を重ねていく…という展開のコンテンツである。そもそもラップでバトルって何だ、ようわからん、という方は申し訳ないがここで脱落である。この辺りを読んで再度お越しいただけるとありがたい。
(余談だが、ここに来る方にはニンジャスレイヤー繋がりの方も少なからずいるであろうことを想定すると…この男性声優陣の中にはダークニンジャに声を当てている速水奨氏もいる)

この「ヒプノシスマイク」の、いわば主題歌がこちらである(もう一つ主題歌に該当しそうな楽曲があるのだが、ここでは関係ないので置いておく)。ちょっと聴いてみていただきたい。

何かおかしなフレーズがないだろうか。
いや、ラップバトルなのでリズムに乗せたり韻を踏んだりしなければならない。よって日常的に使う日本語としては不自然なものも多々あるかもしれない。
だがその点を差し引いても絶対におかしい一文がある。
もう一度聴いてみていただきたい。

「ペンは剣よりヒプノシスマイク」って何だよ。

もしかしたら自分の耳がおかしいのかもしれない。もう一度聴いてみよう。

「ペンは剣よりヒプノシスマイク」って何だよ。

大変残念なお知らせなのだが、聞き間違えというわけではない。だって歌詞にそう書いてあるもん。画面にもそう出てるもん。確実に、絶対に、「ペンは剣よりヒプノシスマイク」と言っているんである。
私も最初は自分の聞き取り能力に難があって、なにかしらの聞き間違えをしているのではないかと思った。だが現実は厳しい。どうしても「ペンは剣よりヒプノシスマイク」なのである。
そうして狼狽している私に先達がリプライをくれた。曰く、
「私も最初わからなかったんですが、先にファンになった先輩方に「ペンは剣よりヒプノシスマイク」なんだよ…と言われました」
要するに、どうやら「ペンは剣よりヒプノシスマイク」を誰も理解していないのだ。

しかしだからといって「ペンは剣よりヒプノシスマイク」についての理解を諦めてしまうことは思考停止に他ならず、知の敗北である。ここはひとつ本気で、「ペンは剣よりヒプノシスマイク」を解そうではないか。

仮説1: 韻を踏むために不可解なフレーズになっている

結論から言ってしまえば、残念ながらこの仮説は誤りである。

確かに、たとえばフリースタイルラップバトルで「ペンは剣よりヒプノシスマイク」が出現したのであればなんとなく譲歩はできる。ギリギリの即興詩を繰り出し続けるのがフリースタイルラップだから、頑張って押韻できるようなフレーズをひねり出したのだな、よく頑張った、くらいの評価はできるかもしれない。
だが、まずこの楽曲はそういった極限状態で作り出されたものではない。ちゃんと作詞して、ちゃんと作曲して、声優陣がちゃんとお稽古して、ちゃんと音源化されたものなのだ。
さらに追い討ちをかけるのが、「とくにめっちゃ韻を踏んでいるわけでもない」という点だ。前後の歌詞を見てみよう。

立ち上がれよGladiator
すっこめ臆病なHater
ペンは剣よりヒプノシスマイク
天下分けるパンチライン
Bang Bang Bang!

”Gladiator”と”Hater”はきちんと後韻を踏んでいる。
だが、「ペンは剣よりヒプノシスマイク」は少なくとも後韻は踏んでいない。
対して前韻のほうはというと、確かに「ペン」と「剣」、さらに「ペンは」と「天下」で踏んでいる。
だからあながち、全く韻を踏んでいないというわけでもない。一応納得はできる。

しかし、できるにしてもだよ。
なんで「ペンは剣よりヒプノシスマイク」とかいうスットコドッコイなフレーズになっちゃったの?他にもやりようがあったんじゃないの?よりによってサビだよ?曲中に3回も出てくるんだよ?

繰り返すがこれは即興で作られたものではない。ちゃんと設計された末の成果物のはずだ。であれば、もう少しきちんと理解の及ぶ文にすることだってできただろうし、事実他の部分はおおむね理解可能な日本語で構成されている。
そこに「ペンは剣よりヒプノシスマイク」である(ここでついに辞書が「ペンは剣よりヒプノシスマイク」を覚えてサジェストしてくるようになってしまった)。
これは「ペンは剣よりヒプノシスマイク」に何らかの明確な意味・意図があると考えるべきだろう。

仮説2: ペン=[剣よりヒプノシスマイク]である

枕草子の書き出しは「春はあけぼの」である。あけぼのとは夜明け頃のことを指すが、もちろん〈春=夜明け頃〉という等式を表しているのではない。「春っていう季節は夜明け頃が一番素敵だよねえ」と言っているのである。つまり、「春はあけぼの」においては「春はあけぼのがいいよねえ」の「がいいよねえ」が省略されていると考えることができる。日本語では文脈によっては文の一部を省略できるのだ。
このあたりは『「ボクハウナギダ」の文法』という本に詳しい。つまり、特になんの文脈もないところで「僕はうなぎだ」と言うと、「えっ、あなた魚だったの」ということになってしまう。だが、たとえば《定食屋でメニューを選んでいる》というシチュエーション下において、Aさんが「僕はサンマの塩焼きにしよう」と言ったあとのBさんのセリフとしてこれが続いた場合はどうか。一般的な日本語話者であれば、こう正しく理解することができよう。すなわち「Aさんがサンマの塩焼きにするのとは違って、僕のほうはうなぎの料理を選ぶよ」ということである。

これを「ペンは剣よりヒプノシスマイク」に適用してみることにしよう。「ペンは剣よりヒプノシスマイク」を[ペン]と[剣よりヒプノシスマイク]の二つのブロックに分解して、前と後ろの関係がどうなっているのか、文脈に照らして何が省略されているのか、を考えてみればよい。
ということで、早速文脈を確認してみよう。再度引用する。

立ち上がれよGladiator
すっこめ臆病なHater
ペンは剣よりヒプノシスマイク
天下分けるパンチライン
Bang Bang Bang!

なかった。文脈もクソもなかった。

「[ペン]は[剣よりヒプノシスマイク]がいいよねえ」…違う。
「[ペン]はAではなくて[剣よりヒプノシスマイク]を選ぶよ」…これも違う。

文脈が不明瞭である以上、省略されているものが何であるかを類推することはできない。何の前後関係もなく突然「ぼくはうなぎだ」と言われているのと同じ状態である。そもそも文の一部を省略できるのはそこに何が省略されているのかが自明である場合のみなのだ(でなければコミュニケーションが成立しなくなってしまう)。
よってこの仮説は誤りということになる。

仮説3: ペン=[剣]より[ヒプノシスマイク]である

仮説2は前提がおかしかった。まず、「ペンは剣よりヒプノシスマイク」は「ペンは剣よりも強し」を踏まえているもののはずだから、「剣よりヒプノシスマイク」をまとめて一つのブロックにしてしまったのがいけなかったのだ。ここは分割しなくてはならない。

「剣よりヒプノシスマイク」を詳しく見てみよう。
「[剣]より[ヒプノシスマイク]」ということは、何らかの点で[ヒプノシスマイク]が[剣]に優っているということだ。そこに前出の「ペンは」を組み合わせると、
〈[剣]と[ヒプノシスマイク]を比較したとき、[ヒプノシスマイク]は[剣]よりも大きい度合いで[ペン]である〉
と換言することができる。

…わからない。
さっぱりわからない。

しかし諦めてはならない。なぜならば我々は[ヒプノシスマイク]の性質についてまだ何も知らないからだ。「ヒプノシスマイク」は作品名であるが、作中に登場するアイテムの名前でもある。さっそくwikipediaを見てみよう。

武力による戦争が根絶され、女性が覇権を握るようになったH歴。男性を完全排除した中王区(ちゅうおうく)と呼ばれる区画で、女性による政が行われるようになった。そこで定められたH法案により、人を殺傷するすべての武器の製造禁止、及び既存の武器の廃棄が命じられた。しかし、争いは無くならない。争いは武力ではなく、人の精神に干渉する「ヒプノシスマイク」にとって代わった。このマイクを通したリリックは、人の交感神経・副交感神経等に作用し、様々な状態にする力を持つ。

なるほど。要約するとヒプノシスマイクとは、「使用者の発した有意味な音声を人の神経系に作用するものに変化させる」アイテムであるようだ。しかしこんな壮大なストーリーだったのか、と驚く向きもあろう。私もびっくりした。

「ペンは剣よりヒプノシスマイク」の本歌であるところの「ペンは剣よりも強し」に立ち戻ってみよう。もともとこの慣用句は比喩である。文字通りペンが剣よりも強いわけではない。ペンと剣をぶつければ剣がよほどなまくらでない限りはペンが折れてしまう。「ペンは剣よりも強し」のときの「ペン」が言いたいところは、ペンそのものではなく、「ペンによって書かれる言葉や言論」である。このような比喩の手法を換喩と呼ぶ(参考:大辞林)。
また同様に、「剣」も文字通りの剣のことではない。ここでは「武力」のことを言っている。
つまり、「ペンは剣よりも強し」とは"言論が人の心に訴える力は武力よりも強く、永続性があり広範囲に及ぶ(大辞林より引用)"ということを示す言葉なのである。

さて、この三つ…すなわち《ヒプノシスマイク=「使用者の発した有意味な音声を人の神経系に作用するものに変化させるアイテム」》・《ペン=「(ペンによって書かれるような)言論」》・《剣=「(剣に象徴されるような)武力」》を先ほど解き明かした〈[剣]と[ヒプノシスマイク]を比較したとき、[ヒプノシスマイク]は[剣]よりも大きい度合いで[ペン]である〉に当てはめるとどうなるか。

〈[武力]と[使用者の発した有意味な音声を人の神経系に作用するものに変化させるアイテム]を比較したとき、[使用者の発した有意味な音声を人の神経系に作用するものに変化させるアイテム]は[武力]よりも大きい度合いで[言論]である〉

おお!

これはだいぶ近づいたのではないだろうか。
たしかに、「武力」と「言論」よりも、「使用者の発した有意味な音声を人の神経系に作用するものに変化させるアイテム」と「言論」のほうが親和性が高そうだ。
「ヒプノシスマイク」と「言論」、どちらも《ことばによって人を動かすもの》という点において共通している。

これは正解なんじゃないのか?

しかし、一つ落とし穴がある。
〈言論と武力なら、言論のほうがよりヒプノシスマイクとの親和性が高い〉ということを言いたいのであれば、「言論」と「武力」、すなわち「ペン」と「剣」を並列にして考えるべきである。「ペンは剣よりヒプノシスマイク」という構文では「は」という助詞の右側にある「剣」と「ヒプノシスマイク」が並列のものとして比較されてしまっている。前述のような意味を持たせたいのなら「ヒプノシスマイクは剣よりペン」あるいは「剣よりペンがヒプノシスマイク」となるはずだ。

…わからなくなってしまった。だから結局、

結論: ペンは剣よりヒプノシスマイク

ペンは剣よりヒプノシスマイクなのである。

おしまい。

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歯塚傷子
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