コスプレと身体と、あとなんか

※twitterのコスプレアカウントに連投したものをコピペしてちょっと編集しただけのものです。備忘録。

面白いと思うのがwikipediaで「男装」と「女装」がそれぞれ独立ページになってる言語って日本語とあと数カ国語しかないし、内容の充実度で言えばその数カ国語と日本語ではかなりの開きがあること(もちろん日本語版が充実している側)。 分けられずにまとめて「異性装」としている言語がほとんどなんですよ。

文明開化以降の諸文化の近代化≒欧米化とともに日本人の身体も近代化されたわけなのだけれど、だからと言って積み重ねられてきた日本の異性装の歴史における身体と我々近代(以降)人との間に絶対的な断絶があるか、と言われればそうではないと思うんですよね。

日本の身体技法は日本人が農耕民族であったことと関わっているんですが、まあそれはとりあえず置いておいて、「装う」ということについてもしかしたら“日本人”は特異的な関わり方をしてきたのかもしれない、という仮説のもと男装優位(?)のコスプレ文化を論じるの絶対楽しいし、先行研究もなくはないので、身体論として「装う」文化について研究するのにはとても興味があります。

先行研究の一がこれなんですが。私はカワイイ文化について論じるためにこれを紐解いたので、原宿系ファッションとかなんかそういうのとの連関も(装っている当人は否定するのが常なのだけれど)指摘できそうだなと。

で、これはまだ未知の領域なんですが、東アジアの自撮り文化≠セルフィー文化の独自性…常軌を逸しているかに見える(デカ目になりすぎて怖いチャイナ製アプリとかあるよね)美の規範(しかしもはやそこからは逸している)への執着みたいなところとか、韓国の美容整形文化とか、その辺ほじくると絶対楽しい。

身体との距離の取り方でいうと心身二元論を長いこと根底に持っていた(んですよね?)欧米文化の方が距離広そうなのである意味での他者というか外部:周縁として自らの身体を(※ここで一旦めんどくさくなったので終わっている)

コントローラブルなものとして身体を精神の下に置くという価値観の元では身体いじくりまわすのはむしろ欧米の領域ではないか。 あ、バービーになりたくて全身整形した人いたね。

あー表象(※多分「表層」が正しい)としての身体、と考えればいいのか。精神と身体のヒエラルキーではなく、むしろ癒着していることによってどうたらこうたらかなあ、仮説の仮説くらいのもんですが。

わかんねえけど!特に整形云々はここ十数年の話だろうし、であれば技術(ここには美容整形やカラコンつけま化粧品の製造などが含まれる)の進歩も絶対に無視してはならないしこれは長期戦になりそうだけど、うかうかしてると文化って猛スピードでアップデートされてしまうので。

特にAIの進化は目覚ましいし、シンギュラリティはすぐそこまで迫っているし…ところで私はAIにできないことの一つは「装う」(擬態するとかそういうんではなく、「服などを着る」のほう)ことだと思っていて そろそろしつこいので今度こそ終わり!


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歯塚傷子
お小遣いください。アイス買います。