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ネオサイタマ〈カワイイ〉論

※以下の論考は、コミックマーケット92にて頒布された『ニンジャ学会誌 第896号』(2017)に収録した文章を再録したものです。

「やってやる!私はカワイイだッ!」。これはユンコ・スズキがクローンヤクザたちを目の前にした時、彼らを打倒すべくして自らを鼓舞するための力強い宣言である[1]。しかしながら、「可愛い」を辞書で繰ると”深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ち””深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ち””幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい”殊勝なところがあって、愛すべきである””かわいそうだ。いたわしい。ふびんだ”[2]という定義は、彼女が持つ”敵を妥当するだけのパワー”からはかけ離れたものであるように見える。ならばなぜ彼女は、自らのメルクマールを〈カワイイ〉に据えたのであろうか。これを解き明かすためにニンジャスレイヤーにおける〈カワイイ〉を分析・考察し、〈カワイイ〉がある種の――あるいは暴力的ににすら見える力能がどこから出来するものであるかを析出したい。

1.〈カワイイ〉とは何か 

1-1.「可愛い」から〈カワイイ〉へ

ユンコの用いる〈カワイイ〉は、当然のことながら一般的に通用している日本語の「可愛い」に由来している。しかし、両者は単純にイコールで結ばれるものではない。このことを検証するためには、まずは辞書的な「可愛い」の定義を再確認せねばならない[3]。

1-1-1. 「可愛い」とは何か

古賀2009は丸い(形)、明るい(色)、柔らかい(感 触)、温かい(温度)、小さい(大きさ)、弱々しい(構造)、なめらか(語感)を「かわいいの素」に挙げている[4]。これを受け會澤・大野2011は、「「かわいいモノ」は小さく、愛らしく、守ってあげたいという、非闘争性や非攻撃性、あるいは脆弱性を持つ」[5]とまとめている。また、清水2011は、「かわいい」ものの典型としてハローキティを挙げ、そこに「「丸さ」「あどけなさ」「親しみやすさ」」といった「「かわいい」要素のすべてが凝縮されている」[6]と述べる。中村2011は、「私が考える「可愛い」とは「未成熟の魅力・美しさ」」であるといい、その属性として「「曲線的」「小さい」 「柔らかい」「明るい」「軽やか」等」を挙げる。そして、それらが「すべて攻撃には適さない要素であり」、「「可愛い」ものは「安心できる親しみやすいものとして大衆に愛されてきた」 [7]と述べている。 

1-1-2. 〈カワイイ〉の誕生

そもそも、(ボンド&モーゼスの母語であると想定される)英語をはじめとする多くのインド・ヨーロッパ語族の言語には「可愛い」に正確に対応する語彙がないと言われる[8]。
幸いにも、ニンジャスレイヤーにおけるカワイイを巡っては作者による貴重な証言が残っている。

---「ありがとうございました。次は作品の根底に流れる思想や、お二人なりのニンジャ世界観について質問させてください。まずは、カワイイについてです。そこのショドーにも書いてありますね。何故ニンジャスレイヤーの作品中にはカワイイの要素が含まれるのでしょう?一見、違和感があるのですが」

https://twitter.com/NJSLYR/status/97606282323828736

モーゼズ「答えは単純。リアルな日本を描こうとするらば、カワイイの要素は外せない。カワイイを排除したハードボイルド・サイバーパンクを作っても、上辺だけのフェイクになるだろう。僕も最初はカワイイには否定的だったが、ボンドからカワイイの語源はカワイソウだと聞いて、考えを改めたんだ」

https://twitter.com/NJSLYR/status/97612635754860546

この引用からは、アメリカから眼差したときに理解しがたく、また翻訳不能なカワイイという概念を(恣意的か非恣意的かにかかわらず)敷衍し、日本文化に根ざした感性であるという理解のもと〈カワイイ〉という語を用いていることがわかる。
では、〈カワイイ〉はニンジャスレイヤーの中でどのような意味を持って用いられているのだろうか。つまり、原作者であるボンド&モーゼズは、多義的なカワイイを日本的なものと理解しつつ、それをいかに"誤訳"しているのだろうか。

1-2.〈カワイイ〉とは何か

 ボンド&モーゼスがカワイイのエッセンスを理解しながら作品に織り込んでいるということは先に述べた。しかしながら、ユンコの言う〈カワイイ〉のように、それは原義である「可愛い」の「やわらかく、丸く、か弱い」ものから逸脱していることはいうまでもない。そこでここでは、ニンジャスレイヤーに登場する〈カワイイ〉の用法を洗い出してみよう。

1-2-1.性的な欲望の対象としての〈カワイイ〉

アイドル・オイランドロイドである「カワイイコ」がその名を冠して表象するように、〈カワイイ〉は第一義的には、異性愛的な眼差しにもとづく評価を示している。そもそもオイランドロイドとは(実際の用途はすでに変容しているとしても、原義的には)異性愛的な欲望を満たすための存在であり、それに対して用いられる〈カワイイ〉は上野千鶴子が批判[し、あるいはファッション誌が「男ウケ」の要素として標榜するところの〈カワイイ〉である[9]。
また、ヤモトの友人たちが同胞を指して用いる〈カワイイ〉もこの延長線上にある用法、つまり性的に魅力的であるということを(遠回しにではあるが)示すものだと言えよう[10]。

1-2-2.日本特有の、幼く小さいものを賛美する傾向を示唆する〈カワイイ〉

「モウン?」「いた、モウタロウ! カワイイ! 引き出しに入って出れなくなったのね!」ムギコは泣きながらモウタロウを抱き上げた。緊張の糸がいっぺんに緩み、ムギコはその場にへたり込む。彼女は鼻水を垂らしながら泣きじゃくった。もう少しで、一番近くにいる友達を失ってしまうところだった。

https://twitter.com/NJSLYR/status/64254699393658880

ここでムギコがモウタロウを示していう〈カワイイ〉は、辞書的な「可愛い」に近い、小さく弱きものを眼差す〈カワイイ〉であると考えられる。

1-2-3. 日本文化の幼さ・愛らしさを表象する〈カワイイ〉

カワイイキャッチ、カワイイクレープといった〈カワイイ〉の用法は、日本語話者には馴染みがない表現であるが、それと同時に、ニンジャスレイヤー読者であればおおよその見当はつく――おそらく、カワイイキャッチとは丸っこく愛らしいぬいぐるみなどを捕えるキャッチャー、カワイイクレープはそれこそ〈カワイイ〉の扱いについて最も長けた存在であるところの少女たちが好んで食べるクレープを指すものだろう。
ここで一点指摘しておきたいことは、〈カワイイ〉の使用において、「少女」たちが伝統的にもっとも精通した存在であり、少女とカワイイは不可分な存在だということだ。この点に関しては第2章において詳解する。

1-2-4. ユンコの〈カワイイ〉

(((父さん、やれるかな?AIを制御できるかな?なんでこのボディを私にくれたの?)))ユンコの心臓の奥でモーターが回転を開始する!エンベデッド憎悪が恐怖を塗り潰す!ニンジャに対する憎悪が!オムラの執念が!(((やってやる!私はカワイイだッ!)))モーターユンコが立ち上がる!

https://twitter.com/NJSLYR/status/272604653320011776

カワイイ、ないし〈カワイイ〉が多義的であるということはここまで述べてきた。しかしながら、冒頭でも引いたこのセリフにおける〈カワイイ〉だけが他の用法から逸脱しているように見える。繰り返すが、ここでの〈カワイイ〉の内実は暴力性であり、強さである。
これは一体どういうことだろうか。恐らくこれは前述の通り、ユンコが「少女」――つまり、カワイイの最も良き理解者であり、ひいてはあらゆる意味で境界的存在であるからこそ出てきた台詞ではないだろうか。この点について次章で詳しく分析してみたい。

2. ユンコ・スズキはなぜ〈カワイイ〉のか

ユンコのオイランドロイドとしての機種名は「モーターカワイイ」であり、そもそもユンコが〈カワイイ〉であるべきものとして作られていることがわかる。そしてその上で(あるいはそれに裏付けられる形で)、自らが〈カワイイ〉であることを自認している。
しかしこれらは、ユンコが〈カワイイ〉理由を説明する根拠としては不十分であろう。ユンコの〈カワイイ〉性の由来を究明するには、①ユンコ(のボディ)がティーンエイジャーのもの――つまり、「少女」の姿をとったものであるということ ②ユンコがあらゆる意味において境界(解体)的な存在であるということ の二点に注目しなければならない。

2-1. カワイイの理解者としての少女

「少女」と「可愛い」の交わりの歴史は深く、古くは戦前~戦後に発行されていた少女雑誌にその現れを見ることができる。具体的には中原淳一のイラストレーションなどに見られるリボンやフリルといった形象が「可愛い」ものの例といえよう。
また、四方田2006が大学生男女を対象に行ったかわいい(原文ママ)についてのアンケートでは、女子生徒の回答のほうが顕著に具体的で饒舌であった。
大塚が少女文化をの厳密な定義の困難さを確認しながらも、「かわいいカルチャー」と名付けたように、カワイイ文化とは少女の文化であり、少女の条件とはまず、「カワイイ」リテラシーなのである。

2-2. カワイイの境界解体性

2-2-1. カワイイは逸脱する

四方田2006は一般にカワイイとされるキャラクターの奇形性(たとえば、実在する生物にはありえない大きな頭部)に注目し、「あるものが「かわいい」と呼ばれるときには、そのどこかにグロテスクが隠し味としてこっそり用いられている」と結論づける。また、四方田のこの指摘を継承する形で、斎藤2008は「「かわいい」には「小さいこと」「幼いこと」「グロテスク」「残酷」「従順」「生意気」「愚かしさ」「賢しら[原文ママ]」「人工性」「エロス」「タナトス」といった、相矛盾する多彩な要素が含まれている」と述べている[11]。
「カワイイ」は潜在的には畸形性やグロテスクさといった要素を胚胎している。そして時として、「カワイイもの」はそうした要素を隔てている境界を融解させた形態で――境界を解体しながらあわられるのである。

2-2-2. 境界解体者としてのユンコ・スズキ

ユンコを形成する様々な属性が、その対犠牲に特徴付けられるということは極めて重要な視点である。生命(ヒトとしての歴史と記憶)と非生命(オイランドロイドのボディ)。ホスピタリティ(「医療用」モード)とブルタリティ(「戦闘用」モード)。サイバーゴスという、非生命志向のファッションを愛好していることも看過してはならないだろう[12]。
また、日本においては、「少女」とはそもそも男女の別なく庇護の対象として養育される「子ども」と区別され、将来的には別々のジェンダーロールを付与すべく男女別学をとったことから発生し・かつ良妻賢母として家に入るまでの猶予期間として設けられたアイデンティティである。この意味において、少女であるユンコは「大人」と「子ども」のどちらでもあり、どちらでもない存在と言える。
一見矛盾するかに見える要素を行き来する能力が、ユンコというパーソナリティを形成している。この力能はまさにカワイイとの特権的な関係を示し、また少女がカワイイを解し・様々な要素を孕むカワイイを取り扱う姿と呼応する。

3.〈カワイイ〉はいかにして暴力となるか

ここまで「カワイイ」を解剖することを試み、ユンコとカワイイを結びつけるのがその境界解体性であるということを見てきた。

3-1. モーターオムラとモーターカワイイ

第3部終盤においてユンコが振るう暴力性を象徴するガジェットが二つある。一つ目はスターゲイザーを死に至らしめた巨大トレーラーであり、いま一つはオムラ社のレガシー、モーターオムラである。いずれにも共通しているのは、それが〈カワイイ〉が含意する「小ささ、幼さ、柔らかさ、丸さ」等の諸属性と相反する「重厚長大」志向の産物だということである。〈カワイイ〉の表象であると想定されるユンコがこれらのような”武器”を持って敵を打破するという展開は、コントラストとしては美しいとは言えても、ここまで述べてきた論旨とは整合しないものに思われるかもしれない。
しかし、再度強調するように、カワイイとは「可愛い」とは相反するかに思われるグロテスクさや逸脱性を内包するものである。
この性質の発露の好例として挙げられるのが2014年に発売された「超合金ハローキティ」という玩具である。いうまでもなくハローキティは、その人気と受容のされ方において「カワイイ」の代表選手であるが(彼女もまた子猫の畸形であるからだ)、翻って超合金シリーズはマジンガーZのロボット玩具に始まる、可動・変形ギミックをふんだんに取り入れた男児向け玩具――つまり、戦闘用ロボットという、暴力の行使者であり/硬く/角ばっていて/巨大な、一見すると「可愛い」の真逆の存在を模したものである。だがカワイイは、この矛盾をものともしない。カワイイは超合金シリーズを呑み込み、我が物として振る舞うことができる。このことは、カワイイが「可愛い」から逸脱する強い能力を有していることの現れと言える。カワイイと暴力性は重なり合って存在しうるのである。

3-2. 〈カワイイ〉の力能

ニンジャスレイヤー本編において、非ニンジャがニンジャを殺害するケースは極めてまれである。作中を通して、モータル(非ニンジャ)とニンジャの能力差はかなりはっきりと隔たったものとして描かれており、そこには超えがたい壁があるように見える。
しかし、本来ニンジャを倒すだけの力を持たないオイランドロイドであるはずのユンコはニンジャと非ニンジャの「境界」を打破することができた。このブレイクスルーは、先に述べてきたユンコ=カワイイの体現者の持つ境界解体の能力と共鳴する。

むすび

冒頭の叫びにおいてユンコが、さらには作品を通してボンド&モーゼスが〈カワイイ〉に託し、そして第3部のラストで覆いに発揮されたのは、境界を逸脱し打破する力だったのではないだろうか。 
換言するならば、ニンジャスレイヤーはカワイイを咀嚼し、そして暴力性をも孕んだニンジャスレイヤー世界独自のパワーのひとつとして昇華させ、〈カワイイ〉という新たな力をひらいた。それをユンコは我々に示したのである。

脚注

[1] https://twitter.com/NJSLYR/status/272604653320011776
[2] 『大辞林 第三版』三省堂,2014
[3] 以後本稿においては辞書的定義を指す場合「可愛い」、その展開として現代文化に見られる諸様相を表現する場合「カワイイ」、ニンジャスレイヤーの作中における用法を示す場合「〈カワイイ〉」と表記し分ける。
[4] 古賀令子『「かわいい」の帝国』青土社,2009 
[5[ 會澤まりえ,大野実「「かわいい文化」事情 ――コミュニケーション論と記号論を通し て」『子どもの文化』 第43巻6号,文民教育協会子どもの文化研究所,2011
[6] 清水美知子「ハローキティから見る「かわいい」」『子どもの文化』第43巻6号,文民教 育協会子どもの文化研究所,2011
[7] 中村圭子「ハローキティ以前 抒情画における「可愛い」の変遷」『芸術新潮』第62巻第9 号,新潮社,2011 
[8[ 四方田犬彦『「かわいい」論』筑摩書房,2006 
[9] 松谷創一郎『ギャルと不思議ちゃん論 女の子たちの三十年戦争』原書房,2012
[10] 加えてニンジャスレイヤーにおいて特徴的なのは、男性に対して〈カワイイ〉がしばしば用いられるという点であり、これは日本におけるカワイイの用法からは若干遠いように思われる。これは〈カワイイ〉が持つ越境性/境界解体性を強調しているという点において特筆すべき部分であろうと筆者は考える。
また、作中にはオイランと似た存在として「マイコ」が(主に「マイコ音声」など複合語の形で)登場するが、よく読解するとオイランとマイコはかなり厳密に区別されていることがわかる。紙幅の関係上ここでは概略を述べるに留めるが、マイコは現代日本語における「ウグイス嬢」や「受付嬢」の「嬢」と概ね対応しており、身体を直接的に提供するオイランとはやや性質が異なると言える。
[11]斎藤環 「カメラと、「世界」と、関係すること」『美術手帖』第60巻第915号,美術出版 社,2008 
[12] サイバーゴスは日本においてはいわゆる原宿系のストリートファッションに属し、ゴシックロリータを始めとするカワイイ(として海外に紹介される)ファッションとの親和性も高いと言えるかもしれない。ただし、サイバーゴス自体はもともと欧米のユースカルチャーである。

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歯塚傷子
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