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デザイナーをやめた話

「好きなことを仕事にする」ということは少し危険だよ、というお話。

肩書きが曖昧である。数ヶ月前に「デザイナー」をやめてしまったからだ。

私は修士課程卒業とともに、「デザイナー」という肩書きの社会人になった。
本当は博士に進みたかったのだが、経済的理由からそれを断念した。新卒でいわゆる「就活」ができるのは修士卒までであり、博士課程に進んでしまうと(原則的には)そのまま研究者としてのキャリアを積まなければならなくなる。これはかなり茨の道で、一般企業に就職せず研究を続けるとなるともちろん学費が必要だし、その後の進路もなかなか厳しい。文系なので研究所の類などあるべくもないし、では教員・教授になろうとすると、論文掲載の実績や留学経験などがどうしても必要になってくる。それでも教員や教授のポストは限られており、運良く自分の専門の席が空かない限りそうした職に就くのは難しい。要するに、生きていくためのカネを稼ぐのが相当困難になる。
また、ちょうど私が大学生の時、大事件があった。あの東日本大震災である。震災による経済的ダメージは言うまでもなく甚大だったし、小さな工場を営んでいる我が家もその煽りをもろに受け、家計は潤っているとは言えなかった。これ以上脛はかじれない。かと言って返済義務なしの奨学金をもらえるほど優秀な学生でもなかった。ので、言ってしまえば”嫌々”就職活動に臨んだ。

そんな姿勢で取り組んだ「就活」だったので、早々に心が折れた。リ○ナビ等を使って会社を探し出しエントリーシートと履歴書を書いて面接を受け…という「就活」は3社くらいでやめてしまった。いや2社だったかな。とにかく、全く続かなかった。リクルートスーツも黒のひっつめ髪も膝丈スカートもベージュのストッキングも嫌だった。というか、それが就活の基本スタイルだということを知らなかったので、上野のA○ABで購入したジャケット・パンツ・スカートセットで3,000円のペラペラのグレーのスーツを着ていたし、金髪を茶髪のウィッグで隠していた。
それで駆け込んだのが学生向けの就職斡旋所である。コーディネーターに会うなり、開口一番「金髪でも働ける職場を紹介してください」と言った。無茶苦茶である。だが何とも慈悲に溢れたことに、その方は頑張ってくださった。私の経歴や趣味特技、そういったことからなんとか糸口を見つけようとしてくれた。
それで引っかかったのが、「一年間だけダブルスクールでデザインの専門学校に通い、趣味でwebサイトを作っている」というところだった。

紹介されたのはあるwebサービスの会社だった(詳しく言うと会社が特定されかねない業種なので伏せておく)。もともとデザイナーを募集していたわけではないが、いてもいいのではないか、ということになったらしく、めでたくその会社に就職できた。「デザイナー」として。

最初の頃はそれはもう楽しかった。なにせ好きなことをやっているだけで飯が食えるのである。デザイナーと一口に言っても様々な分野があるが、私が任されたのはチラシ等の印刷物のデザインと、サービスサイトのUI・ランディングページ(一枚ペラの、キャンペーン等の宣伝ページを見たことがあるだろう)等のwebデザインだった。
ただまあ、仕事なので好きなものを作れるわけではないし、ちょっとPhotoshopが使えるということで専門外の依頼も舞い込んでくるし、少しすると楽しいばかりではなくなってくる。それでも仕事内容そのものが嫌になるということはあまりなかった。

その会社をしかし辞めることになったのは、まあ職場環境のごにょごにょだ(よくある感じのアレなのでお察しいただきたい)。
それで次の会社を探した。これも自力で探すのを早々に諦め、転職エージェントに駆け込んだ。

そして入社したのが今の会社である。同じくデザイナーとして。
紙媒体での広告をあまり打たない会社なので、主にwebの方をやっていた。やはりデザイナーは私一人だったので、一人親方として孤軍奮闘していた。

そんな風に過ごして2年目のことだ。もう一人デザイナーが入社した。

その人はデザインの専門学校出身、会社勤めからフリーランスになるまでデザイン一本の、ベテランというほどではないにせよ、私よりずっと経験豊富なデザイナーだった。
デザインはセンスだと思われがちだが、その実ロジックである。先人たちが「開発」してきたメソッドがいくつもあるし、デザインの基礎を教える本を見ればデザインというものがいかに論理的に組み立てられているかがわかる。
ロジックが重要、とはいえ経験は必要である。それらをどう成果物に落とし込むか、というのはやはり手を動かして研鑽を積まなければわからない。そこに私とその人の、歴然とした違いがあった。

結果どうなったかというと、ぽきっと折れてしまった。

もともと私は打たれ弱いし、悪い方悪い方に考えるきらいがある。その人と私との実力差を見せつけられるうち、あ、無理、ということになってしまった。
それで「デザイナーをやめたい」と上司に打ち明けたのが数ヶ月前の話。私は肩書きを失ってしまった。

会社をやめたわけではない。仕事がないわけではない。主に画像としてあがってきたwebページのデザインをコーディングするという作業をしている(要するに、絵をweb上で再現するということ)。だからといってそれの専門家かと言うと、それにはスキルが足りない。だからコーダー(コーディングする人)とも名乗れない。

何が言いたいかというと、冒頭のとおり「好きなことを仕事にするのは危険だ」ということだ。

好きなことを仕事にする、おおいに結構なことだと思われるだろう。でもそれが、何らかの要因で好きでなくなってしまったら? あるいは、できなくなってしまったら?

何も残らないのだ。

今更別の職種など考えられない。営業はまず無理だ。コミュ障だから。広報やマーケティングをやろうにも知識がないし、興味もないので学んでも身につかない気がする。カスタマー対応も無理だろう。クレームなど入れられれば一発で再起不能になる自信がある。資格はといえば大学在学中に取ったドイツ語検定3級くらいのもんである。学生時代に培ったのは猛スピードで回転する社会の歯車に待ったをかけるような理論ばかりで、とても社会人として活かせるものではない。肉体労働には体力が足りない。

デザインすること自体が嫌いになったわけではないと思う。好き勝手にものを作るのは今でも楽しい。それこそ同人誌の表紙を作ったりロゴを作ったりするのは大好きだ。でも、仕事としてはやっていけない。

ということで、路頭に迷っている。いや、会社に籍はあるし給与はもらっているので実際に食うに困っているとかではないが、人生の路頭に迷いかけている。

得てして仕事というのはままならないものである。そんなお話でした。

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歯塚傷子
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