デザイナーはアーティストではない
最近TwitterでローソンのPB商品のパッケージデザインについての話題を見かけるようになって、ちょっと看過できない部分があったので書いておくことにする。
デザイン≠アート
言ってしまえばこの記事で言いたいことはこれに尽きる。
前述のローソンの件について、Twitterで散見される意見は概ね以下のようなものであるように思う。
・均整は取れているが、商品が判別しづらい。
・上記に関連して購買意欲をそそられない。
・デザイナーの人選が失敗である。
このうち、上の二つについては私も同意見である。
確かに、陳列された時に統一感があって美しいし、単体で見てもよくまとまっている。これについて異論はない。
だが、デザインはアートではない。いかに美しくとも、最終的にデザインの良し悪しを決定するのはエンドユーザーの評価である。デザイナーとは平たく言えばコミュニケーションを設計する役割を担うものであって、「伝えたいこと」「伝えるべきこと」が伝わっていないのならそれは失敗だ。今回あちこちから声が上がっている(わざわざ声をあげる人がいる)ということは、コミュニケーション不全を感じている人が少なからずいるということだろう。これについては下記の記事が原因を詳しく正確に分析している。
確かに、遠目から見てどの商品なのかは分かりづらいし、棚に陳列した時に商品名が判別しづらい。
コンビニ商品のパッケージ使命がその商品をより魅力的に見せ、店舗を訪れる顧客にそれを買わしめることであるとするなら、このデザインはそれに対してマイナスの影響を及ぼしているし、記事にあるようなユニバーサルデザインの視点を欠いていることを考えてみても、明らかに「失敗したデザイン」であると言えるだろう。それについては否定しない。
「人選ミス」という言説について
だが、前述の箇条書きの3番め、「デザイナーの人選が失敗である」という意見についてはデザイナーの端くれとして同意できない。
これらの意見は要約すると、このデザインを担当した佐藤ナオキ氏自身はミニマリストであり、また食に対するこだわりが薄く、そういった考え方こそが今回の「失敗したデザイン」の原因であり、また根本的にはそういった考え方を持った人間を起用した人材のアサインの失敗である、と指摘するものである。
しかし、デザインはアートではないし、デザイナーはアーティストではない。
デザイナーとアーティストの最も大きな違い、それは「本人の主義主張や思想を作品に昇華させるのか否か」である。
無論、主義主張、思想、哲学、そういったものがデザインに全く反映されないとは言わない。顧客の抽象的な注文を具体的に視覚化する存在がデザイナーであるから、頭の中で要求を噛み砕いて思案する必要がある。そのような過程を踏む必要がある以上は、デザイナー個人の美意識は多少なりともデザインに影響を及ぼすだろう。また、多少なりとも属人的な特色がなければ、わざわざその人にお願いする必要がない。
しかし、繰り返すが、デザイナーはアーティストではない。何事かを雄弁に主張するのはデザイナーではなくアーティストの領域である。
「デザイン」とはどういう仕事か
ここから先の記述は憶測を多く含むということをご了解いただきたい(何しろ私はローソンのクリエイティブの意思決定の過程を何も知らない)。
デザイナーの仕事は、基本的には顧客の要望に十全に応じることだ。ただしこれは、個別の注文に対して全くのイエスマンになることとは違う。
例を一つ挙げよう。セブンイレブンやユニクロのブランドデザインで知られる佐藤可士和氏のエピソードである。彼は新国立美術館のロゴのコンペに参加した。美術館側からの当初の発注は、MoMAのように略称でのロゴのデザインだった。しかし氏は、「略称は一般に浸透しない」と考え、あえて「新国立美術館」という文字列のロゴをプレゼンした。結果現在のロゴができたのである(余談だが、私は氏の講演で直接この話を聞いた)。立場にもよるが、デザイナーはここまで踏み込んだ提案を求められることがあるのだ。新国立美術館のロゴが真に果たすべき役割は、新しい美術館を一般大衆に印象付け、多くの来館者を誘引することであり、佐藤可士和氏はそれを汲み取ってあえて発注と違う提案をしたのである。
だから、先述した「商品が判別しにくい」「棚に陳列した時見づらい」といった部分を指摘できなかったのはデザイナーの落ち度かもしれない。最終的な販売形態まで見据えて商品を手に取りやすく設計するのは確かにデザイナーの仕事だからだ。いかに顧客(ローソンサイド)から「商品名は上の方に書いてくれ」「商品の画像は小さくしてくれ」という注文があったとて、「それではエンドユーザー(コンビニのお客さん)に訴求できない」と跳ね除けるべきだっただろう。それができるような関係にあったかどうかはわからないが。
(※この文脈で言うとテプラまみれのセブンイレブンコーヒーマシンも似たようなものなのだが、ひとまず置いておく)
しかし、佐藤ナオキ氏の暮らしぶりや個人的な趣味をあげつらって「だからローソンは失敗したのだ」と非難することはおそらく間違いである。そのような指摘は、デザインという仕事のプロセスを、デザイナーという職種のポジショニングを見誤っている。
仮に氏が無駄を嫌うミニマリスト(あるいは別の何らかの属性)であり、作品にもそれらを徹底するというこだわりを持って臨んだなら、それはデザイナーではなくアーティストのすることだし、その結果はデザインではなくアートであるからだ。
…ということを、腐ってもデザイナーとして言っておきたかった(念のため言うが、同じ畑の人間とは言え、私と佐藤ナオキ氏では片田舎の町工場の社長とビル・ゲイツくらいの開きがある)。
とか言って、基本的にデザイナーは黒子であるから、こんなことを言うべきではないのかもしれないが。