浅草東洋館
評論家とは気楽な稼業だ。
危険を犯すこともなく、芸人たちの必死の努力の結晶に、審判を下すだけでよい。
辛口な評論は、書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には、苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にはこけ降ろされ、三流品と呼ばれたとしても、演芸自体の方が、評論より意味がある。
しかし、時に評論家も冒険する。
その冒険とは、新しい才能を見つけ、守ること。
世間は往往にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。
最近、私は新しいものに巡り合った。
思いもよらない作り手による素晴らしい演芸を味わえたのだ。
作品も、その演者も、面白い演芸についての私の先入観を大きく覆した。
これは決して大袈裟な表現ではない。
まさに衝撃だった。
かつて私は、「誰にでも芸人はなれる」という、ビッグボーイズのなべ師匠の有名なモットーを嘲笑った。
でも、ようやく彼の言いたかったことがわかった気がする。
誰もが偉大な芸人になれるわけではないが、誰が偉大な芸人になってもおかしくはない。
浅草東洋館の若手は、恵まれた環境に生まれ育ってはいない。
だが、演芸の腕において、東京の若手で彼らの右に出るものはいまい。
近いうちにまた訪ねるとしよう。
今度はもっと笑いに飢えて😆