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おじ神様とハナ

 わし、神様。
 山の人間たちはわしを恐れる。かと思えば、困りごとがあればわしに助けを請いに来る。もちろんただでは助けない。
 ある時、わしは見返りとして人間たちに嫁をつれてまいれと命令した。
 しばらくして、わしのほこらに白い着物を着せられた背の低い人間が一人やってきた。
 滅多なことでわしのほこらを訪れる者はいない。つまりこれがわしの嫁として来た人間ということじゃろ。わしはその人間をサッと隠してしまうと自分の家に連れてかえった。

「人間、顔を見せい。」
「はい。」

 白い布が降ろされるとその下から出てきたのは化粧っ気もない顔に、首元までしかない髪。黒く大きな瞳に、厚い唇。目鼻立ちは整っておるが、わしが見たことのある村の女とも都の女とも少し違う。
 
「なんじゃ、男か?」
「……男じゃない。」
「しかし、そんな短い髪の女子がおるか? 体も痩せていて貧相じゃし。」
「髪は切ったの。体はまだこれから育つの。」
「本当かの?」
「おじさんこそ、本当に神様なの?」
「おじさんじゃと?」

 今のわしの姿は都で見た雅な装束に流行の口ひげをつけた最高に麗しい姿のはずじゃが?
 嫁に会えると思って、気に入ってもらえるようにばっちり装ってきたのじゃが?

「だって、おじさんじゃん。全体的に丸っとして顔もなんていうか、愛嬌があるって言えばそうかもだけど。」
「丸っと!?」
「私、神様ってもっと怖いのかと思ってた。」
「そうじゃ。わしは神様じゃ。恐れ多いぞ。」
「ぷっ。ぜんぜん怖くないよ。」
「なんじゃと。」
「ねえ、私のこと食べるの?」
「食べる? そんなことするわけないじゃろ!?」
「でも生け贄だって。それが嫌で私、髪まで切ったのに。」
「わしは嫁を連れてこいと言ったんじゃ。」
「……じゃあ、本当に結婚するの?」
「そうじゃ。」

 とは言ったものの、想像していた人間の娘とはだいぶ違うの……。本当にこれを嫁にしていいんじゃろか? まだわしはこれが男じゃないかという疑問も拭えんのじゃが。
 しかし、わしの家まで連れてきてしまってそのまま帰すのも何だかの。

「娘。名前はなんと言う?」
「ハナです。」
「ハナ。わしと結婚する気はあるかの?」
「え? まあ……うん。」
「本当かの?」
「うん。私、村のために死ぬのかって思ってたから、結婚くらいならいいよ。」
「そうか。ところで本当に女なんじゃな?」
「ええ? ひどい。まだそれを疑うの!?」
「すまん。どうしてもな。」

 ハナは眉をハの字にしてわしに抗議するように言った。ふむ。ハナは神様のわしにも物怖じせんの。
 近くに寄るとハナからはかすかに良い匂いがした。わしはハナが気に入った。

「ハナ、それじゃ祝言をあげるぞい。」
「うん。おじ神様。」
「おじ神様? おじ神様とはなんじゃ?」
「だって神様っていうよりおじさんって感じなんだもん。なんかそう呼びたくて。」
「そうか。まあ、好きに呼ぶがよい。」

 変わった娘じゃの。

     ◇

「美味しい。こんなの食べたことない。」

 ハナは祝いの席で、わしが都から取り寄せた鯛に口をつけると驚き言った。
 
「そうじゃろう。これからは好きなものを食えるぞい。」

 すべて、この日のために用意した料理じゃ。村からの貢ぎ物を売ってこつこつ貯めた蓄えはまだある。

「こっちは何? 甘い!」
「それは餅じゃ。味付けをしてある。」

 少年のように見た目はこざっぱりとしているが、こうして見るとハナの喜んでいる姿は可愛らしいの。夜が楽しみじゃの。

「お父さんにも食べさせてあげたかったな……。」

 ハナがしんみりと言う。お父上か。ハナをわしの元に連れてきてくれた人間じゃな。ハナの村には報いてやらねばならぬの。

「ハナはどこの村だったかの?」
「白滝村だけど……。」
「よし。わしに任せよ。来年は豊作じゃ!」
「ありがとう、おじ神様。そんなこともできるんだ。」
「神様じゃからの。」
「すごいんだね。」
「ハナの願いは何でも聞いてやるぞい。」
「本当? やった!」
 
 ハナが笑顔をわしに向ける。よい、よい。
 わしとハナの前には食べきれないほどの料理が運ばれてくる。と言っても神の身の回りの世話をする精霊が用意したものじゃ。精霊の姿は見えない。広い座敷に座っているのはわしとハナだけじゃった。

「こんなに食べきれないよ。」
「そうか。そろそろお開きにするかの。」
「うん……。」
「精霊が寝所に案内するからの。」
「え? おじ神様と一緒に寝るの?」
「そうじゃ。夫婦じゃからの。」
「えー? 一緒に寝るのはちょっと……。」
「なんじゃって?」

 なんということじゃ。一緒に寝るのを楽しみにしとったのに。
 ハナが眉をハの字にして首を横に振った。そういった仕草もいちいちいじらしいが。

「そういうのはやだ。」
「しかし、夫婦じゃし……。」
「したくない……。」
「じゃ、じゃが……。」
「おじ神様、さっき何でも聞いてくれるって。」
「むむ、そうじゃが……。……ならばしかたがない。」

 神様の性質じゃ。お願いされたら無下にできん。
 しかし、夫婦になって初夜を共にしないなんてあるんじゃろか?
 こやつ本当はやっぱり男で、それを隠したいんじゃないじゃろな?

「ごめんね、おじ神様。」
「よい。寝所は一人で使うがよい。」

 せっかく夫婦の寝所も奮発して用意したんじゃがなあ……。

     ◇

 翌朝、わしは一人で目覚めた。
 そりゃそうじゃ一人で寝たんじゃから。
 この家は広いがずっと身の回りの世話をする精霊とわしだけじゃった。これじゃ今までと変わらんの……。

「ハナ。どこかの?」

 ハナの寝所を覗くと、羽毛で作った布団は空でハナはおらんかった。
 かすかにぱちゃぱちゃと庭先の池の方から音がする。水浴びかの?
 まあ、朝食までに戻ればそれでよい。安全は精霊が確保するじゃろし。
 部屋に戻ろうとして、わしはふと思った。
 そうじゃ。今、ハナが女であることを確認すべきでは?
 いや、わしもほとんどハナが女であると信じておる。しかし、まだどこかで疑惑が払拭できぬ。もしもハナが男ならこの結婚は無効になってしまう。この確認は必要なことじゃ。決してやましい気持ちを持ったのではない。

「……ハナ。……おるかの?」

 わしはハナを探している風を装って、木々の隙間からハナを覗いた。
 ハナの白い肌が眩しい。少し膨らんだ胸。腹から落ちる滑らかな曲線。まさしく女子の体じゃった。わしはハナの柔こそうな尻を見る。乗りたい……。

「えっ!?」
 
 わしが見ていることに気付いたハナが、とっさに体を隠すようにしてしゃがみこみ、わしに背中を見せる。ハナの尻。わしは興奮して飛び出した。
 
「ハナよ、子作りをしようぞ!」
「やだ!」

 うっ……。ハナに拒絶され、わしの体は金縛りにあったように静止した。両手を広げた姿勢で一歩も動けぬ。
 ハナがうらめしそうな顔でわしを見てくる。

「ハ、ハナ。水浴びしとったんか。」
「……うん。つい、気持ちよさそうだったから。」
「そうじゃろ。その池は山の池に似せて作ったんじゃ。わしの故郷みたいなもんじゃ。」
「そうなんだ。」
「これから朝食にするからの。」
「……わかった。あとで行くね。」

 ぷいっとハナがそっぽを向いて、ようやくわしの体は自由が利くようになった。
 わしは静かに屋敷に戻った。
 ハナに無様な姿をさらしてしまったの……。

「……。」

 朝食の席でもハナは口をきいてはくれんかった。

「さっきはすまんかったの……。」
「ううん。ちょっと驚いただけ。」
「では子作りは……。」
「それはやだ。」
「そ、そうか……。」

 ハナはわしをなかなか許してはくれんかった。

     ◇

 ハナはわしが夫婦で過ごす場所として作った部屋を気に入り、そこがそのままハナの自室となった。

「すごい素敵なお部屋。ありがとう。」

 元々は夫婦で使うつもりじゃったからの。そりゃ贅沢に作ったんじゃ。まあ、それでハナの機嫌が良くなるならば仕方がない。

「もうずっとここに居たい。」
「そうじゃろ。わしもたまにここに来てもいいかの?」
「んー……。」
「菓子を持ってくるからの。」
「それならいいよ。おじ神様。」

 ハナの笑顔を見てわしは安堵した。

「どんなお菓子?」
「餡が中に詰まっておっての。都で流行っておっての。」
「都。おじ神様、行ったことあるの?」
「ある。神様じゃからの。」
「へえ。どんなところ?」
「神を祀る社があっての。きらびやかな貴族たちが住んでおって、人間がたくさんおっての。何でも揃う。」
「なんかすごそう。」
「いつか連れていってやるからの。」
「いいの? 楽しみ!」
「ハナはわしの嫁じゃからの。」

 まあ、わしも人間の世のことはよく知らんがの。他の神から聞いた話も含まれておるが。
 しばし、わしとハナは菓子を食べ部屋でくつろぎながら過ごした。

「この布団は、なんでこんなにふわふわで暖かいの?」
「中に何十羽分もの羽毛が入っておっての。」
「わあ、贅沢だね。」
「そうじゃな。」
「こっちのお菓子はなんでこんなに甘いの?」
「砂糖を使っておるんじゃ。」
「砂糖? これが砂糖なんだ。」

 ハナも最初は何にでも興味を示してわしに聞きたがったが、それも数日が経つと次第に減っていった。
 ハナが横になりながら、だるそうに言う。

「なんか、すごい時間ばっかりあるね……。おじ神様。私も何かやることない? 炊事とか洗濯とか。」
「精霊が身の回りの世話はすべてやってくれるからの。」
「じゃあ、私は何をすればいいの?」
「ハナはここに居るだけでいいんじゃぞ。」
「ええ……?」
「ほれ、新しい菓子を持ってきたぞい。」
「退屈で死んじゃう。」
「なんじゃって?」

 ハナに死なれては困るぞい。わしは慌てて聞いた。

「どうすればよいのかの?」
「うーん……。私ね、村では機織りを習ってたの。ここで機織りをしたい。」
「ハナ。着物は精霊に用意させられるのじゃが。」
「お願い。おじ神様。」
「むむ。わかった。待っておれ。」

 ハナは大きな瞳でわしをじっと見て「お願い」と言った。
 そうされると弱いのじゃ……。わしはすぐさまハナのために織機を持ってこさせた。ここでは何でも揃うからの。

「ありがとう、おじ神様。この糸は何? すごいキレイ。」
「糸も精霊に作らせたものじゃ。」
「こんなの見たことない。きっとキレイな生地が出来るよ。私、頑張るね。」
「ああ、楽しみにしとるよ。」

 それからハナは暇さえあれば機織りをしていた。
 ガッタンゴットン。
 静かだったわしの家にハナの織機の音が心地よく響く。
 ハナは機織りに飽きたらわしのところまで来て一緒に過ごし、またそれに飽きたら機織りをして過ごした。
 こういうのは百年以上ここで暮らして初めてじゃが、意外と悪くないかの。

「おじ神様。できたよ。」
「おお、ハナ。見せてみよ。」
「ほら。こんなにキラキラとした生地、私が織ったなんて信じられない。この世のものじゃないみたい。」
「そりゃ、精霊の糸じゃからの。……あっ! これは!!」

 わしはハナの織った生地を一目見るなり、一歩後ろに下がった。白く光る布地に織られた長い胴体の先に頭、鋭い眼がわしを睨み付ける……。蛇じゃ!

「どうしたの、おじ神様?」
「へ、蛇じゃないか!?」
「うん。村で習ってた絵柄だけど……。」
「わしは蛇が苦手じゃ!」
「そうなの? なんで?」
「なんででもじゃ!」
「えー? 可愛いと思うけどなあ。」
「ハナ! はやく隠しておくれ。その眼を!」
「あ、うん。ごめんなさい。」

 ハナは素直に蛇の描かれた生地をしまってくれたが、わしは生きた心地がしなかった。精霊の糸で描かれた蛇など、生きて動き出す可能性もあるではないか。とんでもないの……。

「なんでおじ神様は蛇が苦手なの?」
「……そんなこと、わし言ったかの?」
「それならまたこの生地の絵を……。」
「やめい。やめるんじゃ。苦手なものは苦手なんじゃ。」

 わしは神様じゃが、カエルの化身なんじゃ。ハナには言えんが。

「おじ神様、ありがとね。」
「んん?」
「私、楽しかったの。だから、ありがとう。」
 
 ハナは無邪気に笑って言った。
 ハナの笑顔はずるいの……。わしはハナのすることは何でも許したくなってしまう。初めて会った時は男かもとまで思ったのに、今ではハナのすべてが愛おしくなっておった。

     ◇

 ハナがわしのところに来ていくらか経ったころ、わしのほこらにまたやってきたものがあった。
 それは若い狐の夫婦じゃった。
 狐は木の実をほこらに供えるとわしに願った。

「神様。どうか無事に出産できますように。」
「神様、産まれるこの子たちが健やかに育ちますように。どうかお願いします。」

 よく見るとメスの狐は腹がふくれておった。
 わしのほこらに来る者は人間だけではない。山で暮らす動物たちもやってきてわしに願う。
 ……しかし、またこの願いかの。人間の願いにも多いのじゃ。
 正直、わしの力の性質でどうにかなるものではないのじゃが……。
 じゃが、何もしないというのものう……。
 狐の夫婦が帰ったあと、わしはハナに聞いた。

「ハナ。人間は子どもが出来たら何をするのじゃ?」
「子どもが出来たら……? やだ……おじ神様。……子作りしないよ?」
「わ、わかっておる。わかっておるよ! ……純粋に聞いてみたくなっただけじゃ。」

 むむむ。わしはまだハナに子作りを拒否されているのを忘れておった。
 そういう意味で聞いたのではない。
 ただ狐の夫婦に何かできることはないかと、人間の知恵を借りようと思っただけじゃったのに……。

「うーん。おじ神様、何か事情があるの?」
「そうじゃ。実は先ほどわしのほこらに狐の夫婦が見えての。」
「そういうこと? 私もよくは知らないけれど、栄養を取って安静にしてたりするんじゃないかな?」
「ふむ。栄養かの。それならわしでも何とかできるかもしれんの。」

 草木を実らせるのならわしでも出来る。
 さっそく狐の夫婦のところに行ってみるかの。わしはこの山に住む者の居場所はすぐわかるのじゃ。

「待って。おじ神様。私も行ってみたい。」
「んん?」
「見てみたいの。子どもが生まれるとこ。」
「そうかの? じゃが、ハナ。この場所から出る時には姿を変えねばならぬぞ?」
「うん。わかった。」

 わしはハナに精霊が作った衣装を身に纏わせた。
 たちまちハナの姿が一輪の野草に変わる。

「まあ、こんなものかの。わしが運んでやるぞい。」
「え? 私今、何になってるの?」
「花じゃ。ハナが花にの。洒落がきいとるじゃろ。」
「ええ? 自分で動けないじゃん。」
「そりゃそうじゃ。」

 自由に外に出られるようになってハナに逃げられては困るからの。
 さて、それでは行くかの。

 狐の夫婦が住む洞穴の周囲は食べ物が豊富とは言えん状況じゃった。
 これでは不安になってわしのところにも願いに来るか。
 わしは周辺の草木に働きかけて木の実を豊富に作らせた。
 これで狐の夫婦は木の実を食べたいだけ食べてもよいし、木の実につられてやってきた生き物を獲ってもよい。
 わしにしてやれるのはここまでじゃな。

「すごい。おじ神様って本当に神様だったんだね。」
「なんじゃって? 今までなんじゃと思ってたんじゃ?」
「ただのおじさ……ううん。神様なのはわかってたけど、本当に願いごとを叶えているんだ、って目の前で見たから驚いたの。」
「そうじゃろ。わしのすごさがわかったかの、ハナ?」
「うん、おじ神様。……あっ。」

 ハナが何かに気づき声をあげた。
 見ると、ちょうど狐の夫婦の出産が始まるところじゃった。
 妊婦じゃったメスの狐が苦しそうに息をしておる。

「ちょうど産まれるところじゃったか。」
「ねえ、おじ神様。私、もう少しここで見ていたい。」
「……ふむ。しょうがないの。」

 ハナが心からそうしたいと願うなら、わしは無理に連れ帰ることはできんのじゃ。

 そうしてわしたちはしばらくの間、狐の出産の様子を見守った。

「あっ! 顔を出してる! 産まれたよ、おじ神様!」

 狐のメスの腹の下からひょこひょこと産まれたばかりの子どもたちが顔を出した。
 狐の夫婦が子どもたちの顔をペロペロとしきりに舐めておる。

「無事に産まれたようじゃな。」
「わあ、赤ちゃんだ……。」
「そうじゃな。」

 これでわしも充分に役目を果たしたことになるじゃろ。
 さて、今度こそ帰るとするかの。

「……可愛いなあ……。私もいつか……。」
「ハナ。そろそろいいかの?」
「え!? いいって!? おじ神様! な、何が?」
「んん? そろそろ帰らんかの?」
「あ……うん。そうだね……。帰ろうか。」

 ハナはまだ狐の子たちを見ていたそうにしておったが、さすがに疲れたのか帰り道は静かじゃった。

 そういえば、ハナは人間じゃから狐と同じように腹から子を産むのじゃな……。
 わし、カエルじゃったからな。腹から子が出る仕組みがよくわからん。
 それもいつかハナに聞いてみないとの。

     ◇ 

 そうやって季節は過ぎていき、ハナと約束した村の豊作も叶ったようじゃ。
 夜の明るい月の下で、わしとハナは団子を食いながら過ごしておった。

「ほれ、ほれ。今宵は満月じゃ。ハナも踊らぬか?」
「ははははっ。おじ神様。なにそれ? 変な踊り!」
「なっ……、そんなに変かの?」
「ううん。面白い!」

 わしは都で見た舞いを真似てみたのじゃが、ハナに笑われてしまったようじゃな……。
 しかしわしの気持ちは浮かれておった。ハナとの生活が楽しかったのじゃ。

「これが踊らずにいられようか。」
「それじゃ私も一緒に。こう? こうかな?」
「うまい。うまいぞ、ハナ。」

 わしがひょこひょこと踊る横でハナがぴょんぴょんと跳ねる。
 楽しい。楽しいのお。
 ハナも同じ気持ちなら良いのじゃが。

「はぁ。疲れちゃった。休憩。」
「おお、わしも休憩じゃ。」

 ハナがわしの肩に寄りかかって息を整える。少し赤みのかかったハナの頬の熱がわしに伝わってくるようじゃ。
 月が大きく見えた。
 涼しい夜風がわしとハナの熱を冷ます。

「夢みたい。」
「そうかの?」
「村ではこんな生活、想像もしなかった。」
「そうじゃろな。」
「ふふ。食べられちゃうかと思ったのに。」
「それは誤解じゃったろ?」
「うん。」
「ずっとここに居ていいからの、ハナ。」
「うん。」

 翌朝、ハナは熱を出した。
 うっかり体を冷やしてしまったのが原因じゃった。

「ハナ。しっかりせいよ。今、薬を取ってくるからの。」
「うん……、おじ神様……。」

 わしの力では病気は治せん。人間の薬は精霊には用意できん。
 わしは人間の世に出て、薬屋を頼らねばならなかった。
 空を駆け、山を越え、わしは都へと飛んだ。わしは神様じゃからこれくらいのこと、なんのことはない。

「薬屋、薬屋。熱が出た。薬を分けておくれ。」
「どなたか?」
「山の向こうから参った武士である。わけあって名は言えぬ。」

 わしは人間の世に出る時はいつも武家を装っておった。

「お武家様?」
「金ならある。」
「へえ。それならこちらに……。」
「たしかに。礼を言うぞ。」

 わしは多めに薬屋に金を渡すとすぐさま空を駆けハナの元へと舞い戻った。

「ハナ。薬じゃ。」
「ありがとう、おじ神様。」

 ハナの弱々しい声にわしは心が痛んだ。

「飲んですぐに良くなるのじゃぞ。」
「……うん。」
「わしはここにおるからの。」
「……うん。」

 わしがハナの手を握るとハナはぎゅっと握り返した。
 薬を飲ませ一晩看病した甲斐があり、ハナの熱は翌日には下がっていた。
 

「ハナ。回復してよかったの。」
「おじ神様。ありがとう。薬なんて大変だったでしょ?」
「いいんじゃ。当然のことじゃ。」
「……私、幸せなんだね。」
「なんじゃ?」
「ううん。私、おじ神様と結婚してよかったのかも。」
「そうじゃろ、そうじゃろ。では——」
「でも、子作りはだめだから。」
「お、おお……。……わかっとる。」

 このやりとりも何度目じゃろうか。
 ハナは相変わらずじゃの。
 相変わらずじゃが愛おしい。いつかハナのあの柔こそうな尻に乗りたいものじゃ。わしはずっと我慢しておる。
 どうすれば乗れるかの……。悩ましい……。

「……今はまだね、おじ神様。」

 ん? 何か言ったかの? ハナ?

     ◇

 その日、珍しく山のほこらに来客があった。

「神様。どうか私どもの村をお救いください。」

 本当はハナとの時間を邪魔されたくないのじゃが、これもわしの仕事じゃから聞かんわけにもいかん。あの日以来、気付けばハナはわしの横にちょこんと座っておることが増えたのじゃ。

「私どもの村はおかげさまで今年大変な豊作にあずかり、村人みな喜んでおりましたところ、隣の山の村はあいにくの不作となりまして、人助けと思い米を分けてやったところ、もっと寄越せと……。」

 おや、この人間はもしや、ハナの村の者かの?

「武器を持ち、私どもの村を襲ったのでございます。」

 なんじゃと!?

「どうか、お力をお貸しください。」

 うーむ。わしは唸った。わしの力は雨を降らしたり、草木の成長を促したりはできるが、戦で何かできるわけではない。通常なら聞かなかったふりをする案件じゃ。
 いくらハナの村とはいえ、人間の争いはきりがないからの……。
 わしが黙ってると人間は肩を落として帰っていった。

「おじ神様。」
「ハナ。聞いておったのか……。」
「うん。お願い、おじ神様。私の村を助けて。さっき来てたのは私のお父さんなの。」
「なんと、お父上じゃったか。」
「私が幸せでも、村が不幸になったら私がここにいる意味がなくなっちゃう。」
「ううむ。」

 そういえばそういうことじゃったか。ハナは村のため、生け贄と思ってここに来たんじゃったか。村が救われなければ意味がないと。
 待てよ。これはひとつ交換条件にならんかの?

「ハナよ。それならわしが村を助けたら、わしと子作りするかの?」
「え!? 子作り?」
「そうじゃ。」

 わしは真剣じゃった。
 ハナがごくりとツバを飲み込む。
 わしの心が伝わったのかハナは頷いて言った。

「……うん。子作りする。」
「約束じゃぞ?」
「うん。いいよ、おじ神様。子作りしよ。」
「よし! わしに任せておれ!」

 ハナの頬が赤みを帯びる。
 子作りじゃ。子作りじゃ。約束したぞい。これでやっとハナの尻に乗れる。
 そのために嫁をつれてこさせたのじゃ。ハナのあの白くて柔らかそうな尻がようやくわしのものになるんじゃ。

 わしはすぐさま戦の支度を整えた。なあに、人間の世では武家として振る舞っているのじゃ。隣の山の村のものなんぞに負けるはずがない。

「では行ってくるぞい、ハナ。」
「気をつけて。おじ神様。」
「わしは神様じゃぞ。心配いらん。」
「うん。村をお願い。」

 心配そうにしているハナの頭を撫でて、わしは村へ向かった。

     ◇

 村につくと、村の境界ではすでに戦が始まっておった。

「やあ、やあ、我こそは都で名をとどろかせた武士。わけあって名は名乗れぬが、この村の防衛に助太刀いたす!」

 わしは刀を抜くと村を襲っているものどもに斬りかかった。
 むっ。思ったより力が強いの。
 それでもわしの刀は押し勝った。

「助太刀いたす!」
「だ、誰だか知らんがありがたい!」
「わしに続け!」

 わしはそう言うと、広い田畑を縦横無尽に跳び回った。もともとカエルじゃ。こういう立ち回りは得意である。
 とはいえ、襲ってくる敵の方が多い。わしの攻撃を避けて村の中に入り込もうとするものが出てくる。わしはすぐさまそちらにも跳んで刀を振りかぶる。

「くそっ。なんだこのおっさん。急に出てきやがって!」
「だれがおっさんじゃ。わしを誰だと思っておる!」
「誰なんだよ!?」
「わしの正体なんぞ知らんでいいわ!」
「はあ? ……ぐぁ!」

 わしはさっと男を斬り捨て、次の瞬間にはもう別の相手にぶつかりに行く。

「ぐぇ!」
「がぁ!?」
「ぐっ……撤退! 撤退だ!」

 何人斬ったかの?
 わしの勇姿をハナに見せてやりたかったわ。
 村を襲ったものたちは、ちりぢりになって逃げていきおった。

「助太刀、ありがとうございます。えーっと、あなたは?」
「なあに。わけあって名は名乗れぬがこの村の味方じゃ。無事でよかったの——」

 よく見るとわしに声をかけたのはさっきわしのほこらに来た人間じゃな。ということはハナのお父上か。

「——お父上。」
「ええ? お父上とは?」
「こっちの話じゃ。」
「そうですか。ですが、やつらはまた来ます。」
「なんと。」

 しつこいの。
 村を救うにはどうしたらいいんじゃ?

「やつらは隣の山の村のものたちです。隣の山の村はあいにくの不作となりまして、人助けと思い米を分けてやったところ、もっと寄越せと……。」
「その話は聞いたがの。食料があればよいのかの?」
「いえ、この村は古来より山に住まわれる神様により守っていただいておりまして、私どもの村の今年の豊作はその神様のおかげだと。やつらはこの村の幸運を妬んでいるのです。」
「なんじゃそれは。」

 狙われているのはわしということか?
 困ったのぉ……。

「神様なぞおらん。そういうわけにはいかんのかの?」
「無理です。たしかに村には神様の声を聞いたものもおりますし、私も娘を生け贄に差し出しておるのです。」
「生け贄。」

 ハナのことかの。生け贄じゃないのじゃが。

「村長が隣の村長に自慢げに吹聴さえしなければ……。」
「村長……。」

 人間の争いはくだらんのぉ……。本当に余計なことに首を突っ込んでしまったわ。

「まあ、できる限りのことはするかの。」

 村長が山の領主に仲裁を申し入れに行っているらしい。それが通るまでは村を防衛しなければならないということかの。さてはて。
 村の人間は村を囲む森の木々を切って柵を作り、守るべき箇所を限定させておった。これで村の人間は守りを集中でき交代で休めるわけじゃな。
 よく考えておるな。
 わしは山に雨を降らせることにした。雨の中、足場が悪いのに襲いに来る人間はおらんじゃろ。これで時間は稼げるかの?
 村の人間は山の神様に祈りが届いたとか言っておったが。まあ、間違いではないがの。その神様はここにおるんじゃが。

 
 そして、その日はわしも夜の見張りに立った。村の入り口方向に人影はない。
 雨が降っておるからの。こうして領主からの使者が来るまでずっと雨を降らしておけばよい。今日の見張りは念のためじゃ。

「おい! 敵襲!」
「なんじゃと?」

 その声は村の中から聞こえてきおった。
 村に入られた? どこからじゃ?
 わしは見張り台を降りてすぐさま声のした方に向かった。逃げ惑う人間たちの先に、カチャカチャと武器がぶつかり合う音と数人の争う声がする。
 わしが到着すると最初に目に飛び込んで来たのは火じゃった。村に火がつけられておる。
 まずい。わしは火が苦手じゃ。乾くからの。雨を強めてなんとか消せはせんかの?
 敵はますます村の中に入り込んできておった。
 わしはハナのお父上と合流して聞いた。

「これはどういうことじゃ?」
「村に誘い込んだ裏切り者がおったのです!」
「なんということじゃ。」

 ここまで人間が愚かだったとは。
 裏切り者は村の人間に捕らえられて息も絶え絶えの状態じゃった。
 いや、今はそんなことより防衛じゃ。ハナの村を守らねば。

「参る!」

 わしは刀を抜くと村に侵入した敵に向かい斬りかかった。
 じゃが、あちこちから立ち上がる火の手がわしの動きを鈍らせた。
 さらには昼間よりも多い敵の数にわしは翻弄されてしまった。

「まずい……!」

 わしの腹に刃が突き刺さった。
 わしは取り囲まれ、横腹から背中から刀を突き立てられた。わしはその場に倒れた。
 遠くには倒れているハナのお父上が見える……。

「ここで死ぬわけにはいかんのじゃ……。」

 もう雨に濡れた地面しか見えん……。

「ハナと子作りする約束が……。」

 わしは最後の力を振り絞った。
 わしの力は村の裏の山肌を崩した。崩れた土砂は濁流となって村ごと敵を押し流す。わしごと押し流す……。
 すまん、ハナ。約束は守れんかった。村を守れんかった。
 これでは子作りは無しじゃの……。

     ◇

 黒い雲の隙間から覗いた太陽の光が、ぬかるんだ地面に出来た水たまりに反射している。
 そこにあった村は流されて誰も生存者はいない。
 一匹のひっくり返ったカエルの死骸を白い蛇が飲み込むと山の方に消えていった。
 白い蛇の眼は泣いているように見えたのだった。

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