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またたきのは展を終えて|小城弓子さんの絵と青葉市子さんの音楽とから感じたこと|とても高い自己一致は、あらたな自己一致を呼ぶようです


みんみん、みなさま、こんにちは!

コメントもたくさんありがとうございます!
最初のほうの方にはお返事できるのですが、だんだんできない日もあったりして
ここでお返事(になるかどうかわからないけれど)書いてみますね。

繰り返しになるのですが「わたしの親は毒親です」と気づくのはすばらしいことに違いないのですが、わっちからの提案というか、提言は、「全員毒親なんです」ということなんです。「太陽は東からのぼります」というのと同じような感じです。

こちらも繰り返しになりますが、「親としての自分が毒親かどうか」は、まずここでは置いておきます(これがかなり大事なポイント)。

まず、自分のことは棚に上げます(えへへ)。

で、何を置いても起点は、自分。自分のケアからなんです。

松葉杖ついているのに、横断歩道を渡るご高齢の方をおんぶできないですよね?
そんなイメージ。まずは松葉杖ついてる自分を自覚し、そこのケアをすることから、です。(おぶっちゃいけない訳ではないですが、転んだり、進めなかったりしそうですよね、ということです)

自分が本当は傷だらけかもしれない状態で、現在子育て中の方、親をされている方が、「親としての自分も毒親かもしれない」などと、まだ取り組まない、ということです。

で、昨日のnoteのコメント欄にもありましたけれど、どんな方にも何かしらのテーマがあるわけです。「年上の女性にやたらと気を遣ってしまう」とか、「裏表のある人物が目の前にあらわれて、すごくそれがいやだ」とか、です。何か、ある。反応する何かが。

で、それらは、どうも、自分の魂だったり、あるいはこれまでだったら先祖からの魂であったり、これらのカルマや、課題を反映している、そしてその反映が、最初の家族関係に現れやすい、という仮説なんです。

取りまとめると

1、自分の魂|先祖からの魂 のカルマ、課題
2、1のために(何か解放したり、気づきを得るために)生まれる
3、1、のテーマにぴったりあった家族に生まれる→ここが本当にすごいと思ってます。
4、でも、3のことは無意識に大人になっていく
5、何かしら問題が起こったり、困ったなと思うことだったり、「反応」してしまう何かが起こる。目の前に現れる。感じるようになる。
6、5のヒントが、3にあることが多い。(ただしバーストラウマほか、覚えていないケースもあります)
7、3の時に蓋したこと、感じたこと、などを思い出す
8、解放が起こって(着ぐるみが脱げて)、より本来の自分に戻る

ということかなと思っています。

もちろん、ものすごく単純化した説明であって、これは人によって、いや、人の数だけ、解放の道も違うわけです。本当に一人一人に神話がある。

ただ、人類(地球、国、県、地域も含む)としての神話みたいなものもやっぱりあって、そこからの影響も受けるのかなと。それが家族にまず現れるというのは、とてもおもしろいことだなとわっちは思っているわけです。

今少しずつ神話を学んでいるのですが、アマテラス、、だったかな。戸から出るときに傷しているんですよね。イザナミだったかな。とにかく、アマテラスかイザナミだったと思います、この何か、はじまる時に傷を受けて、傷があるままに、あたらしい物語がスタートするって、ひとつの原型、イデアみたいなものなのかなと思います。(神も傷をつけてスタートしているということです)

もちろん、自分の家族に行きつかなくても、目の前のことにしっかり対峙し乗り越えることで、大いなる気づきが起こるということも、いうまでもなく言えます。生きるということが治療そのものというか。症状即治療、というような感じ。

あと! わっちが本当にこの2年間で、痛感してるのが、自立についてにまつわることなんですが、自立って、経済的に自立するとか、精神的に自立する、とかもあるのですけれど、わっちの考えている自立って、かなり究極(高度)で、それは、リズ・ブルボーさんから教えていただいた


自分の身に起こることは100%自分の責任である、とわかる。


ということに尽きるんですよね。ただ、これはかなり高度な意識状態でもあるんです。

ホ・オポノポノでも、「全て自分の記憶」としてクリーニングしますよね。目の前に起こることは自分の記憶である、と。自分の記憶には、歴史が始まって以来の記憶が詰まっている。それを、一つ一つクリーニングしていく、と。ダスカロスのエレメンタルの考え方も、似ているかなと思います。エレメンタルは、人が思うと眉間の間からぴゅっと出て(!)ずっと生きている。世界中に夥しい数のエレメンタルが浮遊し影響を与え、あるいは与え合っている。

(アルコール中毒などは、このエレメンタルがずっとぐるぐるぐるぐる同じところを行ったり来たりして、中毒状態になる、と、どこかに書いてあったような、、)

ダスカロスについての読書会もまた春以降に開催できたらと思っていますが、とにもかくにも! 自覚しないと、、、、自分が「これなんだな」と自覚しないと、、、、自分の思い癖だったり、思い込みだったり、傷だったり、癖を「これだ」と見ないと、机上にあげないと、いつまでもぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、同じことを考えていたり、同じ場所から出られなかったり、同じような問題が繰り返し起こったり、(形態形成場として、、修正反復、、乗り越えようとして、修正反復が起こる)するのかなと思ったりしています。

で! 
今日はここからです(ぜいぜいぜいぜい)!

わっちは、こういった、自己への気づきや目覚めについて、冷えとりをはじめとするセルフケアを通して、進めていった経緯があり、またそれを本に書かせていただいたりしているのですが!


たとえば「あたらしい自分になる本」シリーズ(全3冊)とか、近著では、『自分をたいせつにする本』(プリマー新書)だったり、ですが、、、

こういった方法は、もう一生続けるもので、またこれからの時代も必要だなと思うのですが、3次元が5次元に移行しているこの世界で、とても有用になってきているのが、芸術のもつ力、なのかなということなのです。


今回、「小城弓子 またたきのは」展を企画し、全体を監修させていただいたり、図録を編集させていただいたりする中で、また、クロージングの時の青葉市子さんのライブを目の当たりにする中で、あるいは、自分の「みれい音のちいさな宇宙」配信(4月1日に配信します!)をはじめてみたりする中で、痛感していることなのです。


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