「そういうのっていちばんやさぐれているの。いちばんやさぐれているときって、やさぐれていることさえわからないの」から、いよいよ、次のレイヤーへいく追い風が吹いている気がします
み、な、み、な、さまっ!!!!
こんばんは!
月末になると、ブログ連投の服部みれいでございます✨
というか! 今日で3月おしまい!!
嘘でしょー!?っていう感じです。毎月こんなこと言ってるけど、気づいたら年末になっていそうです。(いやん)
そうそう、今日この回のコメント欄見たら!
とてもとてもたくさんのコメントをいただいていて
ありがとうございました。しかと拝読させていただきました。
みなさんの気づきや、感想、ぶんぶん首を縦に降りながら、しかと受け止めさせていただいています。
このコメント欄だったかな、次のブログのコメント欄だったかな、わっちが今日書きたそうと思っていたことを書いていらした方がいて。
わっちがね、自分が傷つけられたままにしていると、誰かを傷つけてしまう、というようなことを言い続けているのですが、これに補足をしたくて、、、その「誰か」というのは、他者というだけではなくて、「自分」も含まれる、ということなのです。
傷は、自覚するまで、見つめて、解放するまで、無意識で連鎖する、と感じているんです。もちろんね、無意識のうちに解放されていくこともあると思う。それは、大いなる自然の中で、自然に癒されるとか(わっちの父・みれパパは、若い頃登山が大好きで、よく、「こころの洗濯に行ってくる」と言って高い山にのぼりに行っていたわけですが、そういう形で解放している方も多いとおもいます)、あるいは、芸術に癒されるとか(音楽や絵画や映画やダンスや……そう言ったものを楽しんだり、自分が行ったりする中で自然に癒されているケースも多いと思う)。
ただ、そのクリーニングやクレンジングって、自動的に起こるものもあれば、自分でできることもあるというかね。ずっとその自主的に、自主クリーニングや、自主クレンジングの方法について、発信し続けてきた約14年間だったかなと思うわけです。
最初は、エコロジー的な問題意識だったけれど(マーマーマガジン創刊の頃は)、でもそれってつまるところ、ひとりひとりの意識の問題やんって……
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