なぜ、今こそ、「ごきげんなBBA」なのか
みなさん、こんにちは!
書くといったら書く、服部みれいです。
コメント欄が賑やかになってきて
うれしい気持ちでいっぱいです。
(またおレスもしてまいります、
すこしお待ちくださいませね!)
今朝、『生きのびるための事務』を読了しまして、
「そうはいっても」となったというコメコメガールのために
『生きのびるための事務を読むための事務』という解説本を
執筆することもできる、、などというひらめきが起こりましたが
他人の土俵で相撲を取るということはしたくないですから
このアイデアは却下です。
拙著でいうと、同じマガジンハウス刊行の
『わたしらしく働く!』という本(自分の体験談)をベースにした本で、
「生きのびる」を読んで、「よっしゃー!」って
あの円グラフを書いた人、たくさんいるだろうなって思いました。
(昨日会った編集者さんも書いたって言ってました! あっぱれ!)
と、同時に、「そうはいっても」ってなる気持ちもわかるにはわかる。
そこは、別にご紹介したもう1冊の本をお読みになったりするといいかもですし、
「自分の思い込み」を外していく本を
読んでいくとよさそうです。
「稼ぐ」とか「お金」って、本当に、自己肯定感とか、自己承認欲求とか、
自己否定感とか、親との関係性、とか、チャクラで言ったら
第1、2、3、という下位チャクラとバリバリ関係があって
ここがズタボロだと、「そうはいっても」と出てくる可能性がある。
拙著でいうところの「着ぐるみきた状態」だと、「いいわけ」が出てくるんですね。もっと言ったら「葛藤」が出てくる。
もちろん、「事務」によってそこを突破する人もたくさんおられると思う。
(そのための本ですものね)
いずれにしても、
人が、次なるフェイズへ行く時って
「もう懲り懲り!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
とならないと次へいけないのだというふうにわたしは感じています。
(自分もそうだったし)
「そうはいっても」っていう時は
ごめんなさい、少しまだ余裕があるのかもです(底をついてないというか)。
そして、最後、「どん底」知ったら、這い上がるだけになるのかなと思います。
だから、底にタッチした人、万歳なのです!
さあ、ここで聞いていただきましょう!
岩崎良美さん、『タッチ』。
「あなたーからタッチ!」「手を伸ばして受け取ってよー!」
ふむふむ。
いい曲ですねえ。
ちなみに、今週の声のメルマガでカラオケについて話ていますが、
10年に約1回から3回くらいしかいかないカラオケで、
この曲もよく歌います(あだち充先生が大好きなんです。過去に、浅倉南ちゃんにインタビューしたいという企画を出して、断られた経験があります。残念!)。
そうそう、お金の話でした。
お金のことや稼ぐこと、仕事については
めちゃめちゃ「洗脳」されていると思っていて
(自分でフリーランスで食べていき
はじめて少しずつ少しずつ気づいていきました)、
つまりは、極論を言うと「ある方向の稼ぎ方しかない」と
教え込まされている。
学校の先生もその中で稼いでいるから、先生も教えられない。
親も大勢がその思い込みの中にいるから教えられない。
自分で掴むしかないわけです。
(そこで、坂口恭平さんは事務の本を書いてくださっているわけです。
こうやって、どんどんいろんな「思い込み」を外す本や情報が出ている感じがします)
ただ、これもそれも(そういう「ある方向での働き方」)、
いままでの時代=祖の時代には
とっても必要だったし大事なことだったから、
まあ、「洗脳」と言いますか、
こんなふうに「教育」されていたことも意味があったとも感じます。
(いい学校行って、いい大学へ行って、いいところへ就職して、
いい人と結婚して、こどもを産んで、そのこどもをいい子に育てて、いい学校に入って、いい大学に入って、いいところに就職して、いい人と結婚して、こどもを産んで、いい、、、、永遠に続く、、、)
えっ??? ちょっと待って。
これで、本当に本当に本当に本当に、みんながたのしくしあわせになってんのかい? っていう話ですよね。
この辺りは、真剣に自分が答えを出さないとならないところです。
もちろん、いい学校、いい大学、いい就職、、、、で幸福になっている人もいるに違いないです。でも、幸福になっていない人もいるかもしれないです。
ひとつは「合っていない」です。
わたしは、猛烈に「合っていなかった」んです。
勉強も、学校も、大学も、就職も(会社で働くということも)。
ぜんっぜん性に合ってなかった。やばいくらい合わなかった。
だってこころを思いっきり病んだんです。
そのうち、薬を飲んでいたから、からだも病んでいったわけだ。
(、、からの、、、36歳でひえとり健康法、アーユルヴェーダにであったという流れですね)
何度も言いますが合っていて、
楽しくてそこにいると健康な人はいいと思います。合ってるんだもの。
ただわたしは、そこに違和感があったり、何なら病んだり、
何ならなんか上手くいかなくて家にいることにしたり、どうしようと思っている方々に対して、ヒントを出していけるのではないか、そういう特性があるのではないかと感じています。
「11年就職していて、半分は辞めたいという気持ちと共にいた」
なんて話を聞くと、、「ぶはあ(想像して漏れた声)、、、、、本当によくがんばった! でも、もう終わった話はいい。これからは、ひとつも葛藤なしで暮らせるよ」ってついついいいたくなってしまう性分なのです。(性格ということでどうか許してください)
葛藤をもつってことが、なんかデフォルトみたいになっちゃっているけど
絶対にそんなことないです。
葛藤なしで生きていけるし、それってらくで楽しくて
何より健康的なんです。
実際、こころもからだも健康になっていきます。葛藤がないと。
、、、とお金の話だった。
「お金が、睡眠導入剤みたい」というのは
あるお金の一側面を表した、ある極論ではあります。
ただ、「なくても眠れる」=「なくても暮らせる」かもよ、って
言いたかったんです。
あるいは「眠り方別にあるかもよ」=「稼ぎ方会社員だけじゃなくていいかもよ」
って言いたかったともいえます。
お金は、祈りになることもある。
お金が、勇気になることもある。
お金が、喜びそのものになることもある。
もう無限に意味づけがあります。
すばらしいものでもあります。
でもとんでもない闇の世界を動かすものにもなる。
お金って無色透明なんです。
どう扱うかは人間の意識次第なんです。
働いていないから価値がないなんてことは
絶対に、どう考えても、ぜーーーーーーーーったいないです。
断固としてない。そんなわけない。
それって、本当に「家畜的」な発想だなと思うんです。
牛舎を運営している人がいます。
その中で、もうお乳が出なくなった牛さんがいたとします。
「お乳が出なくなった牛さん、価値ないな」
っていうのと似ているなと思う。
そんなわけないですよね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
例えば、ある犬ちゃんが、
山の中で倒れた飼い主を助けようと走って走って山を越えて走って、山里に降りてきて、誰かをよんだ途端、ばたっと倒れたとする。
(犬は自分の役割をやり切った状態です)
「この犬、価値ないな」ってその犬ちゃんみていませんよね?????????
頑張って頑張って頑張ったら、倒れて、休みたいですよね???
いま、人間の社会で起こっていることのいくつかは
こういう側面があると思います。
わたしたち、家畜でしょうか?
わたしたち、頑張って走ってその後疲れて休んだら、そのことにさえ罪悪感を抱かないとならない、そんな存在? そこまで洗脳入っちゃってるんでしょうか?
違うと思います。
どんな存在も、生まれたことに意味があり、価値があり、
そして充電されていたら元気でまた、何か自然にからだが動いて、役割が生まれる。そういうものだと思います。
何か動けないときは
もうじっとして、エネルギー貯めるしかない。
休んで、セラピー受けたり、背中をさすってもらったり、
誰かに祈ってもらったり、見守ってもらったりして、
あとは美味しいもの食べたり、綺麗な景色見たりして
ほっとするしかない。
そうして、誰もが、「自分自身」でいるとき、
絶対に全体と調和しているんです。役割が自然にある。
食べていけないなんてことはないはずなんです。
(この辺りは、マーマーマガジンフォーメン3号で特集した中島正さんの思想に
触れてほしいです)
それは、自然と共に人間があるとき(田んぼの作業をやる時とか)に、
はっきりとわかります。
そんな時、みんながウンセワッセと作業していて、
でも一人だけお茶飲んで休んでいる人がいても
それも「うつくしい風景」として、また「みんなを見守ってくれる人」として
ありがたい存在になるわけです。
こんなすばらしいバッファ、、、ゆとり、緩衝、あそび、、、
みんな全員で担保していこうよ!!!!!!!!!!!!
って思うんです。
(人口が増えているならなおさら、なんです。
戦って減らしている場合ではない。
もっと賢く乗り越えられるはずだとわたしは思うな)
ただ、それも疲れていてはできない。
余裕がないと、余白がないと、
すぐに、罪悪感のループや、
あるいは誰かをジャッジし攻める側になってしまうんです。
社会のある部分はめっちゃそうなってます。
これって、本当にからだにできる「がん」みたいだなと思う。
自分が自分を責めちゃってる。
とにかく、疲れたら休むこと。
勇気を持って立ち止まること。(いや、勇気なんかいらなくて、心身の不調で他止まらされる人も多いですよね。からだって本当にすごい自分の味方です)
誰かに助けを求めること。
(離婚や子育ての相談は、お金がなくても、行政で受け付けてくれます。
もし1回電話してみて、窓口の人がイマイチだったら、また別の窓口って、、あきらめずに門を叩くんです。そうやって、本当に助けを求めて、大変な結婚から子どもと脱出し、元気にシングルで子育てしている人もいます)
自分だけは自分の味方をしていること。
そんなことを
どんな時も忘れないでいただきたいなあ。
そして!
こういった「余裕」を人々に担保するあり方それが
それが
それが
それが
ごきげんなBBA!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(おばさん、ですらない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
ドヒャー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
わたしはただただごきげんなBBAでいる(繰り返しますが、おばさんですらない、BBAです)。
自分がまずそうしている。そうしてみんながごきげんでいるためのことを
していくと決めたんです。
どうも、清廉潔白??!?!! よくわかんないけど
そういうパブリックイメージがあるのだとしたら、
(まあ、それはそれで自然でいいし、いうほどそんなに気にしてもいないんだけど|てへぺろ、、、ほんとどうだっていいです)
ちょっとずつ、自分自身と近づいていくようなこととも
関係があるのかもしれないですね。
はー、毎日2000字くらいにしておこうと思うのに
5000字超えてしもうた、、、。
とにかくわたしはブログを書くのが好きで好きで仕方がないんです。
好きで楽でたのしいことをやるのは
本当に建設的だと思う。
いきなり仕事にしようとしないで、
趣味だとしても
ものすごく楽しいことがあるというのは
めちゃめちゃ大事なことだと思います。
それで誰か1人でも喜んでくださるなら尚更です。
人類が、本当に自分が何が楽しいかがわかって、
その楽しいことを自分に堂々ともたらすようになって、
そうして溢れた愛を交換し合うだけで
わたしは秒で平和が来ると思ってます。
そうして、先日のケルマデックさんの話だと
日本人女性がとても大事だということで、
その意味もすごくわかりますし
(タッピングの遠隔も女性しかできないらしく、
それはミトコンドリア???か何かの理由らしいです)
とにかく、まずはあのワークをやります。
「そんなこと言っても」って思わない人、
「やります」となる人に参加してもらって
(別にどこかに集まる必要はなく、あることをするだけなんですが)
まずは、11月16日です。その日は満月だからです。
ホント、
月って何なんでしょうね。
人工物?
でも、愛先生の月の反転ファッションみたいに
利用することができますよね。
わたし、やりますよ!
人生、何があるかわからないな。
あ、こちらも、めいいっぱい楽しみたいと思っています!!
按田優子さんと思いっきりたのしいことを体験したいと思っています。
ではではどうぞどうぞ
よい週末をお過ごしくださいー!
服部みれいどえした!
チャオは今日も海水温熱受けてくるんだん!
(と思ったら満席でした! みなさんが受けてくださってうれしい! わたしはまた今度受けます!)