表現のこと
みなさん、こんにちは!
ずっしんずっしんと一歩一歩踏み込むように冬まっただなかという感じになってきましたが、みなさま、お変わりありませんか? ここのところ、いつもブログのアップが月末に集中してしまう、服部みれいです。
なぜって、時間の速度がはやすぎて、、同時に、「皇の時代」的に、「ゴロゴロ、ボー! 楽に、たのしく」を完璧までとは言わないけれど、日々、できるかぎりのんきにすごそうと思うと、、こんな感じになります。わはは。でも、この感じ、ぜんぜんきらいじゃありません。まさに今のわたしのタイム感、という感じです。
タイム感、、少し前のピアノレッスンで、拍の勉強をしたのですが、こう、イメージはむっちゃゆったりとした2拍子なんだけれど、そこにこまかく音が入っているような。むかしでいうドラムンベース、、、というのもしっくりこないんですが、なんだか変拍子でものすごく速いんだけれど、ベースのリズムはゆったりしているという感じです(どんな感じ!?)。
みなさんは、どんな拍をきざんでおられるでしょうか。人がどうとか、時流がどうとかいうより、いよいよ自分らしい拍をきざめと天は地はいっているでしょうか。
さて! ピアノといえば。
先日の河合悠展最終日のインスタライブにて、この展示のために書いた詩、そしてその詩にあわせる即興のピアノ演奏をさせていただきました。夜中の0時ー40分ほど行うという点も含めて、あたらしい体験がもりだくさんでした。
いや、詩をつくって音楽とともに朗読する、というのは、「森道市場」という愛知県の大人気フェスで(ほんとうにいいフェスなんです!! 感動します)、アイリッシュミュージックパーティのみなさんとともにポエトリリーディングをさせていただいたことをきっかけに、ときどきは行っていたのです。この場合の詩も即興で、アイリッシュミュージックパーティさんの音楽(リハ)を聴かせていただいて、その場(森道市場)で書いて読むというものでした。
今思えば、あの場で詩を書くということは、あの場の、土地やひとびとの無意識みたいなところにつうじるみたいな行為で、なんだか自分が書くというより、その土地や人々が書いたみたいなことになっていたのかなと思う。目に見えない世界(妖精さんとか)が参入して、よりおもしろいものになるというか。その場にマッチしたものになるというか。
今回も、同じように、河合悠展の初日に、4つほどの詩を書き、そのままにしていたのですが、流れに流れて、最終日読むか、ということになったんですね。ただ、ピアノの即興は、直前に悠くんからもぜひといっていただいて、やることになりました。
んにゃーーーー、これは自分ではハードル高かったんですよね、、、。
ピアノ即興、じつはかなり昔から、自分ひとりではやっていたことで、自分としては「即興」という名前もついていない何か、だったのであります。なんか、練習曲とか課題曲弾くのあきて、勝手に、弾きだして、そのうちじゃんじゃか止まらなくなって、髪の毛振り乱して弾く(イメージです)、みたいな、、、。当時書いていた詩と同様、ひとさまにお見せするとは思っていなかったんです。
詩も、完全に、自分で自分のためにつくる精神安定剤、とはでは言わないけれど、自分のこころ、あるいはからだのバランスを詩を書くことでとっていた。日記もそうですが。あくまで自分のための、超絶個人的ないとなみであったわけです。
(きっとピアノの即興演奏も、今思うと、からだとこころのためになっていたきがします。あと、ぜんぜん関係ないですが、高校時代演劇部で燃えていたというのも、あとになってわかるのですが、すごく自分の精神やチャクラバランスを整えていたなと、、、あの時代に演劇やっておおきな声だして演じるということをしていなければ、いまごろわたしはどうなっていただろうと思いますですね、、、)
でも、その日は突然きました。
悠くんのリクエストでもあるし、でも、直前まで、詩だけにするかも、、、とかなり弱気なこともいっていたんです。ところが、シンギングリン鳴らしたりしているうちに、いけるかも、となりました。あくまで詩の「かえし」的なピアノならできるかなあと。タリラリラ、となりました。
結果、自分としてはやってよかったです。アーカイブは見ていないのですが、あの日、0時から体験した身としては、やってよかったです。うまいとかへたとかじゃなくて、なんだろな、やってよかったっていうことしかうまくいえないんですけれど、拙いながらも、ピアノつけてよかったです。
ひとつは、わたしのピアノの調律です。かなり調律くるってたんですけれど、それでもおそらく、441とかあたりのヘルツになっていたんじゃないかなと思います(ピアノとかクラシックの調律ってそうなってるんですかね)? あとわたしのピアノもとってもやわらかくていい音色なんです。だから、わっちのテクがどうのこうのっていうことを凌駕し、あの音を聴いていただく価値はあったかなと感じたりもあとからしました。
そして、よかったなと思ったいちばんの理由が聴いてくださった方の中に、眠ってしまった方が多くいらしたことです。もちろん! たいくつだったとか、聴いてられなくなったとか、もちろん深夜だったということもあるけれど、わっちは、眠ってしまったというのがほんとうにうれしかったのです。
よく、講演会とかトークショーとかでも、最前列で寝るかたっているんですよ! わっちの話がつまんないのかなあと思うけど、その人以外はほとんどばっちり笑ったりして聴いてくださっている。そういうときに、わっちは、すごくその寝ていただくのもうれしいなという気持ちになります。
植原紘治さんのルン・ル体験を重ねているということもあるかもですね。ルン・ル、会場に行ったら、すぐに横になって、そのまま、ずっと寝たみたいになっているわけですから、、(寝ているのか寝ていないのかの中間くらいですかね)。
そういえば、テリー・ライリーのオールナイトコンサートへの尊敬の気持ちもあったかもです。
テリー・ライリー、、、。東京に住んでいたとき最後にみたコンサートだったかも(ずっと立ちっぱなしでたいへんなコンサートでした。オールスタンディングにしては、会場が縦長で、そこでただただぎゅうぎゅうに立っている自分までインスタレーションの一部のように思えたものでした)。
(そうそう、テリー・ライリーさんは、85歳から日本に住んでおられるのですよね。今もおられるのでしょうか??? またライブ観たいなあ!)
あと、こんな演奏方法の動画も見つけました。
in C の演奏方法ですって! こうやってみていくと、ある意味で、 宇宙タイミング演奏ともいえますですね。
なんか、無有無さんと妖精の会をしたときに、みんなで声を出したときみたいなことですよね。こういう方向の宇宙タイミングの芸術がもっともっといっぱいになりそうです。こう、正しいとか正しくないとかがない音楽というか。シンギングリンとか、ペンタトニックの楽器とか。
あ、有名なこの演奏も思い出しましたです!
こちらの演奏は映画館で観ましたですねえ! 懐かしい!
そうやって考えると、音楽ではないけれど、郡上おどりも、その場で輪に入って習うとか習わないとかじゃなくて踊る感じも似ているかも。
とにかくすぐやる、その場でやる、、、あれ、、
これって
あの、、、
その、、、、、
例の、、、、、、、
タリラリラ理論ではないですかッ!?!??!?!?!?!
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
そうです、時代は、この音楽、このタリラリラが鳴っているのに気づいたら輪の中にはいり、踊っているってやつです。
ひらめきと行動が同時の世界。踊れるか踊れないか、男子と手を握るの恥ずかしいやんとか、誰と手をつなぎたいわんとか、そういう欲や損得勘定なげうって! 輪のなかに入る! 踊る! それから考える! という理論のことです(理論っていうか、ただそれだけなんだけど、、、)
そのおおもとのタリラリラ、、を教えてくださったのは、そう、あのkaiさんなんですよね。昨年のインスタライブかなにかでそんなお話してくださって、ほんとうにそうだな、と思い、その後ずっとタリラリラ理論タリラリラ理論いってます。
kaiさんといえば!
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