「発達おじさんが生まれた」きっかけになった話
「どうして発達障がいって分かったんですか?」
まぁ、就活に限らず生活してたらよく聞く
あるある話。
今から遡るほど約5年半前。
ボクは「発達おじさん」になりました。
発達障がい(ADHDとASDの併発ADHD強め)の
診断が出て、市役所を経由して障がい者手帳を
取得しました。
今日はボクが発達おじさんになった経緯のお話です。
その当時、とある専門学校の
キャリアセンター職員兼教員として
働いていました。
メイン業務はキャリアセンターでの業務です。
毎日学生達のエントリーシートを
一緒に作り上げたり、
面接練習をやったり、
実習を希望している学生の実習先に
受け入れ可否の連絡したりと、
忙しい日々を過ごしていました。
今だから、何故そうなったかは分かるのですが、
とにかく細かいミスや漏れが多くて、
センター長や先輩から生暖かい眼差しで
見られておりました。
但し、15年前にうつ病の診断を受けて以来
通っていた心療内科は、
専門学校で働き始めた5年前には
寛解判定をいただき、
「何かしんどくなったらおいで」
の言葉を最後に通院のない生活を送っていました。
しかし、専門学校で働き始めると
ジワジワとストレスを感じる事が増え、
うつ病を患っていた頃の症状が
再発する事が増えました。
妻はボクがうつ病である事を知って
結婚しているので、
「うつ病再発したんちゃう?」と
心配しくれていましたが、
土曜出勤の日も多く、
なかなか受診に至りませんでした。
そんな秋口、ボクがメインでは無かったのですが
気が合う学生の方の一言が胸に刺さりました。
その学生の方は春から就活にチャレンジするも
思い通りのご自身の良さが伝わらず、
対人恐怖が先に出てしまい、
吃って面接にならない面接を繰り返し、
ご本人も相当滅入っていた様です。
夏休みに本人が実家に帰ったタイミングで
地元の心療内科を受診すると
発達障がいが、分かったと晴れやかな顔で
ボクに教えてくれました。
その方は無事障がいに理解のある会社に
入社したと伺っています。
そして、その方の話を聞いて、
その方の特性がまるでそのまま
ボクの行動そのものだと気付き、
急いで昔掛かっていた心療内科で
お世話になっていた主治医のある日を狙って
予約を取りました。
うつ病が再発しそうである事と、
学生の話を聞いて自分も発達の可能性が
あるのではないかとと思うので、
心理検査を受けてみたい事をお伝えしました。
結果、上記の通りの診断が出て、
めでたく発達おじさんこんにちは。
正確には、
「発達障がい(ADHDとASD併発)と、その二次障害によるうつ病」でした。
現在では、
「発達障がい(ADHDとASD併発)と、その二次障害による双極性障がい」です。
年取るに連れて長くなる診断名。
なお、初めて障がい者手帳を申請した時は
等級が3級でした。
自覚する症状も多くあったけれど、
最後の一押しは支援していた学生からの
一言でした。
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