一回限りのキリストの犠牲(2回目のミサ)
先週日曜、2回目のミサに行ってきました。
ミサで読まれたのはヘブライ人への手紙。
>>この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度御自身を捧げることによって、成し遂げられたからです
「一回限りのキリストの死」という大事な考えのようです
今読んでいる本の中でも書かれているけれど、このキリストの犠牲一回によって他のあらゆる犠牲が不要になる。
何も支払わずに天国に行ける。
それが救いということなんでしょうか。
現実的な供物も、貧しい人ほど厳しい時代だったでしょうし、キリストのおかげで対価を支払わずとも良いというのは大層な救いになったのかも、など想像していました。