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終わりに近づくかのような。



超大型台風の過ぎ去ったつい先日、25歳の誕生日を迎えました。


当日は仕事でバタバタしていたし

お祝いしてもらうはずだった日は台風で外が大変なことになっていたので一歩も出ず

やっとお祝いのケーキと、ご飯が食べられて実感が湧いてきた、今日この頃。



いくつになっても、誕生日は特別なものですね。自分にとってだけ、一年で一番特別な日。



意外とたくさんの友達からお祝いの連絡をもらって、常日頃、友達少ないなぁーと思っている私はかなり嬉しかったり。

まだ連絡くれる人がこんなにいるんだ!みたいな。そこから会う約束ができた人も何人もいるし楽しみもできました。誕生日パワーだね。





ところで25歳。

兄や友達から、アラサーじゃんと言われることが何度か。特に男の人からか…

うるせー!だからなんじゃ!と、言わないけど思ってましたね、はは。言わないけどね。



なんなんだろうね、世の中の30歳への「女の終わり」みたいな感じ。たぶん25〜30くらいの人はみんな経験したことあるんじゃないかな?嘲笑ってくる…と言ったら言い過ぎかもだけど、なんか焦りを強要してくる感じ?


父からもその昔「クリスマスケーキ」の喩えも聞かされましたけどね。今なら口にケーキ突っ込んであげようか?くらいは言えるかしら。




何が言いたいかって、

私は歳を重ねるごとに楽しく生きたいんですよ。実際今が楽しいですよ。若さがなくなっていくからって、終わりに向かってくんじゃないんですよ。だから勝手に、決めつけないでほしいんですよ。


若さに重きを置いて、勝手に哀れむような男の人から、「女として」見られることなんて、私にとって大事じゃないんですよ。



どうやったって老いるでしょ。

肌も、体も、今はまだまだ若いと思うけどずっとこのままでいられるわけない。


だから、30歳や40歳になって、すごく楽しい、楽。と最近よく女優さんが言ってくれているのが心強いんだ。見た目がどうとかじゃなくて、生き方のことを言ってくれている。


勿論、女として見られること、大事だと思う人のことは否定しない。私だってそれでお得な思いをしたこともあるしね、嫌な思いをしたことも同じかそれ以上あるけど。

だから、そこに価値があると思う人の気持ちもわかる。


でも、私の考えは、「女として」というより、「人間として」歳を重ねるごとにどんどん引き出しを増やして、洗練されて、魅力的になっていくことが大事だと思う。

そして、そうやって自分を充実させて生きていきたい。そしたら男も女も関係なく素敵な人が周りにいてくれると思うんだ。


あくまでも主語は「私」ですけどね。



言葉に出したらうわ、冗談の通じないめんどくさい奴だって言われるんだろうな。ふふ。


でも、そんな失礼な「アラサー」のレッテルに負けたくないんだもーん。

いろいろ書いちゃったけど楽しく生きようね25歳









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