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捕球率/日常

 きょう1日ぼんやり考えていたことのうち、表に出せるもの。

捕球率

 わたしは手が届く範囲の幸せは、取りこぼさず100%キャッチしたいと思っている。
 要領が悪かったり、何かのミスで取りこぼしたりすることはあるけれど、それでも70%くらいはキャッチしている、という実感はある。なので、何事も努力が大切だ、という気分で生きている。
 仮にこれが50%くらいだと、物事がうまくいくかどうかは「50:50」になるのだから、世の中すべては「運」次第だ、という考えに至るのだろうか?
 普段生活していて、他者との認識のズレのようなものを感じることがあるのは、いや、「生き方」のズレのようなものを感じることがあるのは、もしかしたら、このあたりに原因があるのかもしれない。

 いままで考えたこともなかったけれど、「世の中って思い通りにいかないな。やっぱり、世間は厳しいんだな。世知辛いな。でも、そういうものだよね」みたいな考え方ってあるのか?
 だとしても、最終的には自分次第だと思うのだけれど。

 「大切なことは意識して大事にする」というだけの、ものすごくシンプルなことだと思うのだけれど、それすらさせてくれない環境っていったい何なのだろう、と思う。だから人間不信におちいっている。

日常

 音楽にしろ、映像作品にしろ、「出来すぎたもの」、「計算された段取りでできているもの」、「あきらかに面白く見せようとしているもの」みたいなものにたいして、近頃「そこまでするの?」、「力みすぎじゃない?」と感じる自分がいる。
 もちろん、「すべてがかみあっていて、ずっと心地よい」みたいな作品がいちばん好きなのだけれど、中途半端に非日常をつくるくらいなら、むしろ「舞台裏」とか「楽屋トーク」のほうが、むしろ面白いまであるんじゃないかしら。
 今後、個人でコンテンツをつくっていきたいと考えている身としては、この辺注意したほうがいいのかもな、と思う。
 きっちりプロットをねりあげて「上質なフィクション」をつくるか、「つくりすぎない日常感」を大切にするかのどちらかなのではないだろうか。

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有坂初荷は「箱庭師」
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