仮説
前置き
猫は耳がいいくせに、人間の言うことなんて聞きやしない。自分に都合のいい言葉しか覚えない。なんて話を耳にするけれど、わたしが思うに、彼ら(猫って言語によっては女性名詞だっけ?)ってセンサーの性能にたいして、脳みその性能がともなっていないんじゃないかしら。
頭が悪いということではなく、むしろ耳や鼻の性能が高すぎて、それらから入ってくる情報を全部は処理できないから、限られたリソースというかキャパシティというかを、シビアにやりくりして、自分の生命に直接関係ない情報は、意図的に無視しているということ。
人間で例えるなら、「(悪魔との契約等によって)目を3つ以上持っているのだけれど、いちどに処理できる視覚情報は目2つ分なので、同時に〈開眼〉できる目は、2つだけ」みたいな感じ(少年漫画の敵キャラの設定みたい)。
いつでも、どこにでも。
仮に人間の意識が、既存の時間や空間の枠組みを超えて「いつでも、どこにでも」存在できるようになったとしても、きっと人間の脳みそは、すべての時間にいる自分を同時に認識することはできない(あと、肉体という制約があるので、自分という容れ物の外には出られない)。
となると、そういった状態にある人間の意識というのは、「彼我の境界を持つ、無数の〈今〉を、永遠に生きる」ような存在になるのだろうか。
まあ、このへん、とっくの昔に偉い人が考えているのだろうけど。
映画『メッセージ』と、その原作の『あなたの人生の物語』では、たしか「逐次的認知様式」と「同時的認知様式」みたいな言葉で、人間と宇宙人であるヘプタポッドの世界の見え方の違いを説明してたような気がする(本編だったか、解説記事だったかは不明)。
AC6
アーマードコア6の世界観において「コーラルリリース」した後の人類の意識というのは、これに近い状態にあると考えられる。
たとえば「"インビンシブル" ラミー」というキャラクターは自分のことを「無敵」だと思い込んでいるという設定のある登場人物であるが(アリーナランク最下位)、彼も自分が死ぬまでの時間軸においては、常に生存状態でAC乗りとして戦場に立ちつづけていることになるので、彼がそのような妄想に取りつかれることにたいして、単に「コーラルドラッグの常用者だから」という説明以上の考察ができそうな気もする。
なによりも、主人公をサポートしてくれるルビコニアンの「エア」にたいして、個人的に抱いているモヤっとした感じも説明できそうな気がする。