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水・闘/ハイドロギュムノス1.01(本編)
部屋の壁面をまるまるひとつ使ってレイアウトされた彼の蒐集物には、なんら統一性がなかった。
そこには骨董品やメダルの類はなく、眼鏡やハンカチ、靴やボールペンといった、人が普段身に着けているようなものが等間隔できれいに並べられていた。
彼の家をときどき訪れる彼の知り合いは、それを見るたびに「遺失物保管所」といって呆れ顔をした。
彼もそれを否定はしなかった。ただ自嘲的な笑みを浮かべて、冷やかしなら帰ってくれと言うのみだった。
事実、そこに並べられているもののなかで、彼が対価を払って手に入れたものは、なにひとつとして無かった。たまたま自分の目の前に転がってきたものを、思い出の品としてピックアップしているに過ぎなかった。
なぜそんなことをしているのか、彼自身にも理由は分からなかった。
自分は狂っているのだろうか、と部屋を訪れた知り合いに訊ねてみたことがあったが、どこか悲しげな笑みが返ってくるだけだった。
♢♢♢♢♢
眩暈を覚えるような陽気な喧噪を抜け、ようやく自宅が見えはじめると、隣を歩く癸乃は、8分と23秒ぶりに口を開いた。
まるで息継ぎをするようにも見えたけれど、25メートルを泳ぎ切るのに、途中で何度も蛇行しなくてはならないという彼女には、それほど長く息を止めておくことは不可能だろうと、立鰐は思った。
「あなたが隣人でよかった。まだ、蕎麦も与えていないというのに」
そう言って長い黒髪を片手で軽く払う癸乃のしぐさは、どこか人のことを試そうとしているように見え、立鰐は少しだけ身構えた。
妙な言い回しをする。我、未だ蕎麦を与えず。今日びそんな風習を気にする者などいないだろうに。それに、蕎麦を持っていくのは自分のほうだ。
「だとするなら、キミは運がいいほうだと思うけれど」
立鰐は慎重に言葉を選び、あたりをつけるようにしてそう言った。
「そうかもしれないけれど、わたし一人だけよければよい、というものではないと思うの」
好感触というほどではなかったが、そう悪くない返しだったらしい。
「だからといって誰かに責任があるわけではないさ。語りえぬものについては沈黙せねばならない、という言葉もあるくらいだし」
癸乃はふむ、と言うと自宅の前で少し考えこむように立ち止まる。どうやら互いに意図することは同じだったらしい。
「なるほど」
そう言って癸乃は再び歩き出そうとする。立鰐はそれを片手で制すると、彼女の家の玄関を指した。
「ありがとう。あなたには説明の必要もないと思うけど、そういうこともあると思うの」
「そうだね。慣れてるかも」
「じゃあ、また明日」
どことなく上機嫌といった様子の癸乃を見おくると、立鰐はすぐ隣の自宅へと向かう。時刻は17時32分。通常はグレーのタイル地をしている外壁のサイディングが、ちょうど自動修復中で、まっさらになっていた。
立鰐は鍵の掛かった扉の前に立つと、扉と外壁の間にあるわずかな隙間に指を差し込み、鍵も開けずにそのままずぶずぶと自宅に「浸」入した。
汝、蕎麦をとり給へ。長い黒髪に切れ長の目をした、いかにも優等生然とした癸乃が、まるで神様の使いといった装いで蕎麦を届けに来る様を想像すると、立鰐はなんだか可笑しくなった。
仮にもし、自分ではなく彼女のほうが”能力者”だったとしたら、彼女はどのような技能を背負い、自らをどのように名乗っただろう、という思いが脳裏をよぎったけれど、まったく想像もつかなかった。
不運にも人に技能が兆すとき、それはその者の人格や才能の影響を受けることが多いという。自分に兆した技能が「逃げ」たり「隠れ」たりするのに適しているのは、おそらく自分の臆病な性格のせいだろう。視覚や聴覚などの一部の身体機能が増幅しているのも、そのほうが自分の生存を維持するのに都合がよいからにちがいない。
自らを「立鰐」と名乗るのは、せめてもの虚勢というよりは、いかなる荒波の中でも立っていられるようにという、ある種のまじないのようなものだ。
自らをどのように名乗るかについては、能力者のセンスが問われる。忌字を嫌う傾向が強いが、あえてその手の漢字を好んで使う者も少なからずいる。伝説上の生き物の名前を拝借する者もいれば、身近な動植物の名前を用いる者もいる。
自分で自分の名乗りを決め、能力者同士の”協会”に自分の存在を申告し、親元をはなれる。
最近知り合った能力者は、自らを荒樫と名乗っていただろうか。
「何を言っているのか分らんが、お前らのような連中はとにかく排除しなくてはならない」
光を反射しない真っ黒なローブに身を包み、頭部を赤い防具で覆った「鬼灯頭」の男は、手にした金属製の長い棒を見せつけるように振り回すと、そう言った。
鬼灯頭。黄昏どきになると、能力者たちから街を守るために、どこからともなく現れる、自警団のような存在だ。立鰐が突然この鬼灯頭に襲われたのは、つい3日前のことだった。
「何度も言うように、ぼくには攻撃の意図はないよ。それに、ぼくの知らない他人の行動に関しては責任を負いかねる」
「・・・いま俺は、お前の話をしている!」
そう言いながら、鬼灯頭の男はまるで獣のような速度で距離を縮めてきた。
非能力者が能力者に敵うはずはないのだが、自らすすんで鬼灯頭となる人間は非能力者の中でもとりわけ身体能力の高い者が多い。相性にもよるが、稀に能力者に勝る者もいるという。
無秩序に振り回される金属製の棒の軌道を正確にみきりつつ、立鰐は身を反らしながらじりじりと後退する。棒の先端部分がほんのりと発光しているのは、電撃を放出する装置が内蔵されているからだと聞いたことがある。
さて、どうしたものか。
どのタイミングでこの戦闘を切り上げたものかと考えていると、立鰐は自分の背後から別の気配が急速に接近してくるのを敏感に感じ取った。
立鰐は咄嗟に両手を広げると、人体の骨格の構造を無視したような体制で思い切り腰を落とし、後方から飛来する殺意をじゅうぶんな余裕をもって回避する。
ぐしゃり。
平穏に日々を送っていると、なかなか耳にすることがないような音とともに、鬼灯頭の男は目の前から消え去った。わずかに遅れて、遠くのほうからくぐもった音が聞こえる。
急いで体制を整えると、立鰐は目の前に立つ乱入者の意図を推しはかった。
「まあ、気にするな。貸しは無しだ。いや、無いのか」
そう言うと乱入者の男は、少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。黒いレザーのジャケットに指抜きのグローブという、もはや冗談としか思えないような格好が、不思議とよく似あっていた。鬼灯頭を殴り飛ばした右手の拳にも、痛みは残っていないようだ。
「そんなことはありません。あなたの助けがなければ、どうなっていたことか」
「おまえ、面白いやつだな」
指ぬきグローブの男はそう言って握手を求めてきた。
「自己紹介をしておくべきかな?」
「それは、あなたにお任せします」
「このまま互いに他人同士、ということもなかろうよ。俺は荒樫。お前は?」
立鰐は相手に自分の名前を伝えると、どのくらいの期間この街に住んでいるのかを荒樫に訊ねた。
「さてはお前、性格悪いだろ?」
「まさか。ぼくにそんな趣味はないですよ」
「おそらくだが、お前も最近この街にやってきた。そうだろ?」
「そうですね。だいたい1か月くらいです」
「俺も、だいたい同じくらいだ」
「今までにも同じようなことが?」
「そうだな、何度もあった。それだけが取り柄みたいなもんだからな。自分にできることは、進んでやる。それだけのことさ」
「すばらしい心がけだと思います」
「お前ならどうする? 仮にもし、お前が俺と同じ立場なら」
「もし仮に、ぼくが今よりもずっと勇敢なら、あなたと同じことをするでしょう」
「前提条件が違えば、出力も違うということか」
「その通りです。ぼくには勇敢さも力強さも気高さもありませんが、それでも自分にできることを精一杯やろうと考えています」
「ありがとう。時間をとらせちまったな」
「いいえ、必要な時間でした」
「お前とは、また会うかもしれないな」
「是非」
互いに別れを告げると、立鰐と荒樫はそれぞれ別々の方向へ歩き出した。
♢♢♢♢♢
私用で癸乃を残して先に下校していた立鰐は、癸乃から届いたメッセージを確認すると、彼女が待っているであろう公園へと急行した。
今日はバスやタクシーを利用したほうがよい、ということは事前に伝えておいたが、どうやら一人で歩いて帰ることに決めたらしい。
癸乃曰く「散って吹き溜まった花びらといっしょに、今年もまた春は取り払われてしまった。日中は快適な木陰をつくりだす新緑も、西日を遮るのには適していないようだ」とのこと。
2人がはじめて出会った桜の木の近くで待っているが、陽が傾いてきたので、暗くなる前に見つけてくれということらしい。
自分だけが知っている近道を使って、なるたけ最短経路で目的の場所に到着した立鰐は、公園のベンチに座り1人で本を読んでいる癸乃を見つけた。
「もはや目印にするには不向きのような気もするけれど」
立鰐はベンチに近づくと、桜の木を見上げながら癸乃に声をかけた。公園に植えてある樹木は、1本だけあるサクラを除いては、ツツジやイブキなどの中低木ばかりだった。そのため、桜の木がほかの木々に埋もれてしまうということはなかったけれど、花の散ってしまったサクラは遠目にはただの「木」としか認識できないようにも思えた。
「そうかしら。仮にこの木が切り倒されていたとしても。あなたはきっとここにたどり着くことができたわ」
たしかにそうかもしれない。とはいえ、目印もなしに彼女がこの場所に到着できたのは、奇跡にも等しかった。おそらく、偶然この場所にたどり着いたのだろう。
「陽が沈む前に帰ろう」
そう言って癸乃に近づくと、彼女はわずかに顔をしかめた。
「ところであなた、なんだかとても、都市衛生に対する挑戦といった香りがするわ」
近道をするために、人があまり好んで通らないような場所を移動したからだろう。彼女は、なんだかとても自尊心に対する暴力といった言葉で距離をおいた。
「これには紆余曲折あってね。いや、まっすぐ来たからね」
「この前の仕返し、ということでもなさそうね」
「まさか。事故みたいなものだよ」
そう言うと、立鰐は公園の外へと癸乃を誘導した。
♢♢♢♢♢
夜。すらりとした彼のシルエットは、暗闇の中にひときわ深い輪郭を描き出していた。その姿はまるで、錆びつかないように特殊な塗装をほどこしたナイフのようだった。
彼のすぐ足元に横たわるもうひとつの人影は、彼が「始末」したものだろう。
周囲には、近くの解体中のビルから運び出された廃材や、静かに眠る工事用の特殊車両があるだけで、彼以外に人の気配はなかった。
立入禁止の看板に取り付けられた警告灯の点滅が、心臓の鼓動のリズムであたりを照らし出す。
すでに、すべてが終わったあとだった。
彼は自分の獲物には目もくれず、ただその場に立ち尽くすと、少し気恥ずかしそうに頭を掻きつつ言った。
「待っていたよ。そこにいるんだろ?」
立鰐は男に呼びかけられると、さすがに近づきすぎたかと、自分の迂闊さをひとり反省した。
「さあ、はじめようじゃないか」
指抜きのグローブをはめた右手の拳を己の左手の手のひらに突きつけると、荒樫はそう言って、立鰐の隠れる仮設のプレハブ小屋にゆっくりと近づいてきた。
鋭。扉ごしでも分かるほどの剥き出しの殺意は、まるで具体的な形を伴っているかのようだった。これほどまでに露骨な攻撃性は、並の人間であれば、あてられただけでその場にうずくまってしまうだろう。いや、大抵はこれに気づく前に息絶えるのだ。
破。なるたけ相手の殺意の正面に立たぬようにしながら扉の前に立つと、まるで弾丸のような拳が扉を突き破って侵入してきた。
予想通りの直線的な攻撃に素早く反応すると、立鰐は身を反らしながらその場から跳び退く。
わずかにあいた窓の隙間から、すみやかに建物の外に避難すると、いつの間にか回り込んでいた荒樫の拳が背後から飛んでくる。
立鰐はそれすらも正確にみきると、身をひるがえしながら相手との距離をおいた。
「さすがだ。お前はこの軌道すらみきるのか」
そう言いながら、荒樫はすぐさま距離をつめ、次々と攻撃をくりだしてきた。時折悔しがることもあったが、彼は戦いそのものを楽しんでいるように見えた。
左、右とつづけざまにくりだされる高速の拳が、空気との間に摩擦熱を生み出しそうなほど凶悪な一方で、ときおり攻撃のつなぎとして用いられる蹴りは、それよりはずっと見劣りした。
一見すると、反撃のチャンスとして利用できそうだが、おそらくはそれが荒樫の狙いなのだろう。
あえて隙を見せつつ、相手の反撃をさそい、それを逆手にとって利用する。素直で短絡的なように見えて、こと戦闘においては、きわめてしたたかで柔軟だ。それが、荒樫に対する立鰐の評価だった。
だからこそ立鰐はあえて、相手が決め手として選ぶであろう右ストレートを捕まえることにした。
釣り餌として繰り出された相手の蹴りをあえて受け止めると、軸足を狙うかのようなそぶりを見せつつ己の片腕の関節の結合を緩め「触腕化」する。予想通り飛んできた右ストレートの衝撃を逃がすよう体をひねり、触腕化した腕を鞭のようにしならせ相手の腕に巻き付ける。
立鰐はそのまま、独楽をまわす要領で相手の腕に巻き付けた自分の腕を勢いよく引き抜いた。
瞬時に立鰐の意図を見抜いた荒樫は、慌てて両足を宙に浮かせ、その場で一回転すると、はじめて自ら相手との距離をおいた。呼吸を整え、自分が無傷であることを確かめるように肩をまわす。
「なるほど、そんな手があったとは」
「残念です」
「すまないな」
まさか謝られるとは思っていなかった立鰐は、はじめて少しだけ心が痛んだ。能力者たちは善意や悪意といった「意思」に重きを置かないため、自らの行いを顧みることが少ないからだ。
さてと、どうしたものか。
互いに決定打のない戦いを永遠とつづけられるわけではない。持久力という点だけでいえば、荒樫のほうがはるかに有利だろう。
頃合いを見計らって身を隠さねば――立鰐が撤退方法を模索していると、周囲から無数の足音が近づいてきた。
「こちらこそ、割り込むようなかたちになってしまって申し訳ない」
そう言ったのは、黒いタイトなセーターに身を包んだひとりの男だった。
男は軽く両手を広げると、ゆっくりと立鰐と荒樫の間に割って入る。肩にかかるくらいの長さで綺麗に切りそろえられた銀色の髪の毛が、暗闇のなかでぼんやりと浮かび上がっていた。
銀髪の男が争う2人の間に到着すると、どこからともなく無数の鬼灯頭が現れ、周囲を大きく取り囲むようにして整列する。
「ここから先は、ぼくが引き受けよう」
それを聞くと、立鰐は軽く安堵のため息をつきながら後退る。
「あんたが噂に聞く”執行官”ってやつか」
「はじめまして。ぼくは蝕縫と言います」
「よろしく頼むよ」
「はい、よろしくお願いします」
再び拳を左手の手のひらに打ち付けると、荒樫は目にもとまらぬスピードで蝕縫の懐に入り込む。
繰り出される拳に軽く手を添えながら体を反らすと、蝕縫は素早く身をひるがえして、じゅうぶんに相手と距離をおいた。
「さすがのスピードだ。どおりで立鰐が緊張を強いられるわけだ」
そう言うと蝕縫は、どこか悲しげな顔をしながら相手に真っすぐ人差し指を向けた。
線。暗闇を駆ける一筋の殺意は、まるで光を受けた蜘蛛の糸のように怪しげだった。一瞬のうちに荒樫の左肩には直径1センチほどの小さな穴があき、あたりには血の焼けたような臭いが漂った。
縫。つづけざまに蝕縫が左手の人差し指を空に向けると、今度は荒樫の右の太ももに小さな穴があく。
一瞬何が起こったか分からないという顔をしていた荒樫も、すぐに状況を飲み込むと、慌ててその場から跳び退いた。
蝕縫は挙げていた両手をいちど下におろすと、今度は両手で拳をつくり、真っすぐ目の前に突き出した。深く息を吐きつつ、かたく目を閉じる。
思っていたよりもずっとはやく自らの命運が尽きたことを悟った荒樫は、最後の力をふりしぼって、蝕縫へ接近を試みた。
荒樫のほうへ向けられていた拳を蝕縫が勢いよく開くと、繊細な光の糸が次々と、まるでまとわりつくように荒樫へ向かって放たれる。
はじめは傷をかばいながら器用に相手の攻撃をかわしていた荒樫だったが、蝕縫の元へと近づくうちに、その体はどんどん小さくなっていった。
♢♢♢♢♢
ぞろぞろとその場を後にする鬼灯頭たちと入れ違いになるかたちで蝕縫に近づくと、立鰐はあたりを見渡した。
「相変わらず手加減が下手だな」
「苦手だからね」
荒樫が両手にはめていた指抜きのグローブを回収しようと、立鰐は彼の両手を探したが、残念ながら左手しか見つからなかった。右手はどこかに消失してしまったらしい。
荒樫の左手を拾い上げそこから指抜きのグローブを抜き取ると、立鰐はそれを自分のポケットにしまいながら蝕縫を見た。
彼は言葉が見つからないといった様子で、悲しげな顔するだけだった。
♢♢♢♢♢
おわり。
以下、カットシーン。
警戒を解きつつ、やれやれといった様子で両手の手のひらを相手に向けると、立鰐は軽くため息をついた。
「扉ごしでも分かったよ」
「なぜ分かった?」
「本気で言ってるのか?」
「そうじゃない。俺の拳の射線上には立たないようにしてただろ。どうやった?」
「どうやった? ふむ……きわめて感覚的な事柄だから、説明はむつかしい。そもそも、自分の頭の中にあるものを寸分たがわず相手に理解してもらうのは困難だ。おそらくは不可能だろう」
「そりゃそうだ。同じ言葉を話しているからといって、見えているものが同じとは限らない。見え方や感じ方は人それぞれ異なるし、世界を認知する能力も異なる」
「解像度が違う、という話だったか。相変わらずの能力主義者だ」
「能力という点でいえば、個人の持っている技能によっても、世界の見え方は変わってくる。俺は典型的な戦闘タイプだが、おまえは典型的な感知タイプだ。技能のちがいは、人生観や生死観にも影響をあたえるだろう。たとえば、俺にとっての死は、ある意味で必然であり、同時にある種の名誉でもあるが、おまえにとってのそれは予期せぬ事態であり、文字通り手痛い失敗だ。目の当たりにした情報を然るべき場所に持ち帰れないというのは、契約の不履行を意味するわけだからな」
と、言われても。相手に備わっていない感覚を言葉にするのはむつかしい。猫や狐に「なぜお前たちは地中にいるモグラの足音が聞こえるのか」と問うたところで、人間族を憐れむような視線がかえってくるだけだろう。
「逆に訊くが、なぜお前は音速を超えるような速度で、己の拳を突き出すことができる。なぜ、それに己の肉体が耐えられる?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「分かったよ」
「助かるよ」
注釈:立鰐と荒樫の「日常」っぽい雰囲気の会話。プロットをつくる前の試し書き(イメージを掴むため)の段階では、荒樫と立鰐は同じクラスの友人同士、という予定だった。
あとがき
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