パンデミックとBLMで変化するNYCで 豊かさとは何かを考える
ニューヨーク市ではロックダウン緩和の第1フェーズが今週の月曜日から始まった。建設業や製造業などに加えて衣料品店や書店など小売店の一部も店の外での物品の売り買いを条件に営業を再開できる。それでも街を歩いてみるとほとんどの店がまだ閉まっている。観光客もいないし学生や多くのニューヨーカーは街を抜け出したままだから無理して開けても採算が合わないのだ。新型コロナの影響で閉店せざるを得ない状況の中、先月から活発になった人種差別への抗議活動に乗じた、抗議活動とは関係のない悪人たちによる略奪行為が発生したからどの店も慌てて入り口とショーウィンドウに板を打ち付けなければならない事態になった。そのせいで街はこれまでよりさらに見慣れない様相になっている。 ガラスを破って盗んだ品物を両手に抱えて走る人の姿を目の当たりにしたときは胸をわしづかみにされたようなショックを受けた。その身なりを見る限りでは生活に困窮して仕方なく…という様子でもない。盗品が自分を豊かにしてくれると感じるのだろうか?
そして思う。私にとって豊かさってなんだろう。
昭和の時代に生まれた「連想ゲーム」というクイズ番組があった。男性と女性チーム、いまではポリティカリーインコレクトとも思える形式、で点数を競い合う番組だ。答えは各チームのキャプテンと視聴者に明かされていて、チームのメンバーたちはキャプテンが出すヒントから連想して答えを当てる。我が家では家族揃ってこの番組を見るのが習慣だった。番組の途中で視聴者にも答えが隠され「番組をご覧のみなさんも一緒にお考えください」というのが数問出された。それがやってくるとうちも男 vs 女に分かれて答えを考える。うちの家族構成は父、母、私と妹の4人なので父は1人でいくつもの答えを連想しなければならない。昔気質な大工の棟梁で普段は無口な父がこの時だけは声を出していた。あるとき父の口から出てきた答えは「加藤さん!」。画面に映っていた男性チームのキャプテンだった漫画家の名前をそのまま叫んだ。素早く正解してやろうと意気込んだせいで思わず間違えて呼んでしまったのだ。父本人も私たちも一瞬、へ?となり、そして父が照れくさそうにヒヒ、っと笑った。その一連の自分たちの反応がおかしくて一斉に家族全員が大笑いをした。そのときの、楽しいとはちょっと違う、体の芯が暖かくなった感覚をいまも忘れられずにいる。ずいぶん大人になってからあれが幸せというものか、と知った。経済的な余裕はないが日々の生活の中に小さな喜怒哀楽は豊かにあった。
妹には重度の心身障害がある。一般の学校には通えず、彼女は成長に合わせて異なるデイケアや施設に通っていた。小さいころは数回に渡って外科手術を受け、リハビリにも長い時間を費やしていた。我が家は妹を中心に生活を考え、授業参観や学芸会など私の学校のイベントに母や父が来たのは数えるほどしかなかった。小学校が夏休みになると、妹の世話で手一杯だった両親は私を宮城県の親戚に預けた。預けられた先は猫の島で知られる田代島という小さな島(この島での体験は別に書いているので興味がある方は読んでみてください)で、都会っ子の私にはトワイライトゾーンのような異空間だった。両親と一緒に夏を過ごせなかった悔しさから私は心の中で「島流し」と呼んでいた。 大人になってから私がこの「島流し」の話をするとしばしば同情された。涙を流す人もいた。そうか、誰かの世界では私は可哀想な子どもになるのか!とそれまで思いもよらなかった見方に少し気持ちが落ちた。と同時にその体験は私の内面を豊かにした。私たちは自分の尺度で他人を測ることはできないのだ。「島流し」は結果として私の人生を豊かにする思い出を残すことになり、妹が生まれてきてくれたおかげで自分だけでは気づかなかったような視点から人や物ごとを見たり感じたりすることを知った。
私が暮らすニューヨークはまだパンデミックから回復途中の、閑散とした板張りの街だけれど、その張り巡らされた板をキャンバスにアーティストたちが描き始めたグラフィティやメッセージが次々と目に飛び込んでくる。ランチタイムには、板の向こうから黄色の安全ベストに白いヘルメット姿の工事現場で仕事をする人たちが続々と出てくる。街はいまリノベーション・ラッシュでもあるのだ。経済の再開に向けてソーシャルディスタンシングを考えた改装をする店もあれば、長引くロックダウンに持ちこたえられなかった店の取り壊しも始まっている。怒涛の勢いで広がった人種差別への抗議は力強く続き、少しづつ社会を変化させている。 私たちは病気と差別によって多くの命を失ってしまったけれど、悲しみや絶望の中で小さな喜びと希望を見つけて前に進む。私にとっての豊かさとはそうした人の強さであり優しさだ。壊されても倒されても復活してきたこの街には豊かな人々のエナジーが溢れている。
連想ゲームで「加藤さん!」と叫んだ父は2年前に他界し、もう家族4人で笑うことはできないけれどあの時に得た小さな幸せは確実に私の心の豊かさの中心にある。
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