今日ニューヨークで再び考える、差別と命 -相模原障害者施設での事件から4年
はじめに、命を落とされた19人の方にあらためて哀悼の意を表します。
「ハルさんだったかもしれない」電話の向こうで母がそう言ったのを覚えている。私はニューヨークで事件を知り、日本で重度の心身障害がある妹と暮らす母が動揺しているのではないかと電話をしたときのことだ。実際には母よりも私の方がはるかにショックを受けていて母の言葉の意味がうまく理解できず鼓動が速くなって苦しかった。ハルというのは私の妹の愛称だ。「お母さん、ハルさんが養護学校のころあの施設を見に行こうと思ったんだもの」母は続けた「もし入所していたら、ハルさんはしゃべれないからきっとダメだったと思う」。
辛い記憶が蘇ったりする方もいるので事件の説明は簡潔にしたいけれど、これは2016年7月26日未明に知的障害者施設の元職員が、重い障害がある人は「生きる意味がない命」と考えて19人の命を奪い、職員を含む26人に重軽傷を負わせるという恐ろしく、悲しい事件だ。
日本では21世紀直前まで、国が費用を払って障害のある人に子どもを産ませないようにする優生保護法という優性思想を持った法律がまかり通っていた。戦争に敗れ、食べるものも住む場所も不足していた日本が人口政策として生まれる子どもの数を減らそう、減らすのなら健康な子どもだけが生まれるようにしようという人権を無視する危険な政策だ。さらに高度成長期を過ぎ、"戦後"という時代が終わり、国が豊かになってもこの法律が存在し続けたことがいまの差別や偏見につながる要因の一つだ。この条例は1996年まで存在していたのだ。数字上や外見を豊かにする努力はしたが、心を豊かにすることに目を向けずに進んできた結果が差別を生んでいる。
私は同じことを別の場所でも書いているけれど、何度でも書こうと思う。 障害がある、ない、また年齢や性別に関わらず「生きる意味がない命」などない。生きている人たちは誰もが人権を尊重されるべきで、生きているということに価値がある。
もしあなたが重度の障害のある人を見てこの人は可哀想だとか、この人の家族は不運だと思う人がいたら、こう伝えたい。 障害はほかの人と違いがあることで、それは可哀想なことではありません。苦労はあります。でもそれは不幸だとか不運ではありません。
もし障害者は生産性がないから生きる価値がないと思う人がいたらそれは違います。生まれたとき数年しか生きられないと医師から言われた妹が今も生きていてくれることの価値はとても大きい。私は小さな存在だけれど、妹から受けた刺激や、彼女が生きていることで知った人の反応のしかた、私のものの見かたが私の人生とキャリアにいきている。私が関わった番組や文章を見たり読んだりしてくれた人たちは私を通して妹の存在を受け取っている。父は妹のために文字通り汗水を流して仕事をしていたし、母は妹を育てる中で地域を始め重度の障害者に理解を求めるためのさまざまな取り組みに参加してきた。家族に障害者を持たない人でも障害のある人から刺激を受けて人生に生かしている人はたくさんいる。
障害者は国や地域、時として個人からのサポートが必要だ。それを迷惑だと感じる人、そんな余裕は自分にはないという人もいるだろう。だからと言って差別をしたり社会から排除しないでほしい。サポートできないのであればせめて傷つけることはしないでほしい。少しづつ社会は変化しているけれど未だに障害のある人とその家族にとって障害は心身だけではない。私はかなり大人になってから母の本棚の中に「この子たちは生きている」という全国重症心身障害児(者)を守る会が編集したものを見つけた。1983年に創刊された本でどんなに弱い命でも大切にする心を説いたものだ。障害者を育てる中で母はこれを心の支えにしていた時期もあったのだと思う。ボロボロになったその本を手に取ったとき、障害者とその家族は社会という心身の外にも障害があるのだと実感した。
子どものころ、妹のことを思って大泣きしたことを覚えている。 私は西城秀樹というアイドルに激しく恋をしていて、歌を聞いては歓声をあげ、部屋中の壁を隙間がないほど彼のポスターで埋め、秀樹が出演してるドラマの中で彼が誰かと恋に落ちそうになろうものならテレビの前でシクシクと泣き出して両親をあ然とさせていた。秀樹を好きでいることが嬉しかった。ある夜、夢に出てくるようにとプロマイドを枕の下に入れたとき、隣で寝ている妹の寝顔を見た。その時ふと「ハルさんは誰が好きなのか。もしかしたら恋をすることができないかも」という考えが頭に浮かび、可哀想になって涙が止まらなくなってしまった。何年かそれを思っては隠れてポロポロ泣いた。しかしそれは全くもって私の勝手な思い込みに過ぎなかった。ハルさんは私のように手の届かないアイドルではなく、通っている養護学校の先生に恋をして、その先生と手を繋いだり一緒に歌を歌って、毎日笑っていたのだった。母からある日そう教えられて自分の浅はかさに情けなくなった。
たとえ意思疎通ができない、何も理解していないように見える障害者であっても、みな力いっぱい生きている。私たちがそんな彼らを理解できる能力がないだけなのだ。健常者と呼ばれるマジョリティーの人たちは、障害者というマイノリティーの人たちを自分たちの枠にはめることをやめ、柔軟性を使ってマイノリティーのほうに合わせていくことで、結果的に双方にとって生きやすい社会が生まれていくのではないのか。排除するのを止めることで自分もインクルーシブされ、差別を止めることで、自分も差別から解放されるのだから。
相模原事件の犯人の罪は大きい。「ハルさんだったかもしれない」という母の声、そして力いっぱい生きていた19人の被害者とそのご家族を思うと今でも変わらず言葉にはできない悔しさと悲しさの気持ちが湧く。
それでも、死刑で犯人の命を奪うことに私は疑問を持つ。つい24年前まで続いていた国の優生思想の法律、そしてこの相模原事件が起きたあとも政治家によって、生産性のない人間に税金を投入するのが果たしていいのか、という発言、今月の初めには、必要な時には高齢者から先に逝ってもらうという旨のいわゆる「命の選別」発言が出るような今の社会が、この相模原事件の犯人を死刑にしていいのだろうか。生きていることがその人の価値だと誰にも知らされなかったことで犯人は自分の生きている価値を障害者を差別、排除することに見出そうとしたのではないのか。もしそうだとしたらこれは犯人個人の問題だけではないのではないか。
失われた命のために、そして事件に遭い精神的に辛い気持ちが消えない被害者と全ての家族のためにも私たちはこの事件を忘れず、考え続けなければならない。
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