4件目 真実

『女子高生刑事怪奇録』前回までのあらすじ

 所轄勤務の女性刑事・細川晴は、ひょんなことから女子高生刑事・山村薫の部下となり、警視庁特殊事象捜査課特別捜査班、通称・トッパンに配属された。
 トッパンのなすべきことはただ一つ。怪奇現象とそれにまつわる事件の解決だ。
 彼女らが立ち向かう怪奇とは何か。その解説を受けた晴の下に新たな依頼が舞い込む。声を失った青年の謎を解き明かすため、高尾山へと向かった2人の前に、新たな脅威が立ちはだかった。

ーーー

『女子高生刑事怪奇録』第四話

作:湯郷五月

「人に徒なす妖怪はボクが成敗します!」
 山村薫。16歳。小柄な少女。腰まで届く黒髪と黒真珠のような丸い瞳が特徴だ。彼女の印象を見た目だけで語るなら可憐な美少女と言っても良いだろう。
 しかし今、彼女の手には打刀(うちがたな)が握られていた。それは彼女の風貌によく似合っていた。今が江戸時代であればの話だが。
(一体どうなってるの……?)
 薫の背後で腰を抜かしている晴(はる)は眼前の光景を現実のものと捉えることができなかった。それもそのはずだ。刀を携えた薫、自分を襲ってきた山彦(やまびこ)という妖怪。そして、まるで魔法のように現れた武器。
 ロンドンでも彼女が刀を出す場面は見た。つい先日、鎌鼬(かまいたち)という妖怪の捕獲にもかり出された。しかし、その経験を経てもなお眼前の光景を理解することは難しかった。
「はあ!」
 先に動いたのは薫だった。上段に構え、瞬時に間合いを詰める。即座に踏み込んで袈裟掛けに刃を振るった。
「速い!?」
 しかし、当たらない。まるで軌道を読んだかのように刃が振り下ろされる瞬間、化け物は飛び跳ねるように躱したのだ。
 薫の頭上を回転しながら舞ったソレは、目標はお前だと言わんばかりに晴に飛びかかった。
「晴さん!」
 すぐさま反転した薫は切っ先をソレめがけて突き出す。
「うわあ!」
 だが、剣先は虚空を通過するだけ。危うく晴の脳天に突き刺さりかけた(生来の反射神経でなんとか避けることができた)。
「ちょっと、薫ちゃん! 危ないでしょ!」
「何言ってるんですか! 山彦に襲われかけたのはそっちでしょう!」
 それはさっき「やっほー」と言わせたことがそもそもの原因だろうが。
 いや、それは良い。今はそれが問題ではない。薫が山彦という妖怪のスピードに全くついていけてないことが問題なのだ。
「さっきからチマチマと。あっちゃん、うっちゃん、挟み撃ちにしてください!」
 そう呼べばどこからともなく現れる2匹の狛犬。薫曰く、自身の式神である。
 一対の狛犬もとい式神は左右から山彦を挟み撃ちにしようとした。しかし、距離を詰めた瞬間に、また頭上へ逃げられてしまう。
「何よ、あれ」
「あっちゃんとうっちゃんの素早さを持ってしてもダメですか」
 体操選手のように空中で回転した山彦は華麗に着地すると登山道、すなわち下山ルートに向かって逃げ出してしまった。
「まずい! 追いかけてください!」
 薫がそう言えば、2体の式神は妖怪の後を猛然と走っていく。
「ボクたちも行きますよ!」
「えっ! えっ!?」
 未だ混乱が収まらない晴であったが、薫とはぐれた方が大問題だ。逃げ出した化け物の後を追いかける以外の選択肢は残されていなかった。

「木々の間に逃げましたね!」
「待って! こっち遊歩道外れてるわよ!」
 山彦を追って猛スピードで登山道を駆け下りる2人。しかし、ターゲットは整備された道を外れ、鬱蒼と生い茂る木々の中へ消えてしまったようだ。
「だからって追わないわけにはいかないでしょう!」
 既に山彦を追って式神たちはその中に飛び込んでしまった。そして今、薫も規制線を越えて木々の中へ姿を溶け込ませていった。
(全くもう……)
 高尾山は標高こそ高くないものの立派な山だ。整備された道を外れればそこは自然の楽園。人間が足を踏み入れて無事で済む保証はできない場所である。野生の動物がいるかもしれない。急斜面があるかもしれない。決して安全とは言い切れない場所だ。
 それでも晴は思った。
(薫ちゃんを見失う方がまずいわよね)
 腰の二丁拳銃はトッパンの証だ。1つは人間用、もう1つは怪奇用。その怪奇用のハンドガンを一撫でし、覚悟を決めたように規制線を飛び越えていった。
 ひとたび人の手が加わった場所を離れれば、もうそこは自然の世界。足下は平らかでないし視界も悪い。だが、彼女の後ろ姿はすぐに捉えることができた。黒髪と白衣のツートンカラーはよく目立つ。
「薫ちゃん!」
「晴さん!」
 後から追ってきた晴をちらりと横目で見る。幾分安堵したような表情が垣間見えた。
「どうしたの? 私があなたを置いていくと思った?」
「まさか。来てくれると信じてましたよ」
 強がりだ。そう感じられたが口には出さなかった。
「それで? やつは?」
「木々の上を移動しています。あっちゃんとうっちゃんが追ってくれていますが、こちらから手出しできる距離ではありません」
 木々の上を移動するのであれば、こちらも木に登るか遠距離攻撃を仕掛けるか、はたまた空中を移動するかぐらいしか手段はない。
「どうするの?」
「そうですね。まずはやつの足止めをしなければなりませんね」
 足を止めて頭上を見上げた。
「山彦は声に反応する習性を持ちます。それを使えば距離と方角を把握することは可能です」
 刀の切っ先を地面に突き刺した。
「晴さん、発砲を許可します。すぐにでも撃てる準備を」
「わかったわ」
 詳細は読めないが薫に何か考えがあることは理解できた。すぐさま腰の拳銃を引き抜く。
「良いですか。ボクが撃てといった方向を撃ってください」
「ええ」
 撃鉄を起こす。それと時を同じくして薫は大きく息を吸った。
「やっほーーー!!!」
 薫の声が響き渡る。その瞬間だった。
「やっほー」
「晴さん、そこを撃ってください!」
「オーケー」
 薫が後方を指さすと瞬間バーンという発砲音。枝葉が折れる音と何かが移動した葉擦れが耳に入る。
「ちっ、外したわね」
 それは晴なりの勘だった。10年来の経験から得た勘だ。しかし、薫は至って平静だった。
「ええ。ですが、これで一瞬なりとも動きを止めることができました。あとはボクが……」
 瞬間、引き抜かれるお札。それを刀の柄に巻き付ける形で握りしめ。
「雷(らい)!」
 何かが弾けるような衝撃音。地面から火花が散り、晴は思わず身を伏せた。
「な、何これ!?」
「雷撃を引き起こす術式ですよ」
 弾けるような音が鳴る。地面、木々、枝葉の先。辺り一面に電撃が走っている。
「ああ、晴さんにだけ結界を張っているので動かないでくださいね。1歩でも動いたら感電死しますよ」
 そう言われてふと自身にお札が貼られていることに気付いた。いつの間にやら。でも、これは剥がさない方が良いと思った。直感だ。
「良いですか、晴さん。電気は水分を含むものに通電します。繋がりさえあればどこまでも広がる。今、この一帯は地面も木々も全てボクが通電させました。ここで問題です。今この瞬間、通電していない場所はどこでしょう?」
 それは誰からの回答も待っていない質問だった。薫の口角が上がる。
「答えは空中」
 瞬間、薫の頭上から山彦が襲いかかった。
「薫ちゃん!」
「これを待っていたんですよ」
 刀に背を向け、柄を握り替える。
「空中なら避けられませんよね!」
 切っ先が地面から引き抜かれる。腐葉土が尾を引くように刃先からこぼれ落ちた。
膝を突き、重心を屈めながら狙いは頭上。ほんの一瞬、木漏れ日を刀身が反射する。オーバースローの投手が直球を投げ込むように肘がしなった。背後から抜き出るように刀身が姿を現す。刃は頭上、狙いは空中。
 彼女の斬撃はターゲットが飛び込んでくるタイミングを寸分たがわず計測したように振るわれた。上空から飛びかかる山彦は頭上を切り裂く狙いすました一撃の餌食となる。
 一瞬のできごとだった。ソレは正中線で真っ二つに切り裂かれ、枯れ葉の中に落下した。
「ひっ!」
 晴が小さく悲鳴を上げる。だが、それは次の瞬間、粒子のようになって空気中へと散っていった。
「お勤め完了です」
 刀を投げ出すように手放した。それもまた同じように粒子になって消滅する。最早電撃すら流れていない。
「なっ、なっ……」
 腰が抜けた。いや、膝が笑ったというべきか。まただ。また下半身から力が抜けた。背後の木の幹に背中を預ける。
 もういい加減見慣れたと言いたい気分だ。怪奇と戦うのだと決めたのは確かだ。だが、出動する度に、いや薫と共に捜査する度に、想像以上の出来事に見舞われる。
今度は何だ。結界? 雷撃? 最早科学的な概念を越えている。
「晴さん」
「えっ?」
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
 ニッコリと。ねぎらいの笑顔。ああ、この子は笑うと可愛いんだなと、改めて実感させられた。
「薫ちゃん……」
「はい?」
 これはチャンスだ。今のは何だ。そう尋ねるチャンスだ。聞けば答えてくれるだろう。理解の範疇を超えた出来事だ。丁寧に教えてくれるに違いない。
 だが。
「……お疲れさま」
「はい、晴さんも」
 聞けなかった。足下に2匹の狛犬を従え、さっきまでの戦闘が何だったのかと思わせるような、笑顔の花を咲かせる彼女を見たら。晴は踏み込むことができなかった。
「帰ろっか」
「そうですね」
 また後日で良い。一度に多くのことを詰め込んでもきっと逆効果だから。そう自分に言い聞かせた。
「ああ、ところで晴さん」
「何?」
「ここ、どこですか?」
「……高尾山」
 ごめん、私にもわからない。そう言うことはできず、ジョークで返すことしかできなかった。

 声が戻った。依頼主からその報を聞いたのは、帰りの車の中だった。それはイコール今回の案件の終了を意味していた。
 都心に戻ったときにはもうすっかり暗くなっていた。薫は直帰で良い。その連絡を受けた晴は薫を家まで送り、警視庁に戻った。妙なんですよね。車内でそうこぼした薫の言葉に一抹の不安を覚えつつも、銃使用の始末書と報告書を書き上げ退庁した。
 迎えた翌日は月曜日だった。4月2週目の月曜日。多くの学校では新学年の新学期を迎える時期だ。
 その日の朝、晴はいきなり警視総監からの電話を受けた。前日の疲れが残っているとはいえ、総監からの直電を受ければ嫌でも目は覚める。
 今すぐ我が家に来てほしい。それが総監からのメッセージだった。
 それを受けた瞬間の晴の心情はまさに雷に打たれたかのよう。良いことなのか、悪いことなのか。複雑な思いが駆け巡る。ひょっとしたら昨日何か忘れ物をしたのかもしれない。そんな風に自分を納得させながら、山村家へ車を走らせた。
「相変わらずデカい屋敷よね」
 昨日ぶりの総監宅。すなわち薫の家。夜でもその屋敷の大きさは感じられたものの、日が出ていると尚更よくわかる。
 そもそも何台も停められるレベルの駐車場が敷地内にあること自体おかしいのだ。流石に警視総監。こんなデカい家に住んでみたいものだと思う官舎住みであった。
(総監ともなると豪勢な生活もできるんでしょうねぇ。羨ましいわぁ、薫ちゃん)
 それにしても総監が江戸川区住みだったとは思わなかった。自分が昨年度までいた所轄も隣の地区とはいえ管轄は江戸川区だった。そういえば、以前千歳ちゃんと会ったのも江戸川沿いだったか。学校も近くなのだろうか。
「すみません。警視庁の細川です」
 呼び鈴を鳴らし応答した女性に声をかける。今向かいますねと言われ少し待つと、玄関を開けて現れたのはメイド服姿の女だった。
(メ、メイド!?)
 てっきり母親、すなわち総監の妻だと思っていた。いや、その割に声が若いとは思っていたがまさかメイドとは。メイドを雇える家なのか、山村家は。
「旦那様から承っております。細川様、どうぞ中へ」
 旦那様って呼ぶ人、本当にいるんだ。てか、様付けで呼ばれるのむずがゆい。メイドなどいう人種には初めて会うのだ。
「あの」
「何でしょう?」
「なぜ私は呼ばれたんでしょうか?」
 それは純粋な興味でもあったが、自身の緊張を紛らわす意味での質問でもあった。
「ええ、実はお嬢様が困ったことになりまして」
「お嬢様?」
 薫のことだろうか。
「説明するよりも見ていただいた方が早いかと。こちらです」
 メイドに通された先。そこに広がる光景に思わずため息をついてしまった。
「何してんの……」
 それは地下室へと続く階段の前で盛大に言い争いを続ける薫と壮年のメイドの姿だった。
「いけません、お嬢様! 新学期初日から欠席だなんて!」
「だから! 今は学校どころじゃないんですよ! 古文書を漁らないといけないんです!」
 大方話の流れから推測できた。要は、薫が新学期早々学校に行きたくないとごねているのだろう。
「お仕事と学校とどちらが大事なんですか!」
「どっちも大事だから今日は休むと言っているんです!」
 ああ、めんどくさそうだな。本能がそう告げていた。
「あの、つまり私に薫ちゃんを学校に連れて行けってことですか?」
「その通りにございます」
 いやー、そこ深くお辞儀されても困るんですけど。てか、姿勢良いな、おい。
「それって警察の仕事じゃなくないですか?」
「ええ。ですが、細川様がおっしゃっていただけたら、お嬢様も言うことを聞くだろうと旦那様が」
 それは買いかぶり過ぎだ。そもそもバディを組んで1週間程度しか経っていない。
「これ、無視して帰るっていう選択肢は……」
「ございません」
 ですよねぇ。ていうか、形だけでも何かしたことにしておかないといけないやつなんじゃないかな、これ。総監直々の頼みだし。
「はー、仕方ないわね」
 ここまで来たら成り行きだ。晴は薫と壮年メイドとの間に割って入った。
「あー、ストップストップ」
「晴さん!?」
 なぜあなたが我が家に!? そう言いたげに瞳が揺れた。
「薫ちゃん、どうしたの? 学校行きたくないって? らしくないわね」
 何がらしくないのかは不明だ。山村薫という少女のことだ。学校の授業は退屈だと言ってサボっててもおかしくはない。ただ、そういうことにしておこうというだけのことに過ぎない。
「何ですか。プライベートのことは晴さんには関係ないでしょう」
「それが関係あるのよ。総監から直々に呼び出し食らったんだから」
「父さんが!?」
 驚愕の2文字が表情によく表れている。
「そっ。だから教えて。なんで学校サボろうとしたの? 聞いた感じ、私にも関係ない話じゃないんじゃない?」
 そう言われてハッとしたような表情を見せた。直後、目を伏せて、はーっと息をついて
「そうですね。晴さんにも伝えておきましょう」
 観念したような表情を見せた。
「昨日の山彦、覚えてますか?」
「ええ。声を盗む妖怪でしょ? 超音波みたいなのとか、厄介だったわよね」
「おかしいんですよ」
「えっ?」
 妙なんですよね。薫が昨夜の車内で漏らした言葉が思い起こされた。
「本来、山彦は人間の声まねをするだけの妖怪なんです。人の声を盗んだり、あんな超音波地味た攻撃をしたり、そんなこと本来はしない妖怪なんです」
「どういうこと……?」
 じわっと嫌な汗が噴き出してくるのを感じた。
「ボクにもわかりません。ですが、何かがおかしい。その真意を探るために古文書を読み返そうと思いまして」
「古文書?」
「ええ」
 ふと、地下へ下りる階段へ目をやった。
「この家の地下には大量の古文書が眠っています。全て太古からの怪奇に関する書物です。それを読み返して再検証する必要性に迫られているんです」
 歯がみするような音が聞こえた。
「幸い今日は始業式です。まだ授業は始まっていません。今ならまだ学校を休んでも取り返せます。ですから、今日だけは……」
「薫ちゃん……」
 その事実を知らされれば晴も悩まざるをえなかった。これは自身の仕事にも関わる話だ。下手すれば我々が守るべき民間人にも大きな被害が生じかねない。それだけの話だ。
「でも……」
 だからって学校をサボらせて良いのか? 大人の自分が? それは大人としてやって良いことなのか? そんなことをさせて、胸を張って民間人を守れるか?
 これは葛藤だ。ジレンマ。板挟み。だが、答えは出さなければならない。時間もない。だとすれば、晴の答えは……。
「かーおーるー!」
 瞬間、屋敷内に響き渡る少女の声。この声は聞いたことがある。この柔らかく心地良い、清流のような声の主は。
「千歳!?」
「やっぱいた」
 船橋千歳。薫の幼馴染みにして同級生だ。
「もう、待ち合わせに全然来ないから迎えに来たんだよ。遅刻しちゃうでしょ」
「やっ、千歳、ボクは……」
 問答無用と言わんばかりに薫の腕を掴んで引きずっていく千歳。
「ちょ、千歳。ダメだよ。今日は学校行かずに家にいないと……」
「また出た。そういうのダメって言ったでしょ。仕事が大切なのはわかるけど、学校も同じくらい大切なの。仕事のために学校休むなんて、おじさま絶対に許さないよ。ていうか、私が許さない」
 おじさまというのは総監のことだろう。瞬時に判断がついた。
「あっ、晴さん。お久しぶりですね。どうしたんですか?」
 ふと、千歳のタレ目が晴を捉えた。また会えて嬉しいという喜びと、どうしてここに?という怪訝さが混じっている。
「ああ、私も薫ちゃんを学校に連れて行こうと思って」
「あっ! 晴さん、裏切りましたね!」
 ごめん、薫ちゃん。今は千歳ちゃんに味方するしかないんだ。それが咄嗟に情勢を判断した晴の決断だった。
「わあ、じゃあ晴さんも私と一緒ですね」
「そ、そうね」
 後でどうなっても知らん。今は千歳の側に立つべきだ。
「ほら、晴さんもこう言ってるし。行くよ、薫。遅刻しちゃう」
「ち、千歳。ねえ、今は東京の治安が……」
「薫……?」
 薫に顔を近づけ詰め寄る千歳。その背後にはまるで燃えさかる炎が見えるようだった。
「仕事と学校、どっちが大事なの?」
「し、しご……」
「学生の本分は?」
「……勉強です」
 こりゃ千歳ちゃんを敵に回すのが一番怖いな。そう実感した。何しろ薫がたじたじなのだから。
「じゃあ、行ってきます」
「い、行ってきます……」
 こうして無事に新学期の朝は迎えられたのであった。
「そうだ、晴さん」
「ん?」
「すみませんが山彦に関する古文書を地下から探して運び出してもらえませんか? ボク、昼過ぎには帰れると思うので、それまでにお願いします」
 は? 何だって? では行ってきますと言って千歳と並びながら学校に向かっていったあのチビは何と言った?
「は? え? 私に拒否権は?」
「細川様」
「え、何でしょう」
 いつの間にやら壮年のメイドが晴の側に立っていた。
「そういうことですので、どうかよろしくお願いします」
「ええええええええええええええええええええ!?」
 どうやら逃げ場は無いようだ。

 何かよくわからないけど薫ちゃんの家で古文書探すことになりました。課長にそう連絡すると「わかった。じゃあ、よろしくね。外勤扱いにしておくから」とのこと。
 課長にそう言われてしまってはどうすることもできない。潔く諦めて山村家の地下室に潜った。
「えっと、まずここからここね」
 あの後、薫からメッセージアプリ経由で探すべきリストが送られてきた。しっかり整理整頓されているようで、年代順のあいうえお順になっていることもあり、候補の古文書を探すことは造作もなかった。
(全く、なんで私がこんなことを)
 そうは思いつつも、案外真面目に事を運ぶことにした。それもそうだろう。これは自身の勤めるトッパンの仕事に直結することなのだから。
 嫌な予感はしていた。妙なんですよね。薫のその言葉を聞いてから、どこか違和感は抱いていた。何か釈然としない様子の薫が気になっていた。
 だが、その真意は知れた。だとすれば、少しでも薫の手助けになれることはできた方が良い。彼女のように奇妙な力を使うことができない自分だが、自分にできることは何かあるはずだ。だったら、できることをできるだけやった方が良い。それがより多くの人を救うことになるのだから。
(奇妙な力か……)
 そういえば、結局聞けずじまいだった。どこからか刀を生み出し、式神を使役し、結界も張れば雷撃も起こせる。薫の力は常識の範囲外の存在だ。確かに心強いが、まだ脳内は混乱している。
(式神かぁ……)
 だとすると、彼女は陰陽師なのだろうか。
 そういえば、ロンドンでも切り裂きジャックの封印のため、幾何学模様を並べて奮戦していた。あれも彼女の不思議な力が成せた技なのだろうか。あのとき見た五芒星と奇妙な魔方陣と。それも陰陽師ならば説明がつく。まあ、マンガやドラマの知識しかないわけだが。
「よし、ここまで終了っと」
 考え事をしながら作業を進めると存外早く終わるものだ。1つ目の棚を終えて次は2つ目の棚へ。
「うへー、これ一番下の段かー」
 腰を屈めても見にくく、やむなく這いつくばるような形で古文書を探していく。意外と足腰にくる作業だった。あと、やけにほこりっぽい。整理はされていても掃除は行き届いていないのだろうか。
「細川様」
 ふと、壮年のメイドの声がした。聞いたところによると彼女がメイド長らしい。
「ああ、メイド長さん」
「少し休憩なされてはいかがです? 温かい紅茶とケーキをご用意いたしましょう」
 ふと、腕時計を見ると既に1時間以上が経過していた。
「ああ。じゃあ、この棚終わったら行くので、そしたらお願いします」
 メイドの淹れる紅茶とケーキか。本当に金持ちの家だなと実感する。だが、それが楽しみではないと言えば嘘になる。あまり表には出さないが、元来甘い物は好きなのだ。
「いただきまーす」
 速攻で2つ目の棚を探し終えると、すぐさまメイド長にお願いしてティータイム。
「うーん、美味しいー!」
 普通のショートケーキだというのに、今まで食べたどんなものより美味しく感じられた。ふわっとしたスポンジ、口の中でとろける生クリーム、ほんのりとした甘みにイチゴの酸味がアクセント。
「はー、ケーキが美味しいと紅茶も美味しく感じるわぁ」
 それもまたとても香りが立つ紅茶だった。晴には紅茶の味わいはよくわからない。ただ、香りだけはティーバッグで淹れるものとは違うな、ということくらいは理解できた。
「ありがとうございます。お嬢様はあまり甘い物は召し上がらないので。お喜びのご様子、大変嬉しく思います」
 メイド長も嬉しそうだ。さっき薫と言い争っていたときの鬼の表情とは大違い。
 だが、晴はある一言が気にかかった。
「えっ、薫ちゃんって甘い物苦手なんですか?」
 確かにイメージには合わないが。ただ、甘い物が苦手な人って珍しい気が。
「いえ、苦手ではないのですが。お母様との思い出の味だとおっしゃっておりまして」
「だったら、尚更……」
「だからこそなのです」
 そこでハッと気付いた。よく考えてみろ。この家には薫の母親らしき人物が見当たらない。ただ海外等に出張に行っているだけの可能性も否定できないが。だが、さっきのメイド長の言葉である。それはすなわち……。
「まさか、薫ちゃんのお母さんって……」
「ええ。既に亡くなられております」
 ドクン。心臓が激しく波打った。いない? 母親がもうこの世に。いない。
 この大きな屋敷での生活が羨ましい。そう一瞬でも思った自分を恥じた。だって、そうだろう。どんな豪勢な暮らしができても思春期の少女に母親がいないだなんて。その空白がどれだけ大きいことか。
「細川様?」
「あっ、いえ。すみません、そんなこと言わせてしまって」
 残すのは悪い。そう思って皿は空にした。ただ、さっきまですこぶる美味しいと思っていたものが、全く味を感じなかった。

「ただいま帰りました」
 12時を少し回った頃に薫は帰ってきた。行くときとは違ってずいぶんと晴れやかな声だ。
「全く、始業式にクラス変えに担任の挨拶。わざわざこのために学校に行くなんてバカバカしいですよ」
 悪態つき放題なのは今に始まったことではない。
「お嬢様、そうおっしゃらず。船橋様とは同じクラスになれましたか?」
「バッチリです。これで小中高11回中10回目のクラスメイトですよ」
 なぜそこを誇らしそうにするのかは2人の親密度によるものなのだろう。
「晴さん、古文書は集まりましたか?」
「ええ。ちゃんと帰ってくるまでに全部揃えておいたわ」
「流石晴さん。ボクが見込んだだけありますね」
「いや、押しつけでしょうが」
 良かった。この感じなら普段通り元気そうだ。いつものペースの薫を見て、なぜか安心してしまう。
「晴さん、この場合の見込んだはトッパンにスカウトしたことをですね」
「はいはい、わかったわよ。それより、調べるんでしょ?」
「ええ。ただ、その前にお昼をいただきましょう。腹が減っては戦はできぬ、ですよ。良かったらご一緒しませんか?」
「そうね。私もお腹空いた」
 ケーキ1つに紅茶1杯ではいかんせん保たなかった。折角の機会だからと薫と共に食卓を囲むことにした。
「おや、我が家で誰かと食事をするのは久しぶりですね」
「えっ……」
 何の気なしにそう言った薫の言葉が胸に刺さった。
「ああ、変な意味ではありませんよ。父は警視総監ですし、千歳とは時々一緒にご飯を食べたりしますが、いかんせん1人で食べる機会が多くて」
「そっか……」
 それ以上の会話は望まない。そう言わんばかりに目を伏せた。ただ、それは普段通りの晴ではないことを薫に印象付けるには十分だった。
「晴さん、どうしました?」
「いえ、別に」
 だが、その変化はすぐにかぎつけられてしまったようで。
「もしかして、母のことを聞きましたか?」
「!」
 動揺が顔に出たのがわかってしまった。こういうとき、感情が表に出やすいのが嫌になる。
「ごめん。メイド長さんから聞いちゃって」
「そうですか」
 だって、仕方ないだろう。誰だって母親がもういませんなんて聞けば余所余所しさが出てしまう。
「気にしなくて良いですよ。ボク自身、もう受け入れてますから」
「……!」
 それは薫の本心なのか? いや、そうは思えない。
「そんなわけないでしょ!」
「晴さん?」
 つい、声を荒げてしまった。
「お母さんの死を受け入れてるって、そんなわけないでしょ! だったら、甘い物食べられないなんておかしい! お母さんとの思い出の味を忘れられないから甘い物食べられないんじゃないの!?」
「晴さん……」
 驚いたような目で見られた。自分だって、どうしたら良いかわからない。どうして、声を荒げてしまうのかも。
「たぶん晴さんの思ってるようなことじゃありませんよ。ボクだってそんな簡単には割り切れません」
 ふと、表情を崩して。どうして笑えるんだろう、この娘は。
「ただ、母の作ってくれた不器用で変に甘ったるいケーキの味を、他の甘い物で上書きしたくないだけなんです」
「それが受け入れ切れてないってことなんじゃないの?」
「違います」
 はっきりと、そう言い切った。薫の視線は、真っ直ぐに自分の目を向いていた。
「ボクの周りには父の遺してくれたものは沢山あるんですよ。でも、母の遺してくれたものは1つもない。記憶の中にしか無いんです。だからなんですよ」
「えっ……?」
 薫が何を言っているのかわからなかった。だって、その言い方ではまるで父も死んでしまっているかのようではないか。
「ちゃんと話すべきでしたね。ボクは総監の実の娘ではありません。養子なんです」
「よ、養子……!?」
 それは想像の斜め上を行くものだった。
「本当の父と母は既に亡くなってます。3年前に。話すと長くなりますが、色々あって山村家の養子に入ることになったんです」
 チラッと地下への階段に目をやった。
「地下に大量の古文書があるでしょう。あれ、元々父が上京するときに広島の実家から持ってきたものなんです。それに子供の頃から触れていたボクにとって、この古文書は父の遺してくれた宝の山なんです」
 ですが。そう前置いて続ける。
「母の遺したものは手元に何1つありませんでした。ボクの記憶にしかないんです。だから、記憶に残る母との思い出を大切に保存していたいんです。ケーキの味もその1つです」
 そう言って懐かしむような微笑みを浮かべた。
「だって、そうしてないと、父と母が離ればなれになってしまうではありませんか」
 トクンと。薫の言葉が胸に染みた。
 この娘は……。この娘は……。なんでこんなに強いんだろうか。
「湿っぽい話はやめにしませんか? 過去を振り返るのも大切ですが、過去に囚われてたら前に進めませんよ。ボクだってあの後色々あって前を向けるようになりましたし、今をどう生きるかを何より大切にしていますから」
 そう言ってにこやかな笑みを向けた。
「今のボクは晴さんとの未来を楽しみにしてます。だから、晴さんもボクの過去にこだわらないでください。今を一緒に生きましょう?」
 それが16歳の少女が放つ言葉だろうか。警察官として、この年齢で社会に出ているからこそなのだろうか。いや、それはこの際どうでも良い。大事なのはそこではない。
「私と一緒に……?」
「はい。何のためにあなたをスカウトしたと思ってるんですか? ボクがあなたと一緒にいたいと思ったからではありませんか」
「そ、そっか……」
 その言葉が無性に嬉しかった。
「わかった。なんか知ったような口聞いちゃってごめんね」
「良いですよ。むしろ健全な反応です。何も感じないようであればコンビ解消ですね」
「ふふっ、またそういうこと言う」
 そのとき昼食の完成を知らせる声が聞こえた。
「さっ、いきましょう。食べたらすぐに古文書を読み込みますよ」
「オッケー」
 うん、もう大丈夫。薫ちゃんがそう言うなら、私はあなたを信じてみる。
 それに、あなたが前を向いてるのに、私だけ後ろを向いていたら、隣にいられないものね。

 結論から言えば古文書からは有益な情報を得られなかった。山彦に声を盗む力があるとも、超音波のような衝撃波のような攻撃があるとも、一切の記述はなかった。
(結局ふりだしか……)
 晴は山村家を後にし、警視庁まで車を走らせる途中だった。夕食までごちそうになってしまった。とはいえ、薫に1人で食事をさせたくないという思いからだったが。美味しかったし。
(まっ、薫ちゃんの家庭は置いといて……)
 今はそれよりも気にかけなければならないことがある。
(妖怪側もパワーアップしてるってことなのかしら? だとしたら、厄介よね。薫ちゃんには強い力もあるとはいえ……)
 そこで端と思い出した。
(あっ! そういえばあの不思議な力、また聞くの忘れてた! ……ま、いっか。そのうち聞けるでしょう)
 晴の車は走っていく。赤いテールランプを闇夜になびかせながら。

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所轄勤務の女性刑事が女子高生刑事の部下になったら怪奇現象と戦う羽目になった件について。 刑事モノ×怪奇モノ×百合(?)。 連載は終了…

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