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VONDS市原を支える3本の柱

 千葉県市原市。中心駅となる五井駅の西口を出て車を走らせること5~10分で巨大なメインスタンドとパルテノン神殿のようなバックスタンドがそびえる陸上競技場に到着する。その名をゼットエーオリプリスタジアム。かつて市原臨海競技場とも呼ばれた千葉県有数の大規模競技場である。
 メインスタンドの裏手に回ると閉鎖された売店が残されている。シャッター越しに中を覗いてみると、何やら既視感を覚える意匠が目に飛び込んできた。それは、かつてこの場所がジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)のホームスタジアムだったことを示している。
 ジェフのホームスタジアムがフクダ電子アリーナに、クラブハウスが千葉市内に移転されたことで、市原市内でプロサッカーの試合が行われる機会は皆無となってしまった。その市原市に再びプロサッカーを取り戻そうと立ち上がったチームがある。それがVONDS市原だ。
 VONDS市原が設立されたのは2011年。当時関東リーグから千葉県1部リーグに降格したSAI市原というチームを継承する形で発足した。そこから僅か3年で関東1部リーグに昇格したクラブは、2017年、元川崎フロンターレのレナチーニョを擁して初のリーグ優勝をつかみ取り、今や関東リーグ屈指の強豪、9つの地域リーグ全体を見渡してもJFL昇格の有力候補に挙げられるほどの急成長を遂げた。
 そして、迎えた2020年。Jリーグ百年構想クラブに承認されたことは、多くのJリーグファンの間でも記憶に新しいだろう。
 新たに市原市のシンボルとなったVONDS市原とは一体どのようなクラブなのだろうか。永野祐太郎代表取締役にお話を伺わせてもらった。

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写真:VONDS市原・永野祐太郎代表取締役

1. VONDS市原の発足

「ジェフの本拠地が市原市から千葉市に移ってしまったことはとても大きかったです」と永野代表は当時を振り返った。
 ジェフは現在も市原市をホームタウンとしている。チーム名にも市原の名前を残し続けていることは事実だ。しかし、トップチームの事実上の移転は市原市からJの盛り上がりが遠のいてしまったことを意味する。
 当時の危機感を永野代表はこう語る。
「市原は元々サッカーグラウンドが多くて、子供たちも市原から羽ばたくというような部分がありました。しかし、子供たちが目標とするようなプロのトップチームが事実上市内に存在しないような状態になってしまいました。市内に上を目指すようなチームが存在しないという状況は、市原市がバラバラになってしまうのではないか、子供たちの目標がなくなってしまうのではないかという不安がありました」
 そんな折、SAI市原というチームが千葉県1部リーグに降格した。これは、古河電工千葉事業所サッカー部を母体とした市原市を本拠地とするクラブチームである。前述の通り、このチームを継承する形でVONDS市原という新しいクラブが誕生した。
「子供たちの目標とするクラブがなくならないように、もう一度市原市にJリーグクラブを作ろうという思いは強かったです。全ての子供たちの夢のために、我々でサッカーの街・市原を継続していこうというのが基本的な考え方でした。我々が中心となってこの地域からJリーグを目指すクラブを発足させよう、と」
 しつこいようだが、ジェフはホームタウンを市原市から移転してはいない。しかし、プロサッカーの空洞化が市原市で生じたことも、様々な危機感を持ってVONDS市原が設立されたこともまた事実である。ジェフの体制がどうであっても、市原市でサッカーに関わる人々に強い危機感があったことは、現実として受け止める必要があるのだ。
 とにもかくにも、こうして市原市に再びJリーグクラブを取り戻すというVONDS市原の挑戦は千葉県1部リーグから始まったのである。

2. VONDS市原の1本目の柱

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