5件目 神楽先生

『女子高生刑事怪奇録』前回までのあらすじ

 所轄勤務の女性刑事・細川晴は、ひょんなことから女子高生刑事・山村薫の部下となり、警視庁特殊事象捜査課特別捜査班、通称・トッパンに配属された。
 トッパンのなすべきことはただ一つ。怪奇現象とそれにまつわる事件の解決だ。
 山彦退治を無事に終え帰還した晴だったが、そんな折、薫の家族の真相に触れてしまう。だが、前向きに生きようとする薫の姿を見て、不思議と勇気をもらう晴であった。
 そして、彼女の前に新たな出会いが……。

ーーー

『女子高生刑事怪奇録』第五話

作:湯郷五月

(えーっと、東京聡明大学……。ここね)
 その日、細川晴は赤松課長からお使いを頼まれた。お使いといっても近所のスーパーで買い物をしてきてほしいとか、そういう部類ではない。目的地は大学だった。
(へー、大学のキャンパスって結構広いのね)
 東京聡明大学。日本の理系大学ではトップクラスの実力を誇る名門私立大学だ。キャンパスも都内に複数あり、晴が訪れているのは皇居のお堀沿い、四ッ谷にある工学部のキャンパスだった。流石に私立大学、高層ビルと見間違うような校舎が何棟も立っている。
 その内の一角、教授棟が今回の目的地だ。高卒で警視庁に就職した晴にとって、大学は未知の空間だ。その広大さと真新しさに思わず感嘆してしまう。
(おっと、観光じゃないのよ、観光じゃ)
 気を取り直して教授棟へ向かう。受付の警備員に事情を話して中へ。警察手帳を提示するのも2週間ぶりくらいな気がした。
 中に入ってエレベーターで3階へ。この時間なら在室されているでしょうとは警備員の言葉。あっという間に目的のフロアに到着した。
(えっと、部屋番号313。こっちね)
 エレベーターを下りて右に曲がる。すらっと長く続く廊下は思わずめまいがしそうになる。その両側に扉が並んでいて、そこがそれぞれの教授の研究室だ。その廊下を抜けて突き当たり。右手に目的の313号室があった。
 コンコン。
「失礼します。警視庁の細川です」
 どうぞ。中から間延びした女性の声。入って良いのだろうか。まあ、良い。入るとしよう。
 ガチャリ。
「失礼します」
「まあ、ようこそ」
 中にいたのは女性1人。白衣を纏った姿はどこか山村薫を想起させる。ふわっとした癖毛は髪先が巻かれており(間違いなくヘアアイロンで巻いたものだ)、縁の細いメガネは知的な雰囲気を思い起こさせる。ただ、口調がやや間延びしているのが、賢さの正反対を行っているようで、その点だけギャップを感じさせる。
「すみません。警視庁の細川ですが」
「まあまあまあ。あなたが薫ちゃんの新しい相棒さんね」
 すすすすす。滑るように近寄ってくる。ほーほー、ふむふむ。よくわからない独り言を吐きながら、頭の先から足の先までじっくりなめ回された。
(何なの、この人)
 端から見れば不審者だ。だが、先ほど薫の名前を口にした以上、目的の人物であることは確かだろう。
「ふーん。足利ちゃんになんとなく似てるような気もするけど。でも、本当に女の子なのね」
 瞬間、ぷにっと胸をつっつかれた。
「な、何するんですか!?」
 慌てて飛び退く。いくら同性同士でもセクハラだぞ!?
「ボーイッシュに見えてお胸は普通サイズ、か」
「ななななな、何なんですか!?」
 殴らせろ。いや、一発殴らせてくれ。
「それと、あなた甘い物好きでしょ? 匂いでわかっちゃう。意外と乙女チックなところがあるのね」
「何なんですか、さっきから! 怒りますよ!」
 既にはらわたは煮えくりかえっているので十分怒っているのだが。
「ふふふ、ごめんね。私、人間観察も好きなのよ」
 最早人間観察の領域を踏み越えてる気がするが?
「申し遅れました。東京聡明大学工学部教授・天王寺神楽よ。ここに来たってことは、あれを受け取りに来たんでしょ?」
 あれ? 何のことかさっぱりわからなかった。というのも、何を受け取ってくれば良いのか、一切聞かされていないからだ。
「全く、ノリちゃんも人が悪いわよね。わざわざ新人ちゃんに来させるなんて。直接来てくれれば良いのに」
 ノリちゃんって誰だ? そう思ってトッパン関係者で該当しそうな人を探ってみて。ああ、わかった。赤松課長だ。赤松則政だからノリちゃん。いや、わかりづらいな。
「もうノリちゃんったら。別の女と結婚してから全然私に会いに来てくれなくて。元カノなのに!」
 それは当たり前だろう。というツッコミを入れるとめんどくさそうだからやめにした。というか、この女、課長の元カノなのか。趣味が悪すぎる。
「まあ、良いけど。これ、例のものよ。薫ちゃんに渡しておいてね」
 そう言って差し出してきたもの。それは短冊ほどの大きさの箱だった。何だろう。興味が勝って受け取ってすぐ中を確認してみた。
「えっ!?」
 それはお札だった。
「な、何ですか、これ!?」
「何って護符よ」
 護符? 何だこれはと思ってよく見てみると、確かに見覚えがあった。以前から薫が度々使っていたお札はこれだったのか。
「これ、護符って言うんですね」
「待って、あなた何も知らないの?」
 何もとは。正直知らないことだらけで困惑している。
「薫ちゃんが陰陽術使ってることも知らない?」
「ああ、あれやっぱり陰陽師系のやつだったんですね」
 なるほどと合点がいった。やはり予想は当たっていたのだ。待てよ、ということは……。
「先生も陰陽師なんですか?」
「はー、もう! ノリちゃんってば!」
 呆れたように声を出す神楽先生。
「信じらんない! 何も教えてないのね!」
 キッと睨まれる。
「ねえ、細川さんだっけ? ノリちゃんからも薫ちゃんからも何も聞いてない? 陰陽術のこととか、お母さんのこととか」
「いえ、何も。ああ、お母さんがもう亡くなってることなんかは聞きましたけど」
 瞬間、はーっとまたまた大きなため息。
「もう良い、わかったわ。私が説明する」
 神楽先生はそう言うとどこからかホワイトボードを持ち出してきた。
「細川さん。あなた、薫ちゃんの陰陽術は見たことあるわよね?」
「それはまあ。式神とか。刀出したり、結界張ったり、雷撃出したり」
「はあ。まあ、見たことあるなら話が早いわ」
 神楽先生はそう言ってホワイトボードに山村薫と書いた。
「じゃあ、なんで薫ちゃんがあれだけの技を使えるか知ってる?」
「いえ、全く」
「じゃあ、そこから説明するわね」
 薫の上に家系図を引っ張った。左右に父、母と書く。
「薫ちゃんのあの力はね、お母さん譲りなの。お母さんの麗子さんはそれは強力な力を持った陰陽師だったわ。なぜだかわかる?」
 さあ?
「麗子さんは京都の土御門(つちみかど)家の生まれだからよ。この土御門家っていうのは、簡単に言うと安倍晴明の末裔にあたる家柄なの」
「安倍晴明!?」
 安倍晴明といえば有名だ。平安時代の陰陽師で次々と化け物や悪霊から都を守ったとか何とか。
「まあ、マンガやドラマで脚色はされてるけど、彼が優秀で強力な陰陽師だったことは確かよ。土御門の人間はその力を受け継いでる。その中でも特に歴代トップクラスで力が強かったのが麗子さんなの」
 それが薫の母親だということか。
「薫ちゃんはその麗子さんの強力な力を受け継いでるの。それがあの子が陰陽術を使える理由」
 トントンとホワイトボードを叩く。
「じゃあ、私はどういう繋がりだと思う?」
「えぇ……?」
 いきなりわかるか、そんなこと。
「さっき、私も陰陽師なのかって言ったわよね? それ半分正解なの。私も陰陽師の家の末裔なのよ」
「えっ、土御門家ですか?」
「ううん、違う。私は芦屋道満(あしやどうまん)の流れを汲んだ人間なの」
 芦屋道満……!?
「って、誰ですか?」
「がくっ」
 無知ですみません。
「まあ、知らなくても仕方ないわね。芦屋道満は簡単に言うと安倍晴明のライバルだった陰陽師よ」
「ライバル……!?」
 それが何故晴明の末裔にあたる薫の協力を?
「これはノリちゃんからの頼みだったんだけど。薫ちゃんのお父さんとお母さんがトッパンにいたときから武器やら何やらの開発とメンテナンスを担当してるの」
 もちろんちゃんとギャラは貰ってるわよ。そう付け加えた。
「えっ、薫ちゃんのお父さんとお母さんって警察官だったんですか!?」
「ええ、そうよ。薫ちゃんは今は警視総監の養子になってる話は……」
 それは先日聞いた。薫本人から。
「なら、良いわね。元々警視庁でずっと働いてたのがお父さん、翼くん。トッパンの立ち上げに伴って特例で警察入りしたのがお母さん、麗子さん。元々トッパンって麗子さんに警察としての権限を与えて、より怪奇退治がしやすくなるように作られた部署だったのよ」
 そうだったのか。初めて知った。
「で、その頃から私も手伝ってたの。例えば、今もキミが持ってるかな。対怪奇用の拳銃あるでしょ?」
「はい。今も携帯しています」
「あれ、私が作ったの」
「神楽先生が!?」
 自慢げにピースまでしておどける神楽先生。
「私も陰陽術は使えるし知識もある。そして、工学博士を取得するだけの頭脳と技術もある。そこで陰陽術と現代科学を組み合わせて、怪奇に対抗できる武器なんかを開発しているのよ。それが私の役割」
 ふー。一息ついて、改めて護符の入った箱を差し出した。
「説明は終わり。ここまで理解できたら早くコレ持っていってあげて。護符だけは消耗品だから定期的に作ってあげないといけないのよ」
 晴の中で何か腑に落ちたものがあった。神楽先生の説明を全て理解できたかといえば嘘になる。しかし、ある程度のメカニズムは享受できた、と思う。とりあえず、薫が安倍晴明の血を引いていることさえわかれば、問題はないだろう。
「ありがとうございました。早速警視庁に戻ります」
「うん。お願いね」
 神楽先生から護符を受け取って彼女のもとを去った。帰り際に「また来てね」と言われたが、それに素直に「はい」とは返せなかった。
 教授棟を出て駐車場へ。ここから桜田門までは大した距離ではないが、一応車で移動していた、何を渡されるのかわかったものではなかったし。
「あれ?」
 車に戻ると無線が入っていることに気付いた。気になって再生してみる。
『千代田区紀尾井坂(きおいざか)にて男性の絞殺死体を発見。近くにいる捜査員は至急臨場せよ。繰り返す……』
(紀尾井坂……近いわね……)
 それは殺人事件発生を伝える無線だった。殺人であれば担当するのは捜査一課だ。トッパンの出番ではない。だが……。
(近くにいる捜査員って私も含まれるわよね、一応)
 久しぶりに聞く臨場要請に刑事時代の血が騒いでしまった。
(まっ、行くだけなら問題ないでしょ)
 そう自分に言い訳して、ハンドルを紀尾井坂方面へ切ることにした。

 東京都千代田区紀尾井坂。ここは江戸時代、紀州藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の屋敷があった場所である。紀州、尾張、井伊の頭文字を取って紀尾井坂と名付けられた。また、明治11年、大久保利通が暗殺されたのもこの紀尾井坂であった。
(ここ、清水谷公園じゃない)
 紀尾井坂周辺まで向かうと既に物々しい雰囲気に包まれていた。明滅するパトランプ、立ち入り禁止の規制線、制服姿の警官、何事かと集まる野次馬。その中心地が清水谷公園であることを即座に見抜くことができた。
(全く……)
 野次馬の間を抜けて規制線手前へ。すかさず警察手帳を出すと
「お疲れさまです」
 警備にあたっていた制服警官は何事もなく通してくれた。
(ラッキー。まさか1日に2回も警察手帳出すことになるとは思わなかったけど)
 規制線を越えて公園内へ。奥手の茂みに捜査員が集まっているのが見えた。スーツ姿のところを見るに所轄か一課の人間だろうか。その周囲では鑑識が証拠の収集や保全を行っていた。
(とりあえず、あそこに行ってみますか)
 捜査員の中にしれっと自分も混ざることにした。
(これは……)
 捜査員たちの中心にうつ伏せに倒れた男性がいる。正確には男性のご遺体があると言った方が適切だろう。その男が被害者なのだと瞬時に判別できた。
「おい、そこの女」
「えっ?」
 この場にいる女性捜査員は自分だけだ。間違いなく晴を呼んだものだろう。
 声のした方を振り返ると大柄な男が立っていた。人相が悪い。特に目つき。人を殺ったことがあるとのたまっても信じてしまいそう。まるでヤクザ者のようだ。
「お前、見ない顔だな。所属はどこだ?」
 まずい、バレたか。いや、しかし所属は違っても仮にも警察官、ましてや本庁勤務だし。
「警視庁の細川です」
 警察手帳を出して名を名乗る。できるだけ臆さないように。
「細川……? 聞いたことねえな。うちの人間じゃ……」
 男は広げた警察手帳をまじまじと見て
「お前、トッパン!? なんでトッパンがここにいんだ!」
 血相を変えてそう言った。
「なぜって無線を聞いて……」
「どけ! ここはお前らトッパンがいて良い場所じゃねえんだよ!」
 邪魔だと言わんばかりに突き飛ばされる。
「待ってください! 私は臨場要請を聞いて駆けつけただけです!」
「臨場要請だぁ?」
 なおも食い下がると、大男は襟元のバッジを見せつけた。そこには赤地に金文字で「S1S」と記されていた。
(捜査一課!?)
「誰もお前らにゃ言ってねえんだよ! こちとら捜査一課だぞ! 場をわきまえろ!」
 その場にいた捜査員全員の視線が晴に集まった。
「俺たちは花形部署の捜査一課。お前らはたった3人しか捜査員のいねえトッパン。格がちげえ。ましてや、てめえらは警視総監直属ってだけで守られてる穀潰し。総監の娘まで抱えたコネだけで生きてる部署だろうが!」
「なっ!」
 それは違う。そう言おうとしてできなかった。その場にいた捜査員全員が晴を冷たい目で射抜いていたからだ。
 それに、怪奇現象と日夜戦っているなんて、言ったところで信じてもらえるわけがない。
「わかったら出てけ! ここはてめえらのいて良い場所じゃねえんだよ!」
「……! くっ!」
 何も言い返せなかった。
「わかりました……」
 その場から去る。それしか選択肢は残されていなかった。
 屈辱だった。3月まで刑事として戦っていた自分がトッパンというだけでこんな扱いを受けるとは思ってもみなかった。だが、自身の認識も甘かった。トッパンという部署が他の部署からどのように見られているのか。それを理解できていなかった。
 でも。やっぱり悔しい。トッパンだって一課の人と同じように、市民の平和と安全を守っているというのに。なんで。どうして。わかってくれないんだ。
「すみません」
 入れ違う形で鑑識が捜査員のもとへ向かった。
「防犯カメラの管理会社と連絡がつきました。映像確認できそうです」
 防犯カメラ……?
「わかった。俺はそっちに向かおう。現場は頼んだぞ」
「はい」
 例の大男がこちらに向かってくる。当然、防犯カメラ映像の確認に向かうはずだが。
(待って……これなら……!)
 大男が横を通り過ぎる瞬間。晴は彼の前に躍り出た。
「な、なんだ!?」
「待ってください。今から防犯カメラの確認に向かうのよね?」
「お前、さっさと帰れって言ってんだろ!」
「帰りません。私も映像を見に行くわ」
「な、なにぃ!?」
 なんだこの生意気な女はと言わんばかりの顔。
「お前ふざけんのもいい加減にしろよ!」
「ふざけてないわ。私だって腐っても警察官よ。防犯カメラを見る権利くらいあるわよね?」
「なっ……!」
 わなわなと震える男。
「どうする? もしトッパン案件だったら? 後で気付いてうちに頭下げに来る? それとも、素直に私を連れて行って確認してみる? エリートの捜査一課の一員なら、賢明な判断くらいできるわよね?」
「お、お前……!?」
 ここで引いたら負けだ。図体がデカいだけの相手に度胸で負けはしない。
「俺を脅してんのか!?」
「別にどう取ってもらおうとも結構。あなたに残された選択肢は私を連れて行くか行かないか。それだけよ」
「ちっ……!」
 男は大きく舌打ちをして
「わかったよ。着いてこい。だがな、トッパン案件じゃなかったらさっさと消えてもらうからな」
「ええ、構わないわ」
 よし、借りは返した。転んでもただでは起きない女、それが細川晴だ。

 捜査一課の大男刑事は畠山と名乗った。彼の車についていく形で車を運転し、防犯カメラの管理を行う警備会社に到着した。
「ここね、ハタさん」
「誰がハタさんだ、こら。トッパンに呼ばれる筋合いはねえんだよ」
 とか何とか言いつつ、しっかり案内はしてくれた。
「ここだ」
 映像管理室。許可を取った上でそこに乗り込む。
「すいません、防犯カメラの映像を」
「ええ、こちらです」
 事前に話を通しておいたようで、警察手帳を見せるだけですんなり話が進んだ。
(そういえば、鎌鼬のときも警察って言えば防犯カメラ見せてくれたっけ)
 死亡推定時刻のこの時間でお願いします。そう言う畠山刑事を余所目に、何か納得のいったような気分がした。
(確かにトッパンの意味はあるわね。一陰陽師ってだけじゃ、早々証拠集めも捗らないか)
 とはいえ、何をしている部署なのか透明性が高くないが故に、端から見れば税金の無駄遣いにも思えてしまうのだろう。
「こちらです」
「おお、ありがとうございます」
 映像が映し出される。場所は当然清水谷公園。時間は深夜2時半を指していた。ちょうど画面奥に遺体発見現場が映されており、角度的にも事件の全貌を俯瞰できそうだ。
「あっ、被害者が」
 後ろ姿でわかった。殺害時と同じ服装だったからだ。
 被害者の男は酔っ払っているようで公園のベンチに座ってタバコを吸っていた。
「ちょっと、ここ禁煙でしょ」
「まあ、死人を裁くことはできねえよ」
 それはそうだが、と思いつつ。映像は進行していく。被害者はタバコを吸い終え、吸い殻を見事に足下に捨てた。踏み潰して火を消している。
「うっわ、信じらんない」
 いくら酔っていてもやって良いことと悪いことがあるだろう。そう憤りつつ。被害者は喫煙を終えると、ゆったりとベンチから立ち上がり。
「!?」
 瞬間、上空を見上げて表情を強張らせた。
「なんだ!?」
 畠山も声を上げる。被害者は恐怖に顔面を硬直させ、画面奥へ駆けだしていく。すると、次の瞬間
「なっ!?」
「えっ!?」
 画面上部から白い布のようなものが現れた。それはまるで意思を持っているように男を追いかけている。そして、被害者が茂みの奥へ踏み入った瞬間、それは男の首元に巻き付いた。
「こ、これは……!?」
 その布に締め上げられた男は苦悶の表情を浮かべながらあがいていた。しかし、それものれんに腕押し。遂に事切れて倒れてしまった。そして、その布は上空へと浮かび上がっていった。
「おい……。何だよ、これ……」
 それが殺害現場の一部始終だった。そこで繰り広げられた光景がまるで信じられないと言わんばかりの一同。
 一体何だと聞かれても自分でさえ答えられない。ただ一つだけ言えることは、これが確実にトッパン案件だということだった。

「ふむ……」
 ところ変わってここは警視庁地下5階。薫がモニターをじっくりと眺めていた。
「どう、薫ちゃん」
「うーむ、これは確かにトッパン案件ですね」
 ピッとリモコンを操作して映像を止めた。
 警備会社で防犯カメラの映像をコピーしてもらい、それを持って大急ぎで警視庁へと戻った。寄り道したせいで既に薫が学校から登庁している時間になってしまったが、むしろ好都合だった。防犯カメラの映像を彼女に見てもらわなければ先に進めないのだから。
「で、どうなの。薫ちゃんの見立ては」
「……」
 すぐには答えなかった。折り曲げた人差し指の第二関節を唇の下にあてる。彼女は考えごとをするとき、この仕草を見せる癖がある。それは最近気付いたことだった。
「総合的に判断すると今回の犯人は一反木綿(いったんもめん)と考えるのが妥当でしょう」
 一反木綿。怪奇の知識に疎い自分でも、その名は聞いたことがあった。
「一反木綿って妖怪を背中に乗せて空を飛ぶアレ?」
「晴さん、マンガの読みすぎですよ」
 呆れたような口調だった。
「一反木綿というのは空中を浮遊する一反の長さをした木綿の布の妖怪です。まあ、名前の通りですね。その特徴として、人間の首を絞めたり口を覆ったりして窒息死させます」
「えっ!?」
 それは自身が抱いていた一反木綿のイメージとは大幅に異なっていた。
「一反木綿って人間の味方じゃないの!?」
「だから、マンガの読み過ぎですって」
 やれやれと首を振られた。
「まあ、状況と映像から考えれば一反木綿なのは間違いないでしょう」
「随分曖昧な言い方じゃない。何か引っかかることでもあるの?」
 ふと気になって尋ねてみた。どうにも薫の言葉は微妙に要領を得なかったからだ。ハッキリと断定することを避けているような。
「ええ。1つ気になることがあります」
「気になること?」
「はい。本来、一反木綿は鹿児島の妖怪なんですよ。東京に出るはずがないんです」
 えっ!? その言葉を聞いて息を飲んだ。
「まさか、この間の山彦みたいな……」
「それはわかりません。ですが、今回も従来通りではない何かが生じていそうです」
 一反木綿は元々鹿児島で伝承されていた妖怪。夜遅くまで出歩いていると一反木綿に襲われる、といったしつけの一環として語り継がれていた妖怪なんだとか。土着性が非常に強いと言って良い。
 その一反木綿が東京に現れたということは。前回の山彦の件があるだけに、薫が警戒するのも無理はなかった。法則性が機能していないのだ。
「とにかく、今日にも動き出しましょう。既に話は父さんまで上がっているはずです。死者が出てしまった以上、早急に対処する必要性がありますからね」
「わかった。すぐに動く?」
「いえ、まずは暗くなるのを待ちましょう。明るいうちは行動しない妖怪ですから。一課から貰った捜査情報でも教えてください」
「ええ」
 そう答えて立ち上がって。
「ああ、そうだ。忘れないうちに渡しておくわね」
 そう言って神楽先生からの預かり物を取り出した。
「護符? 神楽先生のもとに行ったんですか?」
「そうよ。課長からのお使いでね」
「ああ……。課長は神楽先生と会いたがりませんからね」
 薫が嘆息する。確か神楽先生は課長の元カノだって言ってたっけ。何か複雑な別れ方でもしたのだろうか。その割に神楽先生自身は課長に会いたがっていたが。
「とにかく護符は受け取っておきます。後でお礼のメッセージでも送っておきましょう。時に、晴さん」
「何?」
「神楽先生に何かされました?」
「えっ……」
 何かって。まあ、がっつりセクハラはされたけど。
「胸は触られたわね……」
「はあ、あの人は……」
 またため息だ。
「洗礼だと思ってください。あの人はそういう人なので。次会うときは気をつけてくださいね。背を向けると危険ですよ」
「わ、わかったわ……」
 これはアドバイスなのだろうか。
「はあ、ただいま」
 そのときガチャリと扉が開いて課長が入ってきた。
「おや、課長。おかえりなさい」
「ただいま、薫ちゃん。晴さん、おかえり」
「お疲れさまです」
 帰ってくるやいなや、課長はドスッとデスクに腰掛けた。
「課長、お疲れですね」
「いやー、疲れたっていうか、さっきまで総監に呼び出されててね。紀尾井坂絞殺事件、正式にうちの担当になったよ」
 それはすなわち特殊事象と見なされたということだろう。
「あー、そうだ。それと、晴さん。君、陰陽術の話とか、薫ちゃんから何も聞かされてなかったの?」
「ええ、そうですけど」
「あー、やっぱりそうだったのかー。てっきり薫ちゃんが教えてたものだと思ってたよ」
 そう言って頭を抱えた。
「何かあったんですか?」
「いやね、神楽先輩から電話があってさ。『ノリちゃん、どういうこと!?』なんて急に怒鳴られちゃって」
 神楽先輩? 彼の先輩呼びが気になった。
「ごめんね、本当は赴任したその日のうちに教えるべきことなんだけど。薫ちゃんとロンドンで一緒に捜査したって言ってたから、てっきり知ってるものかと思って」
「いえ、私こそすみませんでした。私が尋ねるべきでした」
 とはいえ、課長が陰陽術云々に詳しいとは思いもしなかった。だから、課長には聞かなかったのだが。
「ところで、課長。神楽先生のこと……」
「晴さん」
 クイッと薫に袖を引っ張られた。
「無駄話はその辺で。今は捜査の方が大事ですよ」
「ああ、わかったわ」
 まあ、良いか、後で聞けば良いだろう。そう思って、捜査情報の開示から始めることにした。

 被害者の死亡推定時刻は深夜2時半から4時半の間と目されていた。だが、監視カメラの映像により明確に深夜2時40分と死亡時間が決定された。ご遺体は清水谷公園の奥の茂みの中にあったことから、発見が遅れることになった。第一発見者はボランティアでゴミ掃除を行っている近所の老人だった。
 遺体の身元も所持品からハッキリした。何でも証券会社の社長だとか。自宅も紀尾井坂の近くにあった。所持金や金目の物が残されていたこと、首に吉川線がハッキリ残っていたことから、当初は怨恨による絞殺事件と見て捜査が行われる予定だった。
 しかし、あの防犯カメラの映像が出てきた。それが捜査線上に浮上したことで一課では手に負えないと判断。刑事部長、警視総監を経て、正式にトッパンの捜査対象案件としてお鉢が回ることになったのである。
「てことで。まあ、怖そうに見えたけど案外素直に情報渡してくれたわよ、ハタさん」
 ところ変わって夜の清水谷公園。まだ7時であったが夜の帳は十分下りていた。
「一課とは良好な関係を築いてくださいね。まあ、他の部署ともですけど」
「大丈夫よ。あたしらが華麗に解決すれば評価も上がるでしょ」
 そんなに楽観的で良いのか、とでも言いたげな薫の表情だった。
「華麗に解決……できれば良いですね」
「何? 不安があるの?」
 薫ちゃんなら大丈夫でしょ。そう全幅の信頼を寄せている。彼女の出自だって知ったわけだし、尚更である。
「不安と言いますか、相手の実力が図り知れないと言いますか」
 おや、と思った。珍しく弱気なのだ。トッパンのエースともあろうものが。
「……大丈夫よ」
 ポン。背中に手を添える。
「晴さん?」
「薫ちゃん、強いんでしょ? 神楽先生から聞いた。だから、大丈夫よ」
 それはどこか能天気な言葉だったかもしれない。だが、薫の表情が晴れていくのが感じ取れた。良かった、正解だ。
「はい。そうですね」
 さっきまで弱音を吐いていたのに、今では自信に満ちた表情に変わっている。もしかして、この子は意外と単純なのかもしれない。そんな風に思っていると
「! 晴さん、上!」
「あっ!」
 どうやらおいでなすったようだ。頭上に浮かぶ白い布。先に目と口。腕も生えている。間違いない。一反木綿だ。
「思ったより早く現れたわね」
 反射的に腰の拳銃に手を添える。
「逆に助かりますけどね」
 薫はそう言って護符を取り出した。力強く右手で握りしめると、それが光を帯びて刀へと変わっていく。
「既に殺人を犯している以上、手は抜きませんよ」
 月明かりに照らされた切っ先が妖を捉える。
「覚悟!」

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所轄勤務の女性刑事が女子高生刑事の部下になったら怪奇現象と戦う羽目になった件について。 刑事モノ×怪奇モノ×百合(?)。 連載は終了…

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