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『女子高生刑事怪奇録』前回までのあらすじ

 所轄勤務の女性刑事・細川晴(ほそかわ・はる)は、ひょんなことから女子高生刑事・山村薫の部下となり、警視庁特殊事象捜査課特別捜査班、通称・トッパンに配属された。
 トッパンのなすべきことはただ一つ。怪奇現象とそれにまつわる事件の解決だ。
 一度は現実離れしたその仕事から距離を置くことも考えた晴だったが、薫の幼馴染・船橋千歳との触れ合いから、警察官としての誇りを取り戻す。
 市民の笑顔を守るため、晴の戦いが今まさに始まろうとしていた。

ーーー

『女子高生刑事怪奇録』第3話

 作:湯郷五月

「さて、それではよろしいでしょうか」
 警視庁特殊事象捜査課特別捜査班、通称・トッパン。そこは警視庁の最下層・地下五階に位置する警視総監直属の独立部隊である。彼らが担う業務はただ一つ。怪奇現象の解決だ。
「では、改めて晴(はる)さん。ようこそ、トッパンへ。我々は、と言っても二人しかいませんが、あなたを歓迎します」
 ホワイトボードの前で仁王立ちでふんぞり返る少女。紺色のブレザーの上に白衣を纏った黒髪長髪の小柄な少女こそ、トッパン班長にして現役女子高生刑事の山村薫である。
 そして、その隣でニコニコと笑顔を浮かべているのが薫の上司であり課長の赤松という男だ。見た目三十代前半の優男だが、実年齢は四十越え。加えて二児の父でもある。人は見かけによらないというが、彼はあまりにも若く見えすぎる。
「それでは解説に移っていきましょうか」
「えっと、私がこれから対峙すべき相手のことよね」
 ホワイトボードの前に腰掛けるパンツスーツ姿の女が声を上げる。彼女の名前は細川晴。先日トッパンに配属されたばかりの新人である。
「はい。妖怪、怪異、幽霊、都市伝説、超常現象等々。我々が日々対峙しているものは様々です。我々はそれらを総称して怪奇、ないし怪奇現象と呼んでいます。これから怪奇について大別しながら解説していきます」
 そう言いながらホワイトボードにペンを走らせる。新人である晴に対してのレクチャーだ。今後どのような存在を相手にしていくのか、その解説である。
「一つ目は妖怪や物の怪の類いです。先日出会った鎌鼬(かまいたち)。それから、有名どころだと一反木綿(いったんもめん)やろくろ首などでしょうか。それらは妖怪やお化けなんて呼ばれています」
 キュッキュッとマジックペンの走る音が響く。
「彼らは最古のものであれば人類が文明を持ち始めた頃から存在しているとも言われています。彼らの特徴は、文字にしろ口伝にしろ、伝承によって語り継がれているという点です」
「伝承?」
「そうです。妖怪の類いはそもそも言い伝えでした。科学が発達していなかった当時、科学的現象を説明するために妖怪という存在を生み出しました。例えば、家鳴りという現象があります。これは木材の乾燥収縮によって起こる科学的な現象です。しかし、当時の人々にそんなことはわかりません。そこで『家鳴り』という妖怪が家の柱を揺らしているんだ。そう考えて説明付けました。このようにして産み出された妖怪は多く存在します」
 言い伝え、伝承。それらを大きな文字で書いて丸で囲んだ。
「もう一つ、しつけの一環で産み出された妖怪もいます。夜更かししないで早く寝なさい、と言うよりは、早く寝ないと妖怪に襲われるよ、と言った方が子供は言うことを聞きやすいですからね。先程例に挙げた一反木綿も、しつけの一環で産み出された妖怪です。他にも様々な理由で妖怪は産み出され、伝承として伝わっていきました」
 パチン。サインペンの蓋が閉まる乾いた音。
「ここで重要なのは、妖怪という存在は初めからこの世に存在するものではなかった、ということです。あくまで言い伝えや伝承として産み出されたものでした」
「ん? ちょっと待って」
 違和感を覚えた晴が遮った。
「でも、私たち妖怪を見たわよね? 実際に退治したというか、何というか」
「それです。伝承であったはずの妖怪は事実この世界に存在します。それはどういうことなのか。メカニズムはこうです」
 再びサインペンの蓋を開け筆を走らせる。
「妖怪という存在は伝承という形で何世代にも渡って語り継がれました。ここで大事なのは言葉です。言葉には言霊(ことだま)という不思議な力があります。言葉で何百年にも渡って語り継がれた妖怪は、言霊の力を通じて現世に現れました。ほとんどの妖怪はこうして姿形を得ていったのです」
 言い伝え、伝承。それらから矢印を引き、言霊と記す。更にそこから矢印を引いて、その先に存在と記した。
「これは次に説明する都市伝説にも繋がります」
 パチンと蓋を閉じ、今度は指示棒代わりにペン先で言い伝えを示した。
「都市伝説も元は噂や言い伝えです。妖怪との違いは、ごく最近になって語られるようになったということです。ところが、情報化社会の進んだ現代では、こうした真偽不明な言い伝えが爆発的なスピードで拡散してしまいます。こうして人々は無意識のうちに次々と怪異を産み出してしまうのです」
 言い伝えの横に噂と書き加え、そこから矢印を引く。その先に新聞、ラジオ、テレビ、ネット。更にそこから矢印を伸ばし、拡散と記す。
「一昔前なら口裂け女、最近ならきさらぎ駅などがこれにあたるでしょう。例えば、単に大きなマスクをした不気味な女を見かけた、というような話が、口づてで伝わるたびに尾ひれが付いて、いつしか口裂け女という化け物を産み出してしまう。これが都市伝説の類いの恐ろしさです。当然、爆発的に拡散されれば大量の言霊がその噂を吸収し、ある日突然怪物を産み出してしまうのです」
 拡散からアーチ状に矢印を引き、言霊へと結びつける。
「我々が対峙するものの半分はこうして産まれた妖怪や怪異の類いです」
 ここからは話が変わります。そう言って、まるで境界線を引くように大きな斜め線を引いた。
「もう一つのパターンは一般的に幽霊と呼ばれている類いです」
 境界線を挟んだ無地のボードに幽霊という単語を記した。
「幽霊、またの名を人魂。これは先ほどの妖怪や都市伝説とは決定的に異なる存在です」
 次いでホワイトボードに記されたのは、横たわった人間の絵だった。とはいえ、簡単な棒人間。それは、山村薫という少女が絵を描くのが苦手だからなのか、はたまた説明用に簡略化したからなのか。その理由ははっきりとしない。
「人間は肉体と魂を持っています。魂とは心や感情や自我、肉体はその魂を入れる器です」
 それはあまりにも宗教地味たものだった。科学的な知見で言えば、トンデモ論になってしまうだろう。だがしかし、既に異怪のモノを目の当たりにしてしまった晴にとっては、十分信じられる類いのものだった。
 横たわった棒人間の上に雫をひっくり返したようなモチーフを描き、その上に天使の輪っかを添える。これは魂を表現したものなのだろうか。
「人が死ぬと魂が肉体から離れます。普通はこの魂は成仏して、輪廻転生の末に違う生き物として再びこの世に生まれ落ちることになります。ところが……」
 魂の絵から更に矢印を伸ばし、成仏・輪廻転生と書き加える。次いで、魂の絵の横に矢印を引き、未練と記した。
「この世に強い憎しみや妬み、嫉み。そういった未練を残して死んでしまったものは成仏できず魂がこの世に留まってしまいます。これが幽霊。その中でも特に未練の強いものを怨霊と呼びます」
 未練から更に矢印を伸ばして幽霊・怨霊と添える。
「怪奇は大きくこれらに分かれます。妖怪の類い、噂が実体化した怪異の類い、そして元々人間だった霊です」
 正直ここまでの説明でもついていくのにいっぱいいっぱいだった。ただ、薫が残した図式のおかげで少しは理解しやすかった。今後のターゲットが明確にラベリングできたことも大きい。
「我々が対処すべき事案の大半は人命に支障を及ぼすものではありません。先日の鎌鼬のように少々派手に立ち回りすぎた妖怪や、生活に支障をきたすほどではないレベルの怪異が多数です。幽霊と呼称できる存在も、未練の元を解決できれば自動的に成仏してくれます。しかし……」
 薫はマジックペンの蓋を閉じて眉根を寄せた。
「中には危険なものもあります。人を殺すほどの力を持つと伝承された妖怪、情報化社会の中で肥大化した怪異、怨霊と呼べるほど強い未練を残した人魂。これらは頻度こそ多くないものの、人間の生活や命に甚大な被害を生じかねません」
 カラン。サインペンを置く音。そして、一歩、もう一歩、晴との距離を詰めた。
「晴さん、場合によってはこうした危険な存在とも対しなければならなくなるときがあります。あなたはそれでも、トッパンで戦い続けることができますか?」
 丸い瞳に強い意志がともり、射抜くような視線が貫いた。それは晴の覚悟を問う言葉。だとすれば、彼女の答えは決まっていた。
「もちろん。それが警察官の仕事だものね。大体、刑事課にいた頃から命の危機に瀕したことぐらいあるわよ。一度や二度じゃなくね」
「……そうですか」
 瞬間、薫の中にともっていた炎が消えたように見えた。
「それがあなたの答えですね。わかりました」
 そう言って小さな微笑みを浮かべる。そして、背中を向けて
「では、課長。例のものを」
「はいはーい」
 今度は入れ替わるように、ホワイトボードの側で笑顔を浮かべていた課長が晴の前に歩み出た。
「じゃあ、晴さん。トッパンの証にこれを託そう」
 課長が差し出したもの。それは明らかに警察官貸与用のものとは異なるハンドガンだった。
「これは……!?」
「怪奇にだけ効果がある特殊な銃だよ。護身用に持っていて」
 そんな便利な道具が存在するのか。かなり驚かされた。
「へー、精巧な作りですね」
 手に取って三百六十度見回してみる。形状は通常のリボルバー式の拳銃だったが、材質がかなり強固なように感じられた。
「大量生産はできないから大切にね」
 流石に特殊なものだからか。より一層扱いには気をつけようと誓う晴だった。
「こっちが弾丸……」
 形状は警察官に支給されているものとよく似ていた。ただ一点、銃弾が赤みを帯びていることを除けば。
「今後は二丁持ちってことですか?」
「まあ、そうなるね。通常用と怪奇用」
 となると、今日から腰回りの重量が少し増しそうだ。
「課長!」
「うん?」
「改めて、よろしくお願いします!」
「ああ、こちらこそ」
 だが、それが晴には誇らしくさえ感じられた。二丁持ちの重みがトッパン所属の特権であるように思えた。
「薫ちゃんもよろしくね」
「ええ、よろしくお願いします」
 その日が晴の中での新しいスタートラインとなった。

 それから数日が経過した。晴のトッパン暮らしはどのように推移したのか。一言で言えば暇だった。
 それもそのはず。この数日間、トッパンに持ち込まれる案件は一つもなかったからだ。
「はぁ……」
 ため息をつきながら天井を見上げた。彼女のデスクの周囲には、いくつもの段ボール箱がうず高く積まれていた。全て警視庁と書かれている。
「なんで私たちがこんなことしなきゃいけないの……」
「元来暇な部署ですから」
 そう言いながら向かいのデスクで忙しなく手を動かしているのが薫であった。
「えっ、何それ」
「そんな怪奇絡みの事件が頻発するはずないじゃないですか。少なくとも人間が起こす事件より発生回数も頻度も格段に少ないですよ」
 騙された。晴の脳裏にその言葉がよぎって即座にかき消した。
 考えてみれば当然のことだ。交番勤務や所轄にいた頃も神隠しのような話は無かったわけではないものの噂に聞く程度。不可思議な案件が持ち込まれたことは一度もないし、トッパンの存在だって薫と出会ってから初めて知ったのだ。過去の経験を多少なりとも振り返れば、存外多忙な部署でないことは想像できたはずだ。
「だからって、証拠品の整理って私たちの仕事じゃないでしょ」
「仕方ありませんよ。こういう雑務を請け負える捜査員は早々いませんから。それにボクたちだって税金からお給料を貰っているんですから、仕事もなく暇ですなんて許されないでしょう?」
 その通りである。ただ、晴からしてみれば覚悟を持ってトッパンに所属することを決めたばかりであって、本来の業務外のことまで手を回すことになるとは予想だにしていなかったのだ。
「ほら、手が止まってますよ。そっちの段ボール、寄越してください」
 半ばやる気の削がれた晴と異なり、慣れたような手つきの薫は次々と段ボール箱を片付けていった。
 何せ驚異的なのはそのスピードだ。捜査資料のファイルでさえ、1ページ1秒足らずで読み飛ばしてしまう。本当に目を通しているのかと疑いたくなるほどの速度でページをめくっていくのだ。
「晴さん、大丈夫だよ」
 心の内を読んだかのように課長が声をかけてくる。
「薫ちゃん、速読は得意だから」
 確かにその通りだ。資料は素早く読み切るし、遺留品や証拠品の区分けだって正確そのもの。ある意味、彼女の天職と呼べる業務なのかもしれない。
「まあ、念のため僕もチェックしてるけど。圧倒的に晴さんの方がミスが多いね」
「うぐっ」
 はいこれやり直し。段ボール箱が突き返される。致し方ないではないか。元来こういった細かいことは苦手な性質なのだ。
「おや?」
「!」
 瞬間、内線を知らせる呼び出し音が鳴った。
「はい、トッパン。はい。はい……」
 久しぶりの電話だ。思い返せば、初めてトッパンに来たとき以来かもしれない。ひょっとして捜査案件か? 否が応にも胸が高鳴ってしまう。
「薫ちゃん、晴さん、出番だよ」
 受話器を切ってすぐその一言。
「はい!」
 ようやく本来の業務が舞い込んできた。気合いが入る。
「わかりました。行きましょう、晴さん。1階エントランスで問題ありませんか?」
 一方、薫は冷静そのもの。
「うん、よろしくね」
 課長のその言葉を最後に、2人はエレベーターへと向かった。

「どうも。こちらです」
 警視庁の最下層にあたる地下5階からエレベーターに乗り1階エントランスへ。待ち受け用の縁台の側に受付を担当する制服警官が立っているのを確認しそちらに向かうと、見事に彼女から声をかけられた。ビンゴというべきか。
「山村警部、細川巡査部長。お疲れ様です」
「お疲れ様です。えーっと、こちらが……?」
 腰かける1人の男性に視線を落とす。
「はい。今回の相談主です」
「なるほど」
 薫は簡単に相づちを打つと、白衣の裾を翻しながら彼の隣に腰掛けた。
「はじめまして。警視庁特殊事象捜査課特別捜査班班長・山村薫です」
 彼女がそう自己紹介すると、彼は小さくぺこりと頭を下げた。
「ああ、部下の細川です」
 晴も薫の後を追ってそう告げた。まだ日が浅いこともあり、慣れない部分が多い。ただ、その男は晴にも小さく頭を下げてくれた。座り方も糸で引っ張られているようにピンとしていて、存外礼儀正しい人物なのかもしれない。
「我々のことはさておきましょう。ずばり、ご相談の内容をお聞かせ願えませんか?」
 薫がそう尋ねると、彼は何も答えることなく目線を落とした。その先には手元のタブレット端末。そのタブレットを忙しなく操作していた。
 何だろう。少し訝しげに思っていると、彼は操作を終えたようで画面を2人に見せてくれた。
「『声を失った』……?」
 そこに映し出された文字列を思わず声に出してしまったのは晴だった。
 しかし、これで合点がいった。さっきから彼は一言も、何一つとして喋ろうとしていなかった。それは喋ろうとしなかったのではなく、喋ることができなかったからだ。だから、タブレット端末を使ってコミュニケーションを取るしかなかったのだ。
 だが、ここで次の疑問が出てくる。声が出ないのなら警察ではなく病院に行くべきではないだろうか。
「ふむ。順を追って説明していただいてもよろしいですか?」
 薫の問いかけに彼はうなずき、再びタブレットの画面と向き合った。
「ちょっと不便ね。会話に時間がかかるというか」
「晴さん、急かしてはいけませんよ。彼のペースで話してもらいましょう」
 やや間延びしたような時間があって、再び彼は画面をこちらに向けてくれた。気付かないうちに受付の警官はいなくなっていた。
「『これは先週高尾山に行ったときのことです』」
 ここから先は、彼がタブレットに打ち込んだことをかいつまんで話そう。流れはこうだ。先週、男は高尾山にハイキングに出かけた。頂上まで登り切った彼は山頂から臨む雄大な風景に心を奪われた。そして、思わず遠くの山肌に向かってこう叫んだ。「やっほー!」と。
 当然、やまびこが返ってくる。「やっほー」。確かに自分の声が反響して聞こえてきた。ところが、その瞬間を契機にまるで声が出なくなってしまったのだという。
「喉が潰れたとかじゃなくて?」
 かぶりを振る。
「医者には既に行ってるんですよね?」
 首を縦に振る。そして、またタブレットに文字列を書き込み始めた。
 その内容を要約するとこうだ。医者に診てもらいはしたが、原因不明だと言う。気休め代わりに薬も貰ったが全く効かない。かかりつけの医者も大学病院でも、いくつもハシゴしているものの原因を突き止めることができないのだ。
「で、頼みの綱がここだった?」
 頷いてからタブレットへ。
『神頼みでもしようと神社に行ったらここを勧められました。警視庁にあなたのような人の駆け込み寺があると言われて』
 神社? なぜ神社で? 神主か巫女がトッパンの存在を知っているのだろうか? 晴は不思議そうに首を傾げたが、対する薫は頭を抱えていた。
「さては土御門(つちみかど)の系列ですね……」
「薫ちゃん?」
「いえ、何でもありませんよ」
 コホン。小さく咳払いして
「話はわかりました。今日はお帰りいただいて大丈夫です。まず、ボクたちで高尾山へ行って調査してみますから」
 ん? ボクたち? 一瞬引っかかったものの、依頼人がわかりましたよろしくお願いしますと言わんばかりに深く頭を下げてその場を去ったものだから、しばらく彼の後ろ姿を見つめることになった。
「さあ、行きましょう」
 依頼人の姿が見えなくなるやいなや、クルッと背を向けてエレベーターへ向かった。
「ま、待って。行くって……」
「当然。高尾山ですよ」
 嫌みなほどに満点の笑顔だった。
「運転、お願いしますね」
「え、私の車で行くの?」
「それが一番最短ですから」
「いや、構わないけど」
 晴としては薫と高尾山の調査に行くことは問題ない。むしろ、大歓迎だ。ようやくトッパン本来の仕事ができるのだから。ただ、1つだけ懸念材料があった。
「証拠品の整理はどうするの?」
「あれは課長にやらせれば問題ありませんよ」
 問題ない? それは本当に問題ないのか?
「大丈夫なの? 結構量あったし1人だと大変そうじゃない?」
「問題ありません。8割方ボクが片付けてありますから。残りだけなら課長1人でも大丈夫ですよ」
 それは大丈夫……と言って良いのだろうか。というか、8割方って、どれだけの量をこなしたのだろうか、この少女は。
「さあ、行きますよ」
 既に彼女は地下駐車場に行く気満々だった。
「まっ、わかったわよ」
 薫がそう言うのならまあいいか。晴は課長に心の中で謝りつつ、小さな上司の後についていった。

 高尾山は東京都の西部、八王子市高尾町にある標高599メートルの山である。途中までケーブルカーで行けることや登山道が整備されていることから、老若男女問わず登山やハイキングに人気のスポットだ。都心から1時間ほどで来られるアクセスの良さも魅力の1つである。
「とはいえ、山登りに全く不適当な格好で来てもねぇ……」
 車を駆り目的地に到着したものの、春休み中ということもあり家族連れが多い。その中でスーツ姿の女とブレザーに白衣の少女は変に悪目立ちしていた。
「晴さん、桜が綺麗ですよ」
「うん、ちょっと黙ってて」
 薫は存外マイペースだ。いや、あえて状況を理解した上で和ませようとしているのかもしれない。真意は知れないが……。
「で、どうするの?」
「どうするとは?」
「いや、捜査というか調査というか、一応声を失った原因になりそうなものを探るんでしょ? どう動くつもり? 登るの?」
 親指で登山口を示しながらそう言った。
「そうですね。声を失う怪異が生じたのは山頂のようですからね。不格好ですが、ひとまず山頂に行ってみましょうか」
 ああ、装いが明らかに浮いてることは自覚してたんだ。そこはまともな感性を持っていて良かったと謎の安堵感を抱く晴であった。
 さて、方や革靴、方やローファーという圧倒的に不釣り合いな足下で進む2人であるが、中腹まではまずケーブルカーを使うことにした。本来であれば晴はイチから登っていくタイプなのだが、それはプライベートの話。今日は仕事で来ているわけで服装も靴も本来ならば用途外の格好なのだから当然の選択であった。
 中腹からは山道をひたすら登っていく。整備されているとはいえ上り坂が続くのだから体力は奪われる。2人は極力最短のコースを通って向かうことにした。
 晴にとって意外だったのは、山道を登りながら薫が一言も弱音を吐かなかったことだ。それどころか涼しい顔で歩みを進めていく。流石に小柄でも警察官、体力自体は運動部に所属している同年代と同等程度、下手したらそれ以上は備わっているようだ。
 そうこうしている内に2人は無事山頂にたどり着いた。
「ふー、着いたわね」
「意外と楽勝でしたね」
「まあ、そんなに標高も無いし、道も整備されてるしね」
 余裕そうに言いながらも2人が真っ先に向かったのは飲み物の自動販売機だった。
「でも、やっぱ喉渇いた」
「おやおや、余裕そうに見えたのは錯覚でしたか?」
「いや、薫ちゃんの方が真っ先に自販機向かってたじゃない」
「違います。晴さんが疲れていると思って飲み物でも買ってあげようと思ったんですよ」
「はいはい、強がりもそこまでにしてね」
 ガコン。買った飲み物が落ちる音。
「いやしかし山頂まで来ると高いわね。ぼったくりでしょ、こんなん」
「観光地価格なんですよ、こういうのは」
 キャップをひねって蓋を開ける。開栓一番、一気に流し込んだ。
「ぷはー、生き返りますね」
「あれー? 余裕綽々だったのは誰だったっけー?」
「んっ……! ちょ、晴さん!」
「どうしたどうした、照れちゃって」
「か、からかうのもいい加減にしてください! 上司ですよ!」
 照れる薫は意外と可愛い。そんな事実を知った。
「まっ、からかうのはこのぐらいにして」
 グイッとまた水を飲んで、辺りを見渡した。
「どこかに怪異を起こした元があるはずなのよね」
「ええ。ボクはその怪異が居るものだと思ってます」
「何か違うの?」
「在ると居るじゃ大違いですよ。居ることは意思のあるモノでないとできませんから」
 そう言ってある方向へ進んだ。西の方角、すなわち山梨県との境に連なる小仏峠のある方向だった。
「高尾山の山頂で山肌がそびえ立つのはこちら側です。おそらく彼が見たのもこの景色でしょう」
 少し雲がかかっているが確かに緑色の壁が幾重にも連なっているのがわかる。晴れていれば富士山も見えることだろう。
「ボクも自信はないんです。ただ、可能性が一番高いのはコレで……」
「薫ちゃん?」
 言っている意味がわからなかった。ただ、彼女が何かを掴みかけていることも、どうも嫌な予感がすることも肌で感じることはできた。
「晴さん、試しに『やっほー』と叫んでいただけますか?」
 はい、嫌な予感的中。
「私が?」
「他に誰がいます?」
「私がやるの?」
「ええ、そう言ってます」
 端から自分でやる気は毛頭ないようだ。むしろ、なぜ素直にやらないんだという非難の色すら彼女の瞳から透けて見える。
「ああ、もうわかったわよ」
 無駄にごねるのは時間の無駄だ。結局結論は変わらないのだから。だったら、従った方が良い。
「やっほーーー!!!」
 腹の底から大きな声で。これでも警察学校で厳しい訓練は受けている。受け答えの第一は大きな声で「はい!」だ。腹の底から声を出す。その方法は警察学校時代から、いや部活に勤しんだ学生時代から手慣れたものだった。
 数瞬遅れて「やっほー」。こだましたものが返ってくる。
「晴さん、知っていますか?」
「ん?」
 あっ、声出るじゃん。晴は呑気にそんなことを思ってしまった。てっきり叫んだが最後、話せなくなるのかと思っていたが。
「山に向かって叫んだ声は山肌に反射して返ってくる。だから、自分の声が少し遅れて聞こえてくるんですよ」
 流石に晴だってそのぐらいは知っている。確か子供の頃、テレビでやっていたような覚えがある。
「ですが、昔の人はそんな科学的な知見を持ち合わせていません。これは妖怪の仕業だ。そう考えました。山に住み、人の声まねをする妖怪。その名は山彦(やまびこ)。その伝承は何百年にも渡って語り継がれたものです」
 瞬間、背後に悪寒が走った。
「晴さん、危ない!」
 瞬時に薫が晴に飛びかかった。2人が重なって倒れる。半分ほど中身の残ったペットボトル2本が無造作に転がった。
「な、何!?」
「まさか予感が当たるとは思いもしませんでした」
 素早く立ち上がって身構える薫。その視線の先には子犬程度の大きさの猿のような、しかし決定的に猿とは異なる生き物が飛び跳ねていた。なぜならその奇妙な生き物は指すらない扁平足をした四足歩行の生き物だったからだ。
「妖怪・山彦! お前の仕業でしたか!」
 薫の叫びに合わせて山彦と呼ばれた妖怪は大きく口を開いた。直後、耳をつんざくばかりの爆音と衝撃波に襲われた。
「ううっ!」
「何よ、これ!」
 体が押される。今にも吹き飛ばされそうだ。
「くっ。どうやら口で言っても聞きそうにないようですね」
 ならば。薫はブレザーの内ポケットに手を入れた。そして、お札を1枚取り出す。それを指に挟んで突き出すと、その瞬間、バリアのようなものが生み出され、衝撃波を弾き返すことができた。
「薫ちゃん……?」
 その一瞬の出来事が晴には理解できなかった。だが、それと同時にロンドンでの記憶が思い起こされた。ロンドンでも彼女は似たようなことを一度だけしたことがある。確かあのときはお札のようなものから刀を生み出したような……。
「仕方ありませんね。実力行使です」
 再び薫はお札を取り出した。それを力一杯握りしめ突き出す。すると、お札は光を帯び、みるみる形を変えた。
 そうだ。これだ。まるでデジャヴを見ているような感覚に襲われた。ロンドンで私が見たのは確かにこれだった。この薫の風貌によく似合う打刀(うちがたな)だ。あれは夢ではなかったのだ。
「人に徒なす妖は」
 切っ先を眼前の化け物に向け。告げる。
「ボクが成敗します!」

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所轄勤務の女性刑事が女子高生刑事の部下になったら怪奇現象と戦う羽目になった件について。 刑事モノ×怪奇モノ×百合(?)。 連載は終了…

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