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愛情の送信機と受信機

私は愛情の送信機と受信機の形は人それぞれ形があると思っている。

リソースは自分の経験だが、私は昔母の愛情が全く伝わっていなかった

母は私が1歳の時に父を亡くしシングルマザーとしてバリバリ働いていたので、物理的に子供と関わる時間が取れなかった

子どもながらに大変そうな母を見ているとそんなに我儘も言えなくてあまり手が掛からない子供だった(はず(笑))

割と良い子だったので構われない私は普通に「お母さんはあんまり私の事好きじゃないっていうか関心がないんだろうな~」って普通に思ってた。

でも、自分が子供を持って気づいたのは、愛情なしに自分がここまで大きく育つわけないやん!ってこと。

それだけ子供が”普通に大きくなる”ってことは大変だし母の苦労も大変なものだったはずだ。

その時に「あぁ、母の愛情の送信機と私の受信機の形が合わなかったんだな、母は私に対して愛情がないわけでもないし、関心がないわけでもなかったんだ」ってことに気付いた。

これって結構誰にでも当てはまることで、親が与える愛情と子供が欲しい愛情って同じじゃない。

だからすれ違うこともあるんじゃなかと。

親はこんなに愛情注いだのに子供には伝わらなくて子供は「親に愛されてない」という。

逆に子供はこんなに親を愛しているのに親には伝わらなくて「うちの子は私の事が嫌いだから我儘を言うんだ」という。

もちろんいろんな人がいるのですれ違いじゃない場合もあるとは思うんやけど、すれ違っているならそれは本当に悲しい事なので気付いてほしいなって思う。

なんかしんみりしちゃった(笑)

本日はおしまい。



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