泣きたい気持ち。
雨が降りだしそうな、心が重たくなるような空を見ながら歩いていたら、ふと、専門学校の先生の言葉が頭に浮かんできた。
「君は、負の感情が強すぎる。」
思い返してみると、13年前、父が突然亡くなった時からかもしれない。
ファザコンの自覚がある私だけど、当時、遅くきた反抗期みたいな状態で、毎日イライラしていた。
大好きなのに、会話をあんまりしなかった。
そうしたら。
目の前から消えてしまった。
その日は派遣のバイトの日で、朝、戸惑いが拡がる家の中、電話をかけたのを覚えている。
「父が亡くなって、」
そこで声が詰まって何も言えなくなった。
でも涙は出なかった。
救急車が来るのを妹と外で待っていた時も、なんなら頭の中はクリアなのに真実味がなかった。
その後、いろいろな手続きが待っていて、母は天然&お嬢様な感じの人なので私が全部ついて行った。
本当に山のような手続きが必要なのね、人が亡くなるということは。
自宅からチャリに乗って、二人であちこち回った。
そして葬儀は身内だけで静かに行った。
「お前は長男だ」って父に子供の頃から言われていたから、父が亡くなった今、この瞬間、家族を守らなきゃいけないのは私だ、そう思っていたような気がする。
絶対に泣いたら駄目だ。
大好きな父が消えて、泣けなくなった。
この後は散々だった。
今考えると情緒不安定な感じだったんだろうけど、通っていた声優の養成所では急に成績が伸び悩んだ。
というか、私のことを嫌っていた某先生に徹底的にいじめられた。
(授業中私だけ名前呼んでもらえなかったりとかね)
当時はなんで?って思っていたけれど、実生活で泣かないように、辛くないように演技してるんだから、そりゃあ芝居できないよな。
そんな時期をどう乗り越えたのか、正直、覚えていない。
私の脳ってそこらへんズルくて、例えば学校に行きたくなくて演劇部のためだけに通っていた高校時代の記憶とか、すっぽり抜け落ちているのである。
演劇部の記憶しかないの。
授業とか、クラスメイトとか、全く覚えていない。
断片的に覚えているのは、テスト中、『あ〜……今、この机をバーーーーーーンってひっくり返したいなあ。』って衝動に襲われたこと。
別のクラスの女の子に告白されたこと。
舞台観に行ったら、同じ列に副担任が女性連れて観に来ていたこと。(その日に告白したって後から聞いてキュンとした)
クラスメイトからは、ほぼほぼ無視されていた、ような気がする。
記憶力がないのは、この、昔のトラウマから逃げるためなんだと思っている。
それぐらい記憶がよく、消える。
その嫌だった高校時代にどうしても役者になりたくて、大学なんて行きたくない!劇団とか事務所を受けたい!と初めて、両親にお願い、というか反抗をした。
もちろん怒られて(父親は特に大学に行って欲しかったみたい)、せめて専門学校へ!で話がついた。
高校の担任が応援してくれていたのも大きいと思う。
推薦入試で入った専門学校で、冒頭のセリフに出会うのだ。
とある昔の舞台作品の一場面を、ひとりで演じる、という課題だった。
もちろんセリフは暗記済み。
憎しみと悲しみを心に持った女性のモノローグだったと思う。
私は、演技スタート!ってなってセリフをしゃべり始め、そこから何も考えずに芝居を続けた。
本来だったら、次のセリフは、とか、こう動こう、とか考えちゃうような、そんな演技始めたばかりの頃だ。
なのに、言葉は勝手に出てくるし、相手を呪うセリフを吐きながら、涙が止まらなくなった。
私は私じゃなくなっていた。
このシーンが終わったあと、先生が言ったのだ。
「君は、芝居の中で人を殺せって言われたら、本当に殺せると思う。」
そしてそれは「負の感情が強すぎる。」から、だと。
私はその時、『それの何がいけないの?』って思っていた。
だってそれって、演技に活かせてるってことでしょ?と。
でも違った。
演技、じゃなく、「本物の負の感情」でできちゃうから、人も殺せてしまうんだ、と。
「自分を見る、もうひとつの目を持ちなさい。」
そう最後に先生はおっしゃった。
人を殺さなくて済むように、負の感情に飲まれないように。
あの時、先生が教えてくれてよかったと心底思っている。
それこそ舞台に立つ時、「もうひとつの目」は確実に私を助けてくれた。
舞台上で何が起きても、対処してきた。
対処、できた。
確かに今でも負の感情はとてつもなく強いけれど、例えば誰かを傷つけようとか、自分を傷つけようとかは思わない。
それは、先生が言葉にして教えてくれたからだと信じている。
先生、ありがとうございました。
声優のプロにはなれなかったけれど、舞台に立ち、たくさんの人たちに笑ったり泣いたりしてもらえるのは、本当に嬉しいことだから。
にしても、だ。
書きながら脳内整理をしたために、時系列がぐちゃぐちゃだ。
最初、自分の負の感情が強いのは父が亡くなったからだ、と思っていたけれど違ったんだな。
元々負の感情が強かったんだ。
で、大好きだった父が亡くなったことにより、負の感情はすこしベクトルを変えて、「泣けない」「泣かない」というマイナス方向へ行った。
だけどこれを書いている今は、ちゃんと泣ける。
これ書きながら泣いたし、なんなら父の話を人前でしようとした瞬間に涙が出る。
父が亡くなって3年後ぐらいに泣けるようになる転機はくるのだけれど、その話はまた別の機会に。
今日ここに書いたことも、それこそずっとしまっていて誰にも話せなかった。
けれどどうしても今、書いてみたくなった。
色々な人に、読んで欲しくなった。
だからその後の話もいつか、言いたくなる時がくるはずだ。
はつき。