ネタバレ劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE鑑賞日記

劇場版とその他のシリーズのネタバレを含みます。


劇場版、見ました。正直、期待してなかったので思ってたより良かったという感想がとりあえず。しかし伝説の1期をリアタイしていた私には、やっぱり1期が神がかってたなあという月並みな印象を繰り返してしまいました。エヴァなみに1期を卒業できない・・・

映画は1度しか見ておらず、考察動画をたくさん参考にして少しずつ思い出しました。ありがとうございます。感謝に耐えません。私の頭は映画を見た直後はいつもわりと何も思い出せません。レミネッセンスというらしいですが、1−2週くらいかけてじわじわ思い出してくるのでずっと下書きでした。間違ってるとこあったらゴメンナサイ。


映画の前半

まず死ぬ覚悟で出てきた人がいっぱいいました。みんなやけに物分かりよく死んでいきます。家族のために、可愛いい教え子のために、法律を守るために、贖罪のために、研究のために、と。これだけ気持ちよく死んでるとさすがにありがたみがなくなってきます。まずは雑賀さんを返せ。

1期の「一人息子のためにこれまでのみんなの全部を台無しにして笑って死んでいく父・征陸」に味をしめたのか、2期での朱の祖母の死といい、この新作の映画といい、家族の死が頻繁に出てくるようになりました。盛り上げ要素としてあれもこれも血縁関係にしておいて、適宜殺してない?という安易さをつい感じてしまいます。そうしたいなら父が良い意味で重い宜野座をもうちょっとからめた方が説得力が出そうに見えました。1期の槙島が家族歴や出生などを念入りに隠されていたのは、こうした「盛り上がる身内の死カード」を安易に切らないためかなと思っていて、評価していたんだけどなあ。

ともあれ、序盤で雑賀さんには割れた鏡が届き、バナナフィッシュイグナトフ兄も割れた鏡の前です。つまりこの映画は、差異と反復(w

慎導篤志。息子の色相が生まれつき縢のようだったら、それでもシビュラに息子の無事を頼んだでしょうか。色相エリートずるいなあ。自分が作ったピースブレーカーがどんなもんか知ってただろうに、私がイグナトフ兄だったら自分をこんな目に合わせたこのおっさんをどうにかして殺しかねません。なんとなく今作で伸び伸びしてみえる潜在犯に対し、免罪体質(や類似した性質の人)はエリート確定だけど脳みそ狙われるし大変なんだよとか言う話にしたいのかもしれませんが、憑依を振り切るイグナトフ兄の壮絶さに尺を奪われておりました。

そのイグナトフ兄も、戦い死ぬ動機が今のところ100%弟のための自己犠牲なのでフィクションすぎてちょっと白けてしまいました。トーンが合わない・・・。深見さんの小説あるかな?

シビュラが生来の色相の判定をあまり覆せないポンコツであることをはっきりさせているのが1期の槙島と縢で、生前誰も縢を守れなかったので同じ火の名前を持つ灼は単に親にとてつもなく大事にされるポジションなのかもしれません。

メタルギア砺波。貧富の差なら日本の近くにマルクス主義の国がありますが、まだあるんでしょうか。慎導篤志の言うことを聞いていたら大変な目にあったのでしょう。海外が長そうなこの人はシビュラ以前や、シビュラがなかったらどうなるかを知っているとも言えそうです。

「憑依」と言っていますが、いわゆる「神の啓示」のように見えました。モーセやジャンヌ・ダルクとかですね。作品内では脳内チップによる通信でしょうが、「神の声が聞こえた」とかに代表的な宗教的快感は昔から研究が確かあって、高地での激しい修行などで脳みそが酸欠になったりすると、わりとなると言われています。

プロビデンスの目とは「あなたを見ている」キリスト教のざっくり上位存在のことです。日本でいえば「お天道様」「世間様の目」を畏れる気持ちのようなものに似ているかもしれません。ひいては志恩さんの言う「冷静な自分が自分を見ている」にも繋がってくるのでしょう。

ディバイダーの機能は、この上位存在から直接脳内に使命を語りかけられる、宗教的な神秘体験にヒントを得た神秘的な状態を再現することで、自分がやる事を「神がやれと告げた」と二分心論的にすり替えられるので、ドミネーターの数値をちょろまかせるというものなのでしょうか。たいがいの人は役割や使命を求めるものなので、人に絶望し救いを求める彼らにはめちゃくちゃ効いたと思います。って自分らで作ったんすかね、ジェネラル(将軍)。開発してから期限がすぎて製造法が解放されているという意味でシビュラのジェネリック?

イグナトフ兄がオーバーフローといってたので、彼は本来の目的をみうしなわないために脳みその中に、憑依してくる情報をプールする場所を設けていたのかも? いやそれこそがディバイダー? ちょっとわからなかったです。

シビュラの海外展開の話はずっと前からやってまして、グーグルのようなグローバル産業を日本にもっと欲しいという気持ちは私もあるので、シビュラの輸出には大賛成なのですが、ピースブレーカーが紛争をけしかけるとかただの古臭い帝国主義のようで、1期直後ならともかくGAFAの成功のあとでは少々チープに感じました。わざわざ政治を転覆しなくても輸出できそうな。1期からグローバリズムを経てディバイドの声があがっている現在で、組織に殉じる彼らが活動できていた理由がわかったわけですが、現実に設定がついていけなくなっているのかもしれません。

でかい演算を元手に行われる管理社会というのは、現実では中国のほうが先に達成しそうですが、「日本人は社会主義に向いてる」という出どころ知らないけどよく聞く言説が元ネタかなと思ってました。1期のころは、氷河期がいいトシになったのに貧しいままなのを踏まえ、自己責任なんてないんや、という世間の雰囲気もあり腐敗しない共産主義ならいいんじゃないの的な意味でpsycho-passのディストピアはちょっと羨ましいところもあったんですが。個人的には脳みそもったいないのでさらに100年後とかのシビュラが無くなったあと、再生医療で人に戻すとかの斜め上は見たいです。あれAIじゃないんだからできませんかね。

個人的に宗教は無くさないほうが良いと思います・・・自分と小さなコミュニティにしか規範がない人は難しいと思います。


繰り返される1期


今度はただの傍観者でなくなった朱ちゃんは砺波に手錠をかけられ、再び銃を向けられます。朱ちゃんは話し合ったけど、砺波が銃をひっこめられるような答えを出せず、ヤバくなってきたところで忠実な狡噛が銃殺してしまいます。自分を救ってくれるシビュラ以外のものを求め、仲間を存続させようとした砺波も、今更ですが狡噛も、朱ちゃんは1期と同じようにどっちも救えませんでした。

砺波を理解できたであろう狡噛が事態の揉み消しに役立ってしまったことも同じでした。彼がやっちまうおかげで、免罪体質なんていないと白ばっくれていられます。ですが、ということは、狡噛の役割を誰かが奪ってしまえば、いろいろ「差」が生まれるはず・・・それがある証拠に宜野座は美佳ちゃんを庇って死んだりもしていません。この二人は血縁こそないですが、髪型はちょっと相関があるような気がしています(笑

という感じで、神話のように1期を繰り返しつつ差を生んでいきますが、これが法の存続、シビュラとの対話の必要性に繋がっていくのか?というと大変わかりにくく、そこへ慎導篤志が実は全部私でしたあとよろといって脳みそを撃ち抜くのでは、稚拙な私の感想が「シビュラは悪よのう」以上に深まっていかないのも仕方がないかもしれません。

そして、裁判制度を戻したとして、これだけ身内を優遇してるキャラが話を動かしていると、公平さに多少不安を覚えます・・・そこらへんの説得力が薄かったのが残念でした。あの世界で暮らしてると、色相も犯罪係数もある程度は生来的なものだとみんな気がつきそうなもんでもあります。

なんやかんやで、シビュラはジェネラルを飲み込み、アップデートしていきます。そのうち免罪体質も計測できるようになるよー、という前振りなのかもしれません。


演出と作画スゴイ


撃っても倒れないピースブレーカー隊員が出てきますが、違法薬物をキメすぎると恐怖心と痛覚が死ぬらしく、アメリカや今のウクライナでの戦争でもそういう人がいるというのをどっかで見ました。あまねく動物が等しく持っている原初的な感情、恐怖心を取り除く研究もアメリカあたりで行われているとか。内容的に旧ソの方がもうやってそうな感じもします。この映画はバトルシーンが見処として必要ですから、悪くなかったと思います。

ブレランのすげえオマージュ風景もさすがにちょっと見飽きてきましたが新しいほうのブレラン背景よりそれっぽいすげえ出来栄えでした。背景画像欲しいです。ブレランは「人と人の作った人っぽいネクサス(≒神と創造物である人)のキリスト教的対立と許し」が大きなテーマでした。翻って、人が本当に望む(どんな願いも叶えてくれる)神とは?みたいなこととか。なので1期ごろには、槙島人造人間説もちょっとあったし、そう見終わることも出来ました。この映画も100回くらい思い出し直したら、そんな感想を持てるようになるんでしょうか。

そしてキャラクターは表情豊かです。でもちょっとやりすぎじゃないかなあ。ややこしい話なのでエモさで繋ぐがないとつらいもんな、という感じがしました。進撃の巨人もWIT STUDIOで全部アニメみたかった派です。


映画後半


今作ではかっこいいメカと火力がすごいです。シビュラもどきがジェネリックなせいか、名前もキリスト教からの借り物ばっかりでしたが自走するガトリング砲ロマンですなあ。なんやかんやで武装と筋肉、できれば義手ということが十分に提示されます。ドミネーター不要。いろんな意味で力にこそ正義がありました。

そしてその圧倒的な暴力の魅力は朱ちゃんをとうとう捕まえてしまいます。暴力装置である狡噛の魅力でもあるでしょう(笑)。シビュラに誘われた槙島が腕一つで藤間の局長義体を壊したようにはいきませんでしたが、狡噛の暴力のシンボルである拳銃を使って。本当は狡噛がなんらかの襲撃作戦を実行する予定だったのかなと思いました。そして朱ちゃんは頭は撃てませんでした。これ安倍総理の事件直後だったら上映も一悶着あったかもしれませんね。

「貴様はやっぱり彼女の前に現れてはならなかった」のかもしれません。自らの意思で暴力を選ばず、他人にも暴力を選ばせようとしなかった彼女がえらい変わりようでした。この映画は、朱ちゃんにも暴力(狡噛)しか方法がなかったという話にしたいのかもしれません。暴力がないと法を守れないとか。いやあれは破壊? 強い狡噛に対する憧れと、薄っすらとした恋愛感情を下敷きにして。

別にこれでいいけど、美佳ちゃんに根回ししといて暴力茶番てー。えー。色相クリアを証明したいんなら殺す気で狙え、慎導篤志はやって見せたよと心の中の槙島さんと東金が私に囁いてきます。あのタフな朱ちゃんが義体と重々承知の局長なんか撃って色相が濁るわけがありません。茶番なんかしてごめんなさいの号泣?だったのでしょうか。世間的にはテロリストですが、これが成長つまりズルもできる大人になったんだよという話なんでしょうか。

ヒロインが設定を覆すほどの変貌ぶりを見せ、主役を降りる展開にしないと3期の主役たちが困るので、シリーズ構成上はここまでおそらく決まっていて、もう仕方がなかったかもしれませんが、心理的な説明もなくあまり面白くなかったのでもうちょっと何かなかったかと思いました。ともあれ朱ちゃんも、安全なライ麦畑から出てしまいました。これで狡噛も安心して迎えにいけるかもしれません。しかし「なすべきことをなせ」とシビュラのようなことを言ってたのに「馬鹿野郎」になり、公安を辞めたのを含め彼が思っていたのとは違うことだったのでしょう。変わり果てた朱ちゃんのことを、彼は好きでいてくれるでしょうか。

(そもそも、私は情緒が雑なので、二人がなぜこんなに拗れてるのか実は心情的に理解できていません。心配したけど狡噛は生きて帰国したし良かったねフレデリカ様ありがとうなと思っている)

キリスト教は原初の状態から土着の信仰や習俗を飲み込みながら改変されていると伝わっています。パウロは、今後は朱ちゃんの話になっていくのかもしれません。

あとは、局長がなぜかあの日に限って生身で、本当にポックリ死んでたらどうなってたのか想像したりしましたw  映画のラストでヒロインが泣くのは、映画の「ゼロダークサーティ」をちょっと思い出しました。

シビュラがそこそこポンコツなのは観客は知っていますが、このままだと法を人が守るのと、シビュラの言いつけを守るのと、作中の一般市民としてはあんまり区別がつかないだろうから、内実を公開して一般投票とかしたら就職から恋愛まで世話してくれるシビュラが勝ちそうにも思えます。ここらへんは、設定が「未来の話」なので、制作の人たちの考えるようになっていくのでしょう・・・

この映画が大変な労作だったのはわかるんですが、かゆいところに微妙に手が届いてないような感じがどうしてもあって、やっぱり虚淵さんが全面的に帰ってきてほしいですね・・・感想は以上です。


ついでに


2期は、あんまり面白くないけど、1期の公安1課で誰も死なないifをやってみていると思うとちょっと見れます。1期で縢はチェグソンの誘いに乗りませんでしたが、酒々井は迷いこんでしまい、鹿矛囲の仲間になります。探しにくる狡噛の代わりに青柳が置かれています。父の似姿になった宜野座は再びダイナマイトを投げつけられ、片腕は一人まで。最後の朱ちゃんの色相をみんなで見るシーンは俯瞰になっています。そういう感じのとこが結構あります。あとは鹿矛囲はエジプト神話でいう最初のミイラかな。配偶者(酒々井ーイシス)によってバラバラの体をつなぎ合わされ、兄弟(東金)と戦って死に、冥府の神だか王に君臨します。

なんでシビュラがこの世に必要かというと、死んでから裁かれないからであって、死後マアトの天秤に心臓を乗せられ裁きにあうのであれば、みんな正しく暮らすのでこの世に裁くものが必要なくなるという話です。なので、このシリーズで宗教を引き合いに出したい気持ちはわからんでもありません。この死生観はキリスト教にも受け継がれており、死刑廃止論はここらへんが根拠なので日本人にはいまいち馴染みません。(日本では国民は等しく天皇の赤子なので、一神教の国のいう平等の概念は理解しやすいと言われたりもする)。

つまり2期は現世の偽の神に叛逆するような話というか、古式にのっとって神になろうとした男の子の話だと思うとギリ見れんこともないです。黒いタールに染まるのは母の眠るピラミッドを守る犬東金さんとか。繰り返しますがあんまり面白くはないです・・・

冲方さんの他の作品には、全身の火傷の治療のあとで、周囲の物や人の出す気?のようなものを読めるようになってしまい、その共感力のようなのを使って活躍するヒロインが出てくるものがあります(マルドゥックなんとかです)。肉体改造をして(けっこうグロい)楽しむキャラとか、賭けを楽しむこととか、そこそこ自己オマージュがあるような。もともとは他所様の作品であるサイコパスでそれを主役に据える是非は作家倫理の話になってしまうでしょう。


イエスキリストに擬えられたキャラに1期の藤間がいました。小説版に詳しいです。免罪体質の彼は自分を王子様であると言いjkをナンパする変態さんでしたが、シビュラに加わる代償として、再開発されそうになっていた、自分が生まれ育った廃棄区画の保存を約束させてしまいます。イエスはエルサレムをローマ人から奪還しようとした人で、ユダヤの教えでは、メシアはダヴィデ(の詩篇)とシビュラ(の神託)に預言された、ユダヤ王ダヴィデの血をひく者であると決められています。廃棄区画の生まれで正しい生年月日はわからず、仮のものとしてきめられた藤間の誕生日は12月25日。そして「3」年後に再び槙島の前にいちおう人の姿で現れます。名前も幼少期に保護された際につけられており、トリニティをなぞらえたものでした。偽のメシアにふさわしいこてこての設定でした。舞台が学校だったのでそのせいでしょうが、教師じゃなくて、石工でもよかったなw


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?