アラフォー絶望日記
前回、気軽に書きたいってかいたのに、あれから全然気軽にかけてなかったので、気軽にアラフォー絶望日記を書いてみようと思います。
それぞれ歩んできた人生が違うので当然のことなんですが、他人の言動や行動をみて「そんなこともわかってないの?」ってびっくりすることありますよね。
もちろん自分にもあって、それを知ると、そうなんだ!そういう考えもあるんだ!って気づいて理解することができるのですが、冷静に話を聞いてちゃんと自分で向き合って考えるまで思いつきもしなかったってことがまだまだあるんですよね。
その私にとっての「そういう考えもあるんだ!」エピソードなんですけど、もちろん一つではなくて色々あるのですが、最近特によく考えたり思い出すテーマがあるんです。
それは「愛に条件はない」ってことなんです。
ーーいやいやいや…当たり前ですよね?だって「愛」なんだから。何を言ってるんですか???
と、これを読んでいる方は思われたことでしょう。
もちろん、私だって愛にまつわる話は聞いたことありますし、知っているつもりでした。
けれど、そのことに真に向き合ってこなかった私にとっては衝撃の事実だったんです。
「向き合ってこなかった」といえばそうなのかもしれませんが、これが先にも書いたとおり、まさに「気づいていなかった」んですよね。なんなら今も気づいていない可能性があります。
気づかないまま、さも当然、愛を知っているかのように、私はこれまで生きてきたんです。
私の過去を簡単に話すと、私は毒母に育てられ、自己肯定感がズタズタの状態で生きてきました。
(……そもそも母親がいわゆる毒母であるとか、自分の自己肯定感が低いということさえ、何十年も気づかずに生きてきたのですが)
そして私はずいぶん大人になってから、条件付きの愛でしか育てられていなかったことに気づくのです。
常に否定され、母親の顔色を伺い、認められるために努力し、不安と焦燥感でいっぱいの毎日。
つまり安心できる「無条件の愛」がある家庭で育っていなかったということなんです。
そんな私がこれまでやってきたことが「謎の努力」です。
努力ってとても大切なことだと思います。努力できる人を尊敬していますし、それこそ才能だと思っています。
でも私の努力は本当に前向きで必要な努力なのかと、最近時々、とてつもなく不安になるんです。
努力してなにかしらの成果を差し出す、あるいはそれを自らの付加価値とすることでしか認められなかった私にとって、謎の努力をやめることができないんです。
現在は母とは絶縁状態で、顔色を伺う日々はもうとっくに終わっています。
私は一体誰に認められようとしているのでしょうか。
かつて母にそう育てられたように、常に何もしてない無価値な自分にならないように、謎にがんばりつづける人生はなんなんでしょうか。
この努力の先に「愛」があるのかもしれないと、幻想を追い続けているのではないでしょうか。
ところが本来、何もできなくても、何もがんばっていなくても、何の条件をつけなくても、愛される人はそのまま愛されるということなのです……!
ここで、前回の投稿で「何もできなくなっている」と書いた件の続きを書くとすると、結局活動をできなくなっているの?それともやめらないの?と混乱すると思うので補足します。
もうずいぶん何年も前から私は創作活動をやっていたのですが、それが何にもできなくなった時期がありました。
そのあたりから、私はラジオにネタ投稿するようになりました。
その期間が数年あったあと、私はネタ投稿をやらなくなり、また別の活動をはじめました。
その別の活動が進んだり停滞したりしながら、さらに別の活動を複数並行するようになりました。
そして今も、創作ができなくなったり、それを補うように別のことをやったりと、常に何かをやっていないといけない状況に陥ってごちゃごちゃしているのです。
ただ、昔と違って近年の私の活動って、全部やりたいことをやっているだけなんですよね。
なので本来であれば、苦しいなんてことはないし、やりたくない、できない、気分じゃない、なんてこともそうないはずなんです。
苦しまないように、やりたいこと、楽しいことばかりを選んで日々エンジョイしているつもりなんです。
それでもやりたいことができなくなってしまう原因というのは、何もしていない自分なんて愛される価値がないという潜在意識と、それをやっても結局は愛されることのない現実への虚無感がおこすバグなのではないかと考えてみたりするのですが、さらに近年は、昔はなかったもうひとつの感情が芽生えたりしています。
その感情というものが、なんとなくの、絶望感です。
もうアラフォーといういい年齢になってしまって、だんだん、なんとなく、わかってきているんです。
ああ、私の人生どうもうまくいかなかったな。
この調子だと、この先もどうやらうまくいかなさそうだなって。悟ってくるんです。
もちろん、自分は何もかもうまくいっていない不幸な人間だなんて思っていません。
それなりに楽しいこともあるし、気分があがる日だってあります。
ただ、本当に欲しいものが得られない状況って、人生うまくいってない気がしませんか?
私にとって本当に欲しくて手に入らないものが「無条件の愛」です。
これまで様々な個人活動をして、それ以外にも仕事だったり恋愛だったりあらゆるすべての努力を振り返って、結果、私は誰かに無条件に愛されてきたのかというと、全くそんなことないんですよね。
常にひとりで、孤独で、色々なことに耐えて、狭い部屋でうずくまるように、ずっと冷たいところで何十年も生きています。
そして何も結果がでないまま、気づいたらアラフォーなんです。
じゃあ、いまさら無条件で愛されることに気づいたとて、
・アラフォー(老化)
・独身・彼氏なし
・友達なし
・人気なし
・親と絶縁
・低収入
・キャリアなし
・秀でた能力なし
さあ、こんな私を無条件で愛……されるわけあるかー!うそつけーーー!
世の中だって、みんなしっかり条件つけて、愛を与える相手を選んでいるだろうに!
もちろん人のせいにするつもりなんてないですよ。
私が歩んできた人生が「無条件の愛」に気づくことなくこういう方向にたどり着いてしまったというだけです。
こんな絶望ないですよ。
これこそがアラフォー絶望日記ですよ。
*
ところでなんでラジオネームのアカウントでこんなことを書いているのでしょう。
もちろんラジオのネタ投稿について触れているからということもありますが、なんだかんだいって、私まだ色々な活動を頑張りたい気持ちはあるんです。
というか、もう、絶望的なのはわかっていても、希望を捨てて生きることもないじゃないですか。
例えば結果的に何者にもなれなくても、貧乏のままでも、なーんにもない人生だったとしても、絶望に呑まれて他者を僻んで妬んで呪って生きるよりも、日々小さな楽しみを見つけながら、きっといいことある!って希望を抱いたまま死んだ方が幸せなエンドじゃないですか。
今って年齢関係なくいろんなチャンスありますし。そこだけはラッキーな時代です。
現実から目を逸らすな!は、まだ引き返してやり直せる若者に言ってあげてください。
こちとら、もはやいかに絶望的な現実から目を逸らしてハッピーに生きるかのゲームなんですよ。
なのでこのアラフォー独女、絶望しつつもまだ自分をだましだましなんとか明るく生きていきたいと思っているんです。
今、なにもできない状況になっていても、こうやって書きなぐることで争ってみているんです。
ハガキ職人の中には、もしかしたら私に近い考えの人もいるんじゃないでしょうか。
ネタ投稿に置き換えてみて、「自分にはこれしかない」「ネタが読まれない自分には価値が見出せない」そんな職人さんも一部いるように感じています。
実際はそんなことないらしいんですけどね。愛に条件はないので。
結局私たちって、愛が足りてないってことなんですかね。
さてここまで雑多に書いてきましたが、序盤からこんな人生絶望しかけているような人間の暗い内容で、この先挽回できるのでしょうか。
読了ありがとうございました。
それでは次回、人生に絶望していなければ。