森の映画館
森のどこかにあると伝えられるおもちゃのようなトーテムポールを探しに出かける。森は深いが、人間にとっての外敵はほとんどいない。蛇も、クマも、狼もいない人間にとって楽園のようなこの土地で、私は、ひたすらに歩く。そして、樹木に生った果実をひとつもぎって口にする。すると、甘くていけない味が口内外問わず充満する。そのイケナサは私を執拗に責め立てる。人工的に植えられたトウモロコシの実の甘さに感じる罪悪感とも違う、次を約束されぬその場限りの罪の意識、しかし、豊かな罪の意識に責め立てられる。私は、それを、心地よいと思う。
飛べない鳥が、地面を歩いている。飛べる鳥は、空を飛んでいる。ハリネズミが、体についた針を倒したまま、警戒心もなくのそのそと歩いている。
しばらく歩いて私が目にしたのは、木を積んだだけの素朴な映画館だった。設計図など存在しない場所が生み出した素朴な建物。扉を開けると、私よりも早く光が室内に音もなくさっと入る。スクリーンに、男と女が向かい合って立っている映像が映されている。映写機から与えられたのとは別の光によって、その映像は薄められている。無造作にいくえの光が重なる映像は、よりいっそう輝くようで美しい。そして、男と女の遥かに上空、文字通り空も海もないただ青さのなかを飛ぶハトがいる。
映画を観に、みな、それぞれに腰掛けとランプを携え方々から集まってくる。森は、生命のさせる音に満たされた静寂さを、だれに誇るともなく誇っている。ひとを含めた獣の足音に呼応して、ホーホーホー、というミミズクの鳴き声がする。チキチキチキ、と虫が草むらで羽を擦っている。
環境に開放された映画館で上映されている画像それだけをさして映画と呼んでいいものなのか。
それでも、その映画を楽しみに集まるひとがいる。映像を編んだひとがいちばん最前列に陣取った子供達に負けぬほどの楽しそうな顔をして座っている。いや、子供の何人かは眠たそうにしている。なんだこれ、と言って遊び始めている。欠けた土器の蓋を駒にして回している。そして、それはくるくるくると不格好に踊り狂っている。
朝の気配の届かぬ闇夜に、ひとの営みがさせる物音がこだまする。時計の針がするように、先んじた時のかかとを踏み、重なり、捕まえ、造る音がチクタクとする。同時にほどき、開き、逃し、壊す音がチクタクとする。
ほら、本物の映画が、ここにあるでしょう?いつか観せるねと約束した女に、私は、それを果たしたつもりでぽつりと言う。
ホーホーホー、私の約束など関係ないとでも言うように、ミミズクが鳴いている。静かに、ホーホーホーと鳴いている。静けさを、うたっている。その静けさが耳に届いてうるさいのは私ばかりとはっとして、私は、思わずきゅっと唇を束ねたのだった。
ハト本第1号『ハトを、飛ばす』(2011)に収録
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