マキシマム2018 電子音響初体験記

電子音響初体験記。「マキシマム2018」を拝聴してきました。初めての経験でもあり、下記は自分のためのメモで、シェアすることに何か意味があるかはわかりません。

星谷作品。ペンタトニックのフレーズと、無機的なブザー音、それにチューバの息音とが交錯する。息の音は増幅されていたのかな…いずれにせよ電子音響の使い方は非常に控えめに感じられる。なにしろ初体験なので比較対象がないのでわからないが。もっとも、ロック系の電子音響のimprovisationなんかはすごく暴力的(?)な(ことが多い)ので、とてもおとなしい印象。「草原」か?といわれれば、「草原」かもしれない。ノモンハン事件が背景にあるとすれば、それはそれはシリアスなものだが、ペンタトニックの印象からか、むしろゆったりした感じを受ける。それがブザー音で寸断されるところに、刹那の意味があるのだろうか。

磯部作品。音響としても大変面白かった。当然なのだが、ソロ作品でも、あらかじめ録音した音を重ね、それも「素」ではなく音高はじめいろいろな形で加工したものを重ねていって面白い効果が出せるのですねぇ。3重音くらいで、下から上に平行にスライドするグリッサンドが、私には極めて魅力的に響いた。これが形作られていく「円弧」なのかもしれない。これは既製品のサンプラーでは出せない効果だと思う。電子音響効果のショー・ケースとしてもきらびやかな作品。

神本作品。Henri Guérardの、北斎に影響された作品に触発されたという。作曲者はパリで学んでおられるので、北斎に影響されたGuérardの作品にフランスで学んだ日本人の作曲者がさらに触発されて…という極めて入り組んだ状況が大変面白い。しかも、18世紀から21世紀へと4世紀を経て結実した作品ということになる。この作品でも電子音響の使用は抑制的、というよりも的を絞ってもっとも効果的なところで使用されているという印象をもった。チューバもかなりの運動性をもった楽器だと思うが、それにしてもクラリネットと張り合うには相当のvirtuositéを求められる。作曲者は両者に完全に対等にせめぎあうことを要求している。作曲者のおっしゃる「『歌』と『律動感』の2つが大きな柱」というのは全く同感であって、この作品においてもその基本的な考え方は貫かれていると感じた。とはいえ、晦渋なところもあって、なかなか一筋縄で鑑賞できる作品ではないとも思うが。

中川作品。最初の部分を奏者は後ろ向きで演奏する。中川作品の「異界化」のメソッドとしてはひかえめか。つまらない話で恐縮だが、クラリネットの断続するトレモロが(我が家の)火災報知機の信号音を思わせる。奏者は楽器の中に向かって歌う。と思うと、突然普通の上行音階が現れたりする。作曲者は、解説にレイボヴィッツの名をあげて「不断の変奏」の概念とも近接している、というが、その言及自体が、もう一段メタな「異界化」ではないかと疑う。12音で書かれているのか、そういう部分があるのか、私にはわからないが、大変音数が多く「クラリネットの演奏」を楽しむことができる。電子音響の使用は極めて限られたもののように感じる。

山本和智作品。作品全体の印象は電子音響も含めて華麗なのだが、同じ音形を少しずつ変えて繰り返す(作曲者の解説には「やり直す」とある)ことから、巨大なオブジェがゆったりと形を変えながら回転するような趣を感じる。音は、ロジカルに変形されて重ねられていく。電子音響の使用が「のっぴきならない」必然性を持っている。ゆったりしたオスティナートともとらえられるだろう。聴いていて愉しく、ポップさをも備えた作品だと思う。


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