アルビレオ音楽展・XXX (November 6, 2018 at Suginami Kohkaido)わたくし的感想
11月6日夕、作曲家集団アルビレオの第30回(!)演奏会にお邪魔しました。
<プログラム>
千原 卓也 落霞深き処に(2018・初演)
Vn:鈴木睦美、Pf:伊倉由紀子
安川 徹 ホルンとピアノのための「Mi-4-Si」(2016~17・再演
Hr:三好直英、Pf:下条絵理子
廣木 良行 雪渡り(2018・初演)
合唱団うぐいす
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橘 晋太郎 「萩原朔太郎の詩による歌曲集」より(2018・初演)
Sop:伊藤裕子、Pf:星野苗緒
衛藤 恵子 ある思い チェロのための(2018・初演)
Vc:浜砂なぎさ
田口 順一 「聖母は嘆きて」より3曲
「十字架のかたわらに」「炎にくべられ焼かれても」「十字架により」
「グローリア」
合唱団うぐいす
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以下、感想など。
千原作品 ヴァイオリンとピアノという極めてオーセンティックな編成で、真摯に磨き上げられた音楽だと思う。プログラムノートに落日の経過をとらえているとあり、おのずから形式は西洋的な弁証法的展開にもならず、序破急でもなく、徐々に速度を落とし音数も減っていくという一方向的な「構造」をとったものと思う。終盤はっきりと調性を打ち出して、空虚5度で終わるのがこの曲の必然なのであろうと思った。
安川作品 題名のmi-4-siは、徹作品の1曲目ではe fis hで短調、3曲目ではes f b で長調とシンメトリーを生かした曲作りとなっており、3曲目が淡々と終わってしまって聞き手としてはやや欲求不満が残るものの、手堅い作品である。2曲目はもくりんが登場して e f h の形でひと暴れするわけだが、最後にピアノの低音部の肘打ちクラスターffで終わるあたり期待を裏切らない。
廣木作品 宮沢賢治の言葉のもつ素朴な(と言っていいかどうかは疑問だが)リズムを生かし、旋律的にも調性がはっきりとして、かつ限られた素材を駆使してチャーミングな合唱曲だと思う。3曲目「お酒のむべからず」におけるピアノの使い方も面白く、かつ効果的だと思った。終曲、ダイアトニックに織り上げられていく音楽は圧倒的で、終盤にふんだんに織り込まれる転調が効果的である。
橘作品 音楽はしっかりとした和声構造の上に組み立てられている。陰影のある和声法を駆使して、音楽は詩に寄り添う。たとえば、「緑色の笛」の「その音色は澄んだ緑です」の部分の扱いなどは大変面白く聴いた。私個人としては、「夢」の方が詩想と音楽の相性がいいように思った。「緑色の笛」では朔太郎の一般的に言われる「特異的」な部分と音楽の「安定した」美との間に離反するものが感じられる。もっともそれが逆に詩のシュールレアリスティックな面を際立たせるという効用があるのかもしれない。
衛藤作品 悠然というのか泰然というのか。チェロ独奏の無数の可能性を知り尽くした上で、作曲家は一曲に「絶対」の表現を与えた。まるで即興演奏を聴くような自在さを感じさせて、しかも曲が終わってその端正な形式美が聳え立つ。チェロはもちろん表現力豊かな楽器ではあるが、その独奏でこれだけの壮大な世界が広がることに驚きを禁じえない。題名から連想されるように、これは一瞬によぎる「ある思い」なのかもしれないが、私には壮麗な建築物を目の当たりにした思いがある。
田口作品 テキストは確かに耳慣れた典礼文らしいのだが、不協和音、しかも解決しない不協和音を多用した「聖歌」は新鮮に響く。終止も協和音ではない。時々耳慣れた三和音があれわれてもすぐまた減和音や2度、4度や5度の不協和音に溶け込んでしまう。3曲目は冒頭から減3和音である。「グローリア」に関しては不協和といっても厳しいぶつかり合いではなく、柔軟な音の扱いに大変好感が持てる。最後は減3和音のAmenの繰り返しで曲は閉じられる。何かとても新鮮で不思議なものを聞かせていただいたように思う。
演奏について触れなかったが、いずれも素晴らしい演奏であった。ひとつだけ付け加えるとすれば、合唱団うぐいすのみなさんの演奏の見事さである。廣木作品にせよ田口作品にせよ、いずれも演奏技術的には相当に難しいものだと思うが、その困難さを聞き取らせない優れた演奏であった。
素晴らしい作品と演奏を聞かせていただき、ありがとうございました。
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