Liszt Etudes D'Exécution Transcendante, S 139 - 4. Mazeppa
リストの曲はなぜあんなにつまらないのか。
たとえば、超絶技巧練習曲の第3曲「マゼッパ」。一連の曲の中ではマシだと思うが、例えば出だしのところ。
最初の部分はピアニストはいろいろ工夫して意味ありげに弾くが、単なる減七の和音の連続であり、半音ずつ上がっていくだけだ。Cadenza ad libtumの部分もただひたすらニ短調の和声的短音階を弾いているだけ。なんの工夫もない。(ラフマニノフとえらい違いだ)
テーマは決して悪くない。
しかし、この両手に出てくるオクターブがうるさすぎる。三度の「飾り」に半音下からのアプローチがついているだけで、弾くのは難しいが、それほど見合った効果があるとは思えない。単純化すれば:
これだけのことであって、大げさにすればするほど、音楽のうすっぺらさが強調されてしまう。
同じテーマが後半拍子と調性を変えて再現するところ。アイデアは悪くないが、ピアニスティックにせんがための修飾が返って音楽を邪魔しているとしか思えない。
ここも音楽的な要素は単純そのもので、繰り返すが、アイデアは悪くないと思うのだが、こんなにオクターブを重ねなくても、音楽は伝わるのだ。要はやりすぎである。単純化すればこれだけのことで、音楽に厚みを与えるにはいかようにも別の方法があるはずである。
アリス・沙良・オットさんの演奏を聞くと、端正ではあるのだが、上の譜例でいうと、最初のDの和音を特徴付けるF#の音が装飾音に埋もれてしまい、4小節目のメロディーに出てくるF#がまるで間違った音のように響く。ここはやっぱりシフラのようにF#をしっかり聞かせないといけないところだろう。