後からくる痛み
大人になってから転ぶのってめちゃくちゃ恥ずかしくないですか?
子供の時は「大丈夫?」って心配されても、「大丈夫!」って返せるのがなんか格好良いというか、そういう気持ちがあった。
でも、大人になってから聞かれる「大丈夫?」は、「(頭)大丈夫?」に脳内変換されて、転んだ体でなく転ぶような生活をしている奴の脳内を心配されているような被害妄想をしてしまう。
大人になってから何度か人前で転んだ事がある。
ここでいう転ぶの定義は背中を打つレベルのやつである。
非常に派手で、誤魔化しようがない。
つまづくぐらいは日常茶飯事だ。
なんにもないところでスニーカーを履いていたってつまづくのだ。
多分歩くのが下手なんだと思う。
駅の階段を踏み外したりした場合は本当に恥ずかしい。
絶対心配して声をかけてくれる人がいるからだ。
目の前で階段を踏み外した奴がいた時の反応って最早反射だと思う。
あれこれ考えてる暇とかないし。
心配ってより驚きから声を掛けてくれてるんだとは思うけれど、そういう時、そんな風に声をかけてくれる人は間違いなくいい人だ。
それは分かっている。
しかし転んだ方は放っといて欲しい位恥ずかしい。
黙って通り過ぎてくれればこちらも何事も無かったように立ち上がって歩くのだ。
だってその状況で口が裂けても「大丈夫じゃないです」なんて言えないでしょ!!
勝手に転んでるんだから!!
……失礼。取り乱しました。
一度だけ原付に乗っていた時に交番の前で転んだ事がある。
雪の日にバイトに向かっていて、交番の前の信号で止まろうとして、停止線にスリップして横に倒れたのだ。
いやもう。
恥ずかしいとかそういうんじゃない。
逃げなきゃと思った。
別に悪いことをした訳じゃないのに。
幸い雪で全然車も走っていなくて、そして原付を起こす間に信号が青になったので、すぐに走り去った。
視界の端に慌てて出てくるお巡りさんが見えた。
本っっ当に恥ずかしかった。
当時まだ17歳とか位だったのだが恥ずかしすぎて未だに時々思い出す。
ちなみにバイト先に着いて確認したら、腕がすりむいて流血しており、それを見た途端痛みを感じた。
「痛み<恥ずかしい」だった訳である。
そしてそのまま成長することなく今日も私は転びました。
幸い今日は家の中で目撃者もいなかった。
インターフォンが鳴ったので、宅配便来た!と浮かれて出ようと立ち上がり、モニターの前に止まろうと思って、そのまま足を滑らせて綺麗にするっと転んで背中を打った。
しかし「外には宅配の業者さんが待っている!」と思って、素知らぬ顔して急いで出た。
多分バレている。だって転んだ音がしたから。
どん!って。
それでもしれっと荷物を受け取った。
受領印もちゃんと押した。
大人だって転ぶ。
フローリングは滑る。
危険はどこに転がっているか分からない。
そして今になって打った腰が痛い。
自爆ばかりしながら、今日も一生懸命生きている。