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食べものと同じくらい、摂取する「情報」意識できてる?
食べものはエネルギーだという話をここでしたけど、情報もエネルギーです。
食べるもののカロリーや内容には多くの人が気をつけてると思うけど、情報に関してはどうだろう?
TVやSNSで無料の情報が無制限に摂取できる時代、無意識にショート動画を見続けたり、TVやYou Tubeを垂れ流しにするのは、ゴミも栄養も分別せずに全部口に放り込んでるのと同じこと。
過激な言い方に思えるかもしれないけど、目や耳から入る情報は思考に強い影響を与えるから、そのくらい気をつけるくらいでちょうどいい。
特に無料の情報がなぜ無料なのか? そこに想像力を働かせてみよう。
情報を発信する媒体の運営、情報をアウトプットする人の労力など、情報が目に入るまでにはあらゆるリソースが必要なはずなのに、なぜ無料で見ることができるのか?
答えは一つではないけど、そこに想像力を働かせるだけで情報との付き合い方が変わるんじゃないかな。
私が小さい頃からずっと思っているのは、
見聞きしてきた情報の集合体 × 偏見 = その人の発言内容
なんじゃないかってこと。
「自分の意見」なんてものはこの世の誰も持っていなくて、その人が得てきた情報が偏見によって歪められたものが、その人の考えであり、発言の内容なんじゃないか。私自身もそうだと思って、どこから情報を取るかにはかなり気をつけてるつもり。
自分の発言内容は、必ず周りの人に影響を与えるものだから。
そして、価値のある情報も偏見のフィルターを通すことでゴミになってしまうことがあるから、なるべくフラットな視点を心がける。幼少期から身につけてきてしまった偏見はどうしてもあるから、それは気づいて削ぎ落していけるように。これがなかなか手ごわいんだけどね。
情報は、TVやスマホからだけではなく、周りの人から入ってくることの方が多いかもしれない。
だから、どんな人と付き合うかが、人生においてはとても重要。
ネガティブなことばかり言っていたり、人の足を引っ張ろうとしたり、他人をコントロールしようとする人が身近に多すぎると感じたら、環境を変えた方がいいし、いずれそうせざるを得なくなる。
自分が目指す方向と、周りにいる人たちの見ている方向があまりにも違う場合も、きっと一緒にいると苦しいよね。
周りの人たちの些細な言動が、知らず知らずのうちに思考に影響を与えている。
それが希望する未来への推進力になっているのか? それとも足枷になっているのか?
そこに目を向けると、自然とやるべきことが見えてくるはず。
Cover photo by Sara Cervera
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