[fgo考察] ビースト予想前編


はじめに。

筆者は型月ニワカである。FateシリーズはFGO以外未プレイ、知識の大半は型月Wikiから。その上その他知識もネット検索で得た付け焼き刃。数多のガバとネタバレを多分に含みます。

なお、この前編では世界観の考察がメインとなる。クソかったるいのでご注意を。ぶっちゃけ後編だけ読んでも問題ないと思う。



「アラヤ」。
人類の無意識下の集合体、霊長の世界の存続を願う願望。
しかしその実態は不明瞭である。というのも、アラヤ単体の説明が異様に少ないのだ。殆どがアラヤの“守護者”や“抑止力”といった力の在り方を言うものばかりである。
アラヤの再定義のため、まずは由来となった阿頼耶識および唯識思想について整理しよう。

阿頼耶識

阿頼耶識とは、瑜伽行唯識学派(大乗仏教の学派の一つ)によって唱えられた思想体系『唯識思想』における深層意識のはたらきを言う。

唯識とは「全ては各個人の心的作用、イメージに過ぎない」とする思想である。
私たちはそれぞれ五感や知性といった“識”(=対象を認識する心のはたらき)を持っている。にも関わらず、対象を正確に認識できているかと言うとそうでもない。深層意識が認識に作用して、対象にイメージを投影してしまっているからだ。この“識”に作用する根本の“識”を阿頼耶識と言う。
阿頼耶識のはたらきは『蔵』とそこに蔵される『種子』に例えられる。私たちが記憶・体験した事象は、その善悪を問わず種子となって阿頼耶識にたくわえられる。種子同士で新たな種子を生み出したり、はたまた阿頼耶識を飛び出し他の“識”に作用することもあるだろう。あらゆる可能性を秘めているという訳だ。

しかしこの阿頼耶識のはたらきも深層意識、個人の心的作用に過ぎない。
故に、私たち各個人にとっての“世界”とは、全て主観というフィルターを通して見た不確かで移ろい易いもの、即ち『空』であるという見解だ。

人が認識しようがしまいが物体の姿形が変わることはなく、それを捉える心が変われば物の見え方も違って見える、というわけだ。
だがしかし、もし文字通り『“世界”が人のイメージを投影したもの』だとしたら?そんなことを示唆するシーンがFGOではすでに描かれている。

物理法則

「我々の世界……人間の世界はこの惑星の表層に貼られた一枚の敷物(テクスチャー)にすぎない、という考えがある。」
第6特異点、アトラス院で聖槍を調べていた際のホームズの台詞である。さらに台詞は続く。
「その惑星において覇権を握った知的生命体の認識……あえて言うなら物理法則か。」「この物理法則によって成り立つ敷物が我々の世界だ。」

そう、『物理法則を私たちが認識している』ではない。『知的生命体の認識“を”物理法則と言う』のだ。
海の潮の満ち引きも、惑星の軌道が一定であることも、時間が過去から未来に流れてゆくことも。全てその世界に生きる人々がそのように認識しているからだ、と。

このホームズの発言と唯識思想、違いがあるとすればその規模か。
唯識思想、阿頼耶識とは個々人が持つ認識の蔵だ。対して物理法則とは『その惑星において覇権を握った知的生命体の認識』、地球にとってそれは人類という、一個体ではなく全人類を指す。
これをこそ『人類の無意識下の“集合体”』アラヤと呼ぶべきではないだろうか。


魔術

世界は人々の認識によって成り立っている。
であるならば、例えばそう、“騙す”なんて事もできるのではないか。

私たちが生きるこの星には、重力というものが働いている。空を飛ぶとしたらそれ相応の物理法則に従わなければならない。ローブを着てとんがり帽子を被り、箒に跨っても空は飛べない。
しかし、Fate世界においては不可能ではなくなる。“空を飛ぶ”為の要素をかき集めて、『これで空を飛べるのだ』と自分自身が識れば、この世界では起こり得る事象となる。魔術師自身もまた、アラヤの一部であるからだ。


所縁

話を戻そう、アラヤだ。
Fate世界には阿頼耶識を由来としたルールが確かに働いている。ならば、阿頼耶識を所縁として生まれるもう一種の“識”もまた、この世界に影響しているはずである。
それは阿頼耶識と同じ深層意識、自己への執着「私“が”」と思う心──末那識である。

この未那織、非常に厄介な性質を持っている。煩悩を生み出すのだ。
煩悩、それは心身に苦しみを生み出す執着や欲望の心。悟りの境地に至るための最大の障害と言っていいだろう。
アラヤが「我を取り外してヒトという種の本能にある方向性が収束しカタチになったもの」であるなら、この“我”とはどこへ行ったのだろう。まさか人々の認識が形をなす世界で、煩悩だけが存在しないなどという虫のいい話があるだろうか。

私はこの煩悩こそが、ビーストの本性であると考察した。
英霊召喚とは抑止力の召喚であり、抑止力とは人類存続を守るもの。第4特異点にて冠位クラスについて語るアンデルセンの台詞である。人類の持つ破滅回避の祈りであるアラヤと、星が思う生命延長の祈りであるガイア、人類存続を守るというからにはアラヤの側の抑止力であると推察できる。
そう、アラヤだ。そのアラヤを所縁として末那識から生じる煩悩がビーストの本性である。

後編では『ビースト=煩悩』として、まだ明かされていないビーストを予想していこう。

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