【FGO】解釈:LB1

初めてnoteへ記事を投稿したあの日、私は一つの覚悟をもってタイトルを入力した。
『考察』と名乗る覚悟。それは私にとって大きな意思表明であった。

裏付けとなる根拠を揃え、論理的に意見を述べているか。主観に寄ってないか。矛盾はないか。よく考え抜かれているか。

そういう意味で、この記事は考察ではない。
解釈。うん、これがいい。

という訳で、新シナリオが来る前にLB1を読み返してみたので、その解釈を垂れ流すことにした。
暇つぶしにでもなれば幸いである。




私は以前、LB1とは『生理的欲求』が欠落した世界である、と考察した。
ビーストのナンバリングは欲求七段階説と照応する、ビーストⅠであれば生理的欲求。そのビーストⅠゲーティアの理であった『憐憫』を持たないLB1には生理的欲求そのものがないのではないか、というのが私の主張である。

さて、これは正しかったのだろうか。
改めてシナリオを読み返してみると、彼等は決して生理的欲求が無いとは言い切れない事に気づいた。
そもそも生理的欲求とは、生命を維持する為の睡眠や食欲といったまさに生理的な欲求を言う。例えヤガという種に成り果てても、彼らにも睡眠はもちろん食事に至っては人間以上に生命維持に必要である。
そしてシナリオにもそれらを求める描写は多々あり、生理的欲求そのものが無いというのは誤りであるだろう。

だが、それ以上に重要な欲求が、彼等からは感じ取れなかった。
殺す、殺せ、死ぬ。LB1ではよく「死」を思わせる言葉が使われている。あの環境である、「死」はすぐ傍にあるものなのだろう。
だけど、そこに「生きたい」という願いが見受けられないのは何故だろうか。

伝わるだろうか。完全にニュアンスの問題、主観である。
「死にたくない」と「生きたい」は、同じ意味だろうか。



そも異聞帯とは、剪定されるはずの世界が何故か現代まで続いてしまった世界である。
ならば、LB1もまた、剪定される理由があるはずだ。
私はそれを「生きたい」という意欲を失ったからではないかと考える。

今年のバレンタインイベントにて、面白いルビが振られていた。
『欲望』と書いて“やる気”。ようは意欲。
これを失って剪定まっしぐらとなった世界があった。LB1も同じ理由なのではないだろうか。



“生命を維持する為の欲求”という意味なら、「生きたい」という意欲は生理的欲求と言えるのではないだろうか。
彼等ヤガに生理的欲求がない、というのは果たして正しかったのか間違っていたのか。私にはその答えを、解釈無しで答える事が出来そうにない。

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