13時 時計を見る。時が止まる。

 その日は雨だったから、人の少ない教室で最後まで給食を食べることはなかった。皆給食を食べ終えた後もグラウンドに行かず屋内で遊んでいたから、というだけであったが、ユキヤにはかえってそれが煩わしかった。食べるのが嫌いなわけではないのだ。確かにもやしが苦手だが、食べられないこともない。ニンジンやグリーンピースなどはむしろ好きなくらいだ。牛乳だって食べるのが遅いから争奪じゃんけんに加わらないだけで、昼だけでなく毎朝家で飲んでいる。食べ残すことはほとんどない。無理して食べているわけではないのだが、いかんせん食事のはやさが遅いのだ。

 ユキヤの周りでは昼休みが始まっている。いや、ちょっとだけまだそうはなっていない人もいるようだ。給食当番で、食器を戻す係りの人たちがなんとなくではあるが確かにユキヤに注目している。ユキヤはそれに気づいていた。いつものことなのだ。皆が食べ終わるまで食器を戻すことはできない。だから、ユキヤが食べるのが遅ければ、給食当番は待たなければいけなくなるのだ。いつもユキヤは5分間くらい、一人で食べているのだけれど、決して長いわけではない5分間は、その日は不思議と長く感じた。

 教室に残っている人がいつもより多いからだろうか。みんなユキヤに注目しているわけではないとは思うのだけれど、それでもいつもより申しわけなさが強くなる。ごめんなさいと心の中でいいながら、それを口に出しても何もいいことがないことはもう知っていたので、ユキヤは自分なりに頑張って食べながらじっと時計に視線をやった。保育園の時からの癖なのだ。

 時計を見て!その間は時が止まっているから!
 そんな言葉が頭から離れない。だから時間が進んでほしくない時、ユキヤはいつも時計を見た。そんな非現実的な空想も、当時5歳の彼らが頭と経験を必死に使って辿り着いた結論なのだろう。秒針は確かに動き続けるけれど、分針についてはじっと見ていても目に見えて動くわけではない。ずっと時計を見てさえいれば、たとえ秒針が動いても、分針のほうは動いていない、そのように見えるのだから、それはつまり時が止まっているのだ。

 今ではそんなのありえないなんてユキヤは分かっている。分かっているのだけれど、時間が止まってほしい時はどうしても時計を見てしまうのだ。
教室の時計は1秒ごとに秒針を進め続けている。無言で淡々と時を刻むその物体は、なぜだかユキヤを落ち着かせる。


 長い針が短い針に追いつくよりも前に給食を食べ終えた時、時計はユキヤを笑っているように見えた。不思議に思ったけれど、これ以上給食係を待たせるわけにもいかない。急いで食器を片付け、歯を磨いて牛乳パックを開いてから教室に戻ると、長い針は既に短い針を追い越した後だった。

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