炭治郎の慈悲の心が失われたのは何故か
鬼は人間だったんだから
俺と同じ人間だったんだから
醜い化け物なんかじゃない
鬼は虚しい生き物だ
悲しい生き物だ
コミックス5巻に出てくるこのセリフは炭治郎の鬼に対する向き合い方を象徴する言葉である
主人公の類稀な優しさが際立ち、鬼滅が「日本一慈しい鬼退治」と称される所以となったシーンでもある
しかし物語が進むと次第に炭治郎は、鬼殺隊でありながら鬼に慈悲の心を見せる優しさを持つ少年ではなく鬼の始祖を討つことだけを考える復讐者となり、最終的にはすべての鬼を葬り去ることになる
鬼となった者にも「人」と使い、胡蝶しのぶに鬼と仲良くする夢を託された炭治郎が他の鬼殺隊員同様に復讐者と化したのは何故か?
それは鬼の描かれ方の変化に原因がある
物語の前半で炭治郎が戦ったのは人間だった頃の面影を残す鬼ばかり
死の間際自らの行いを悔いる者、恵まれない環境によって鬼にならざるをえなかった者、不遇な境遇で生まれ、理不尽な社会の犠牲となった者
ある意味無残に捨てゴマにされた被害者とも言える
望まず鬼にされた禰豆子や不死川兄弟の母もまた被害者
鬼となること自体が理不尽そのものであり、鬼は「理不尽の被害者、醜い化け物ではない存在」として描かれる
鬼を倒すことは救済や解放に近い
しかし敵の鬼が強くなるにつれ、人間だった頃の面影が薄くなり後悔もしなくなる
人間を見下すのが普通となり人間だった頃から悪事を働いていた者、望んで鬼となった者が多くなる(唯一猗窩座は元々の被害者スタイルで出てくる)
すると「鬼=理不尽の被害者」から「ただの悪、人間の敵」へと変わり、倒してなんぼ、滅ぼして当然の存在として描かれるようになる
極めつけは炭治郎が無惨に対し「お前は存在してはいけない生き物だ」と言い放つ場面だここで炭治郎は決定的に鬼と人間に区別をつけてしまった
また最終決戦で禰豆子が炭治郎と離れたことも鬼は元々人間であり被害者でもある、という視点の喪失に繋がった
この変化によって鬼は慈悲の心を向ける対象ではなくなり、無惨と対峙する頃には炭治郎は憎しみをむき出しにする単なる復讐者となってしまったのだ