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「自分の夢」のフリした「他人の夢」

私の通っていた大学には古くて大きな図書館があった。学生証をかざさないと入れない。私語は厳禁だ。私は19歳の頃、よく一人でそこを訪れた。古い本の匂いと、ゆらゆらと動き回る学生たち。人はたくさんいるのに、そっと静まり返っている。私は本たちには目もくれないでまっすぐとある場所へ向かう。2階の広い窓の前。いくつかの一人がけソファが置いてあって、それは好きに動かしてもいい(というかみんな勝手に動かしていた)のでそっと壁側に二つ重ねて小さなベッドのようにする。窓に向いて座ると、世界には窓と私だけが残る。カバンから自分が持参した本を取り出す。柔らかな午後の光に包まれる。埃が小さなきらめきになって光の筋を舞う。空気はぬるく、暖かく、こもっている。古い匂いと新しい匂い。レポートを書いたり、単に昼寝をしたりしている学生たちのごそごそとした衣摺れや、咳払いの音が、かすかに聞こえる。腹の上にこれから読む本を置き、そっとその世界に自分を沈めていく。本の世界に入る前のささやかな数秒の時間。

私が、自分が人生で一番幸せな時間ってどんなものだっただろうと、思う返した時、予想に反してこの光景を鮮明に思い出したので自分でもびっくりした。何度考えてみても、この瞬間が浮かぶ。憧れが叶った瞬間とか、「夢」を達成した時じゃなくて。

これにはかなりびっくりした。なぜなら、このころ、私の心の中は、「どうして私は愛されないんだろう」という重要な議題でいっぱいであったからだ。一人で図書館に来たのは、一人が好きだからじゃなくて、一人になってしまったからだと。世界と自分の間に取り返しのつかないぐらいのギャップがあった。私は愛されなさすぎて、一人になっているのだ。そして、それはものすごく「恥ずかしい」ことだった。誰にも悟られてはいけない。「孤独」と「恥ずかしさ」は胸をジリジリと焼き焦がし、どんどん炭になって、無になって行きそうなぐらいの絶望だった。

この19歳の私の、世界の底にいるような絶望が、なんと34歳まで、暴走列車みたいに、自分を走らせ続けるとは思ってもいなかった。

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前回、noteの初投稿で、間違いを犯していることに気づかずハンドメイド作家を始めて、その活動をやめた経緯について書いた。これは、私の予想をはるかに超えてたくさんの方に読んで頂いた。これにはびっくりした。私が愛されよう、素敵にみられようという感情を放棄したら、誰かの心に届いた。もう、前みたいなフンワカ系の作家のイメージには戻れない、地獄の釜を開けちゃったな。と思っていたけど、どうやら間違っていない選択だったみたいだ。

今日は、なぜ、私は「世間様に認められたい」と思ったのかということについて書いて行く。ちなみに本記事にはハンドメイド成分はほとんどない。悪しからず。

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ともだち100人できるかな

19歳の私は、ほとんどノイローゼ状態だったから、多分この歌を聞いたら頭をかきむしっていた。だって19歳なんだ。安室ちゃんがsweet19bluesを歌ってた歳なんだ、人生の旬な時。なのに友達を100人どころか、一人もできないよ。一生に一度のすごい恋もしていない。これはあまりにもおかしい。

私は一生懸命おしゃれして、本も読んで、積極的にいろんな場所に顔を出して、努力しているのに、一人も、心からわかりあえるような友達もできない。彼氏もできない。君はすごいね!と見出してくれるような大人もいない。なぜ、なぜ、なぜ。私に何が足りない。何をしたら愛してくれる?もし愛があれば、なんでもできるのに。それだけが足りない。

昔の知り合いとか、家族に友達がいないことがバレないようにしないといけなかった。とにかくそれは、恥ずかしいことだったからだ。

だんだん、大学に足が向かなくなった。朝、家を出るのだけど、なぜか駅までしかいけないのだ。

私はその頃まだ、実家の岡山に住んでいて、そこの地元の大学に通っていた。昼間の岡山駅はガランとして、静かだった。小さな街だから、行き場所は限られている。大学に向かうことができない私は、スターバックスと、町中の本屋と、ファミレスと、マクドナルドと、サンマルクカフェと、大学の図書館をぐるぐる行ったり来たりしながら、アルバイトの時間まで本を読んだり、考え事をしたりして過ごしていた。

ある時、シンフォニービルの下の丸善(当時の私のオアシス)で、書くだけで夢が叶う、というような本と出会った。私は当時、自己啓発やスピリチュアルは「かなりダサい」と思っていた。絶対に寄り付かない。バカにしていた。だけどこの本にはなぜか引かれた。中身が書き込み式で、色々と記入できるようになっている。

5年後、10年後にどうなっているかを具体的にイメージして信じ込むと、潜在意識がその未来を引き寄せる。

いわゆる「引き寄せの法則」が書かれたワークブックだ。

未来の姿は、今の常識にとらわれなくてもいい、現地点で絶対に実現不可能なものを書いても良いとあったので、私は

東京のおしゃれ雑貨店に勤めた後、ベストセラー作家に。自分の全てを認めてくれるような婚約者がいる。そのあとは、一年に一冊本を出版しながら、東京で雑貨屋を開く」と書いた。その時の私には、宇宙の裏側ぐらい現実味がない内容だったけど、書いたらなんだかワクワクした。

人生で一番幸せな瞬間を書く、とあったので、私はイメージをイラストを描いた。15キロ痩せて、さらに神業のメイクで美しくなったであろう(なぜか骨格まで変わっている)自分の自画像が、頬を染めて何かのトロフィ的なものを持っている。周りから、「すごい!」「尊敬する!」「憧れる!」という声が飛んできている。人の姿は見えない。ただ、私が頬を染めて、声を受け止めている。

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様々な経緯があり、結局私は21歳で大学を中退して上京した。都心部のおしゃれな雑貨店に勤めた。23歳で今の主人と出会い、25歳で結婚。作家の種類は違うが作家になり、29歳で雑貨屋を開けた。ハンドメイド本も出た。(共著本で、素晴らしい縁に恵まれ、かなり素晴らしい本になっているので機会があったら見ていただきたい)

夢全部叶った。あの、夢が叶うノートって本、すごい。引き寄せの法則は神。そう思った。あんなに懐疑的だった自己啓発やらスピリチュアルを完全に信じるに至った。

夢は叶うんだよ!無理して、働かなくっていいの。好きなことして、ご飯食べられるよ。私、幸せだもの。私は出会う人々にそう言った。いや、本当にそう思っていた。

「すごい!」「尊敬する!」「憧れる!」そんな風な人が、私のまわりに現れた。あの夢の光景だ。

だけど、その時、心が、「カチン」と音を立てて凍っていった。なぜだろう。カチン、カチン。ノイローゼになりそうだった、いや実際になっていたんだろうと思う。

そのあとの経緯は、前回の記事に書いた。

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現在。

19歳の私が作った儚い砂の城が、崩れてサラサラの砂に戻っていく。

会社の裏側に大きな公園がある。憩いの場なのに人は少ない。空がドカンと見えて、イチョウの葉がゆっくり降り積もる。銀杏は臭い。鳩が近寄ってくる。私は何も考えずにぼーっとする。何も考えず。

あの時のカチンカチンの苦しみがなんだったんだろうと思うけど、多分あれは、自分が嘘をついているという罪悪感だったんではないだろうか、と今は思う。

「すごい人」っていうハリボテを着ているだけなのに、それをすごい!って言ってもらうのは、なんか騙しているようだったから。

私は世界のいろんなものが嫌いだった。人が嫌いだった。だってそれは私を愛してはくれないのに、きっといつか裏切って私を傷つけるから。

だけど、実は、相対的な世界なんてものは存在しない。自分が認知しているものだけが、世界だ。

つまり、私を愛してくれないのは、裏切るのは傷つけるのは、世界や他の人じゃない。他の人の顔をした、自分自身だ。

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自分を愛する。これは難しいテーマだ。

だって「自分の夢」とか「自分自身の心の声」だと思っていたのに、自分の心に素直になりましょう、というのを信じて私はやってきたのに。それがコンプレックスと承認欲求の塊が生み出した偽りだったなんて、どうして気づける?自分の善だと思っていた部分が、実は自分を追い詰め、苦しめ、命すら蝕もうとしてくるなんて。

ちょっと難しすぎない?

一生懸命やっていたら、誰か、見出してくれる人が、「君はすごいよ」「天才だよ」と言いながら現れて一瞬のうちに、スターになる。少女向けの漫画にはこんな感じのストーリーがとにかく多いが。そういう人は現れない。現れたらそれは詐欺師だから注意したほうがいい。

自分の幸せは、他人にジャッジされて決まるものじゃない。

夢なんてなくてもいいのかもしれない。そもそもスターってなんだ。

自分だけの幸せがあれば、それが他人にどう思われようと、どうでもいいじゃないか。

笑ってきた人がいても、勘違いされても、自分で自分が間違っていないと確信が持てていれば、何も響かないわけだから。

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もう、あの図書館には行けないけれど。

今は広い空の下で何も考えない時間が好きだ。

一人でランチを食べているのは、一人になってしまったんじゃなくて、一人が好きだからだ。世界と自分が静かに融合するのを感じた。風の音を聞きながら、私は、自分が好きだなーと思った。それは「しあわせ」なことだった。幸せは胸をぽかぽかと温めて、これからゆっくりと私を癒してくれるんだろうと思った。


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