自己犠牲は正義じゃない 「僕のヒーローアカデミア」が気づかせてくれるもの
ハトコです。
40代、マンガ大好きです。
「僕のヒーローアカデミア」40巻で感動するところを好き勝手に書いていきます。
ご覧になっていない方に配慮しないヲタクのひとりごとです。
(これから読まれる方はネタバレご注意です)
最近40巻が刊行されました。物語はまだ途中。
※書いてから時間がたちすぎて41巻が出ているし、本誌は最終回を迎えてしまいました~。
僕のヒーローアカデミア
界隈?ではヒロアカとでは呼ばれるようです。
ヒロアカはキャラクターそれぞれのストーリーが重厚。
もうみんな魅力的で推しが決められない。
理想や使命にむかって一途に向かっていく主人公のデク。
言動は怖いけど、情の深さがどうにかしちゃってる相沢先生。
デクのクラスメイトたちである1-Aの女子も男子もかわいくてめっちゃいい奴なのです。
ヒーローもヴィランもみんなかっこいい。それぞれ共感してしまう。
でもやっぱりかっちゃんが好き!!
さっき嘘いいました。推しいます。冷蔵庫にポストカード貼ってます。
そのかっちゃんが!帰ってきました~!!
で「勝つぞ!」って。あああ~、かっこいい。
そっから怒涛のかっちゃんのターンですよね。
え、見せ場だけで何ページ構成されているの?(歓喜)
クズ下水煮込みの性格だったかっちゃんなんですよ。
今や、デクを嫌悪していた自分の弱さを認められるように。
過去の自分を乗り越えようとする姿がムネアツです!
てか何でもできるやつが、いい奴になったらもう最強じゃんか。
イケメンが過ぎる!!
オタクの早口…すいません。
「人の役に立ててうれしい」という狂気
ちょっと冷静になりまして。
40巻でオールマイトが戦いのさなかに「人の役に立ててうれしい」とモノローグするシーンが印象に残りました。
このシーンのオールマイトはニヤリとしてこのセリフなのです。
違和感が際立つ一コマ。
「人の役に立つ」「誰かを助ける」ということが彼にとってどれだけ重要か表現されている。
その執着は狂気であり、本能に近いところまで染みついているのではないか。
彼は欲求を満たしある意味幸福そうだ。
献身や自己犠牲による英雄譚はくり返し表現されてきた。
捨て身で何かを成し遂げようとすることは美化されてきた。
オールマイトはその象徴とも言えるのでは。
でもヒロアカでは「それは違う」と自己犠牲野郎を文字通り体をはって止めようとする人たちもいる。
その一人がかっちゃんなんだ。やっぱりかっこいい!
主人公デクもオールマイトと同じメンタリティの持ち主。
自分の体が壊れるのも厭わない。
それを一人でいくな、と怒る人がいる。
それを見てると涙が出る。
綺麗ごとを体張ってやるお仕事
福祉の仕事も似てる。きれいごとを体現していく仕事だ。
誰かの良心、善意を前提にしている。
ケアワークの見返りもやはり「喜び」であるべきなのか?
家庭で無償で提供されるケアやボランティアの延長線上に置かれている?
現実を生きる私にとってそれははつらい。
こころや体をすり減らして、見返りが自身の喜び?
家賃を払って、スーパーで食材を買い、こどもを育てる私には難しい。
ヒロアカでは戦闘に消耗していく中、ヒーロー業をから離れる人たちが描かれている。
私はそっち側だと思う。
そっち側の私たちを描写してくれている。
ヒーロー側が身を犠牲にして平和を勝ち取った、というシンプルな話じゃない。
こういう分厚い表現が胸熱なのです。
35巻あたりからもうずっと泣きながら読んでいます。
ラストスパート
私たちに何度も何度も刷り込まれた自己犠牲と献身を否定してくれる。
「それは違う」とくり返し気が付かせてくれていると思う。
ヒロアカの世界に安心して(?)引き込まれることができる。
現実の世界でも自己犠牲野郎に「一人で行くな」と怒れる人がたくさんいてほしい。
それでいてヒロアカの世界は、ヴィランの心に寄り添う気持ちがある。
怒っている人は困っている・苦しんでいる人なんだ。
優しいっていうのは強いってことなんだ。
私の中の解釈が、ヒロアカに当てはまっちゃう気がしています。
自分の中のシンプルなきれいごとです。
この構文?に当てはめると、仕事のあれこれが少し理解しやすくなるような、ならないような。
長い物語もいよいよ終わりに近づいてきた。
多分めっちゃ泣きながら読み終えて、何度も読み返すことになると思う。