「英知」と「叡智」 ∀ガンダムのロランの名言はどちらだろうか【人間と「力」の向き合い方】【SF】
(3000字弱)
素朴な疑問が浮かんだのでちょっとまとめてみますね。
皆さんは∀ガンダムを観たことがありますか?
それまでのガンダムと毛色が全く異なる作品で、雑に紹介すると近代化しようとしていく世界に、ぽっと出てきたやべーやつ(∀ガンダム)と月に住む人間(ムーンレイス)が現れ、急速に変化する世界に困惑する地球人の関わり合いを描いた作品です。
個人的には、テクノロジーを扱いきれなくなる人類に警鐘を鳴らしている良いSF作品だと思います。
というのも現代が直面している問題の一つに、
「進化するテクノロジーにハードウェアである人間自身が適応できない」
というのがあり、人間側はそうした技術によっておんぶにだっこな状態なのだと思います。
この世界もぼちぼち倫理観というスーパーアーマーが剥がれて、ダメージがどんどん可視化されていくのかな、と思ってしまう今日この頃です。
或いはまだ人を信じる、この世界には可能性があって、一人ひとりが意識すればテクノロジーに適応した人類になっていくのだろうか。
∀ガンダム第39話「小惑星爆裂」(あらすじ紹介)
ディアナ・ソレルの先祖であるソレル家の管理していた「ミスルトゥ」という小惑星での戦いにて、ギム・ギンガナム率いるマヒロー隊の総攻撃によって小惑星が四散してしまう。
その残骸一部の軌道が、月の「フォンシティ」に落下するコースにあり、∀ガンダムがそれを阻止するという大まかなストーリーになる。
∀ガンダム駆るロランが、黒歴史で禁忌とされた「天を焼く剣」である核爆弾を使用するシーンでのセリフ
「人の英知が生み出した物なら…人を救ってみせろぉーッ!!」
「英知」と「叡智」
これはもはや解釈でしっくりくるものを使えばいいだけなので、究極どちらもいいのだろうけど表現にこだわるのであればどちらがより適切か、一考の余地があると思い記事にしてみます。
「英知」と「叡智」の解釈
実は多くの辞書で二つは同じものとして併記されます。表記が違うだけで意味は同じというような話なのですが、漢字が異なることで単純な印象が異なるかと思います。
個人的にはそれぞれを、
「英知」:それ単体が美しく存在している、あるがままで自然な知識
「叡智」:集合した知識、結晶のように角度を変えると異なる輝きを魅せる
という解釈をしたいと思います。
では、それぞれの根拠について新選漢和辞典を引きながら述べていきます。
「英知」とは
「英知」を分解して「英」と「知」のそれぞれで分析してみようと思います。
「英」は草冠に、央という構成になっており、央には、美しいという意味があります。
「英」という字は、花だけ美しく咲いて、実らない草の花を意味しているそうです。
草冠からもそうですが、この字には有機的、或いは大地に支えられるような植物的な美しさを反映したように思います。
次に「知」について
知は矢と口を合わせた字であり、矢のように速く口に出ることを指します。
心が明らかであると、物事がよくわかり、すぐ言葉に出るということを表現した字ということです。
この二つを合わせた「英知」はつまり情景で描くのであるなら
『道すがらの草花の意味をすぐ答える、知性ある人』
のようなイメージを浮かべました。
人の感受性が外部に向けられて、あらゆるものに知として分類の眼差しを向ける人間の原始的な知性がこの言葉には集約されているのだろうと思います。
「叡智」とは
同じように「叡智」を分解して考えます。
「叡」とは、かしこい、道理に明るいといった意味を持ち、天子(中国古代の天の支配者、天帝の子)に対する敬語として叡聖(えいせい)という言葉などがあります。
「叡」という字は、穿つ深い谷を目で見るということを意味するので、深く物事を探り見る、かしこいという意になります。
次に「智」という字は、知と日とを合わせた言葉で、日は白とも書きます。どちらもことばを言うことを意味した字の組み合わせになります。
「智」はつまり知識を口に出すことを意味します。
同じ意味を重ねることで、「智」の一文字で奥行きある知識、つまり複合した体系的知識を示すことができるのではないかと思います。
この二字を合わせた「叡智」から想像される情景を描写するならば
『土台の強度を計算し、新たなデザインの建物を設計する建築家』
のような組み上げられていく知性を示す字になるのかなと思います。
個々の知識(自然の法則)を多くの人が発見し、それを体系化、もはや個人では発見できなかったであろう集約された智恵、原理と構造の複雑で法則的な知識の結晶こそ「叡智」と言えるのではないでしょうか。
ロランの言う「えいち」
以上を踏まえた僕の結論は「叡智」で間違いないと思います。
原子力の技術はそれ単体が自然にあるがままではなく、間違いなく人類のこれまでの発見が人為的に組み合わさった体系であり、まさに人類の「叡智」の結晶と言えます。
こうした複合した体系ある知識には、その技術など、用途含めその複雑さ故に多様な捉え方ができるのだと思います。
角度を変えると異なる輝きを放つという「叡智」の結晶の例えは、その輝きに魅了される人間が、輝き自体を良いものと捉えるか悪いものと捉えるかによって指向性が変化する意味において的を得た例えなのかもしれません。
原子力という人類にとってあまりにも大きすぎる力は、時に世界を滅ぼすまで導き、或いは世界を救う手段にもなりうるのだと、こうした作品からひしひしと伝わるのかなと思いました。
マジンガーZの「光子力」然り、ゲッターロボの「ゲッター線」然り、日本のSFには原子力のように人類が扱いきれない力をテーマとした作品が多く、その力はもはや神性を帯びた道具とさえ扱われる印象があります。
圧倒的な力に対し畏れを抱きながら、その力によって少しでも人類という種が生き永らえられるよう人類もハードウェアとして進化していこう。そういう提言を作品から感じるようにも思います。
核の力を受けた唯一の被爆国だったからこそ、戦争の悲惨さを目の当たりにした、或いは繰り返すなと先人から警鐘を受け続けたからこそ、その「力」の扱いに一層慎重であることは至極当然であるべきなのだろうと考えます。
直感的にそうした感覚が磨かれ、創作と現実の界面がクロスしたり接近して緊張したりすること、個人の共有できる感情が起きてほしい未来や起きてほしくない未来を想像させてくる。
SFの面白さにはそういった「叡智」と向き合う人間の感情が根源にあるのだろうな。
あとがき
どっちの字が正しいのか、たぶん小説版を確認すればいいことなのだが、素朴な疑問を調べて、自分なりに考えた結果、人間と「力」の向き合い方に辿り着いた。
想像を超えた収穫になったのだが、実はこの∀ガンダムのロランのセリフは研究する自分にいつも問いかけている。
文化研究は贅沢そのものだが、せっかくなら人間の見識を豊かにして、欲を言えば人を救える体系であってほしいのだ。
「力」と向き合う僕たちは、考えることをやめてはいけない。
発達するソフトウェアである技術にハードウェアとしての人間が追いつく、追い越せるよう倫理観や思考そのものを強化して、全ての人間が隣の人間や未来の人間のために生きられるような、理想でもより良い方向へ持っていきたいな。
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