中学の頃から私に日本が合わないと思っていた。
父はよく、私に「はと子」とつけたことを少なからず後悔していました。
「お前は自由すぎる!」
とよく言われました。よく言えば天真爛漫。
そんな父も相当自由な人でしたけどね。
父は二十歳の頃に国の施作でドイツにファームステイに行ってきました。全国から希望者を募ってテストを合格した人が行けるやつ。
なんと現地に着いてみると、宿泊先が確保されておらず(参加者20名ほどの分、全部!)それぞれダンボールにドイツ語で
「泊めてください!」
「雇ってください!」
と書いて家々を歩き回ったとか。
今の時代では考えられないけど、インターネットはおろかFAXもない時代。そんなことは日常的にあったのかもしれませんね。
フランスの橋の下で寝た日もあったらしい。
なんとかドイツのとある農家さんに拾ってもらって、数週間のファームステイ経験ができたそうですが、現代の子供達がそんなめにあったら生きて帰ってこれるのだろうか?
さて、話が随分ずれましたが、とにかくそんな父の娘なので、名前のせいではなく血は争えない、ってやつなのだと思うのです。
私は自由だし、常に自由を求めています。
そもそも中学生の頃から
「私に日本は合わない」
と思っていました。
セーラー服はお腹が冷えるし、寒いのにスカートな上にタイツを履くと先輩に目をつけられていじめられる。
白いソックスはダサいし、髪留めも派手だと怒られる。
みんなと同じにしなくてはいけない、という意味がまったくわからなかったのです。
なんでみんな一緒にトイレに行かなくちゃいけないの?
なんでやる気のないこの子達に気を使わなくちゃいけないの?
なんで反対意見を言っちゃいけないの?
私の中学校生活は???だらけでした。
ある日、父が近くの国道でヒッチハイクしていたイギリス人男性を拾って(笑)きて、彼が1週間ほど滞在したんだけど
ヒッチハイクということ自体がエキセントリックだし、やたら背は高いし、好奇心旺盛でとにかく行動が面白いし、リアクションも大きいしで
それが私が外国に行ってみたいと思ったきっかけだったと思います。
あとは「世界ふしぎ発見!」かな。あのレポーターになりたくて、どうやったらなれるのか調べたりしたもの。
今思うと外国人ヒッチハイカーを連れてきて1週間滞在させる父も父だし、その頃うちは9人家族だったんだけど、彼を滞在させることに誰一人反対する人もいなくウェルカムだったんです。
面白がって親族がちょこちょこ遊びに来ていたし。
そして私の拙い(というかまったく通じなかった!)英語より、ひいおばあちゃんの日本語の方がコミュニケーションを取れていたという衝撃。
それから、英語が話せないと外人と友達になれない!
ということを悟りました。
きっかけなんて、そんなものだと思います。
とにかくその頃から私の海外熱は始まっていたのです。
それがきちんと高校生になった子供達に伝えられているようで、嬉しいです。