ハイハイレースに行ってみた話
noteに書きたいことは、実はけっこうたくさんあって、日々すこしずつメモをしているのだけれど、今日、そのメモ群たちを差し置いて何よりもまず言いたいことを見つけてしまった。
ハイハイレース、おもしろすぎる。
◆
なんだかんだで娘ももうすぐ2ヶ月半(公開するころには5ヶ月になっていた)。
おでかけもだいぶ板についたものだから、週末に親子向けのイベントがあると知って、すぐに行きたいと思った。
ステージイベントやキッチンカー、ハンドメイド作家さんたちの出店など、魅力的なワードがずらりと並ぶ中、ひときわ目を引いたのが「ハイハイレース」である。
「ハイハイレース?」
聞いたことはある程度だけれど、わたしにとってはあまり馴染みのない言葉だった。
思わず声に出して首を傾げると、母が「あぁ」と笑みを浮かべる。
「あるよねぇ、ハイハイレース。あれ、おもしろいんだよねぇ」
今まさに想像しているのだろう。母は何やら感慨深げにしみじみと頷く。
「赤ちゃん、それぞれ反応が違っててね。泣いちゃう子とかもいて、かわいいのよ」
わたしは、元来ナンバーワンよりオンリーワン、というたちなので、勝負ごとや競争があまり得意ではない。
しかし、レース、という言葉が想起させる、殺伐としたものとは正反対の表情を浮かべる母を見ているうちに、段々と興味が湧いてきた。
参加者は、ハイハイをする赤ちゃん。ということはだいたい、一歳前後だろうか。
まだ2ヶ月半の娘からすれば、ちょっと先の未来。つまり、先輩たちだ。
そう思うと、小さな興味は、やがて「絶対に見たい」という強い欲望へと進化していった。
◆
当日は、わたしが朝寝坊をしたことと、不運な通行止めの連続によって、なかなか目的地に辿り着けないでいた。
ちょうど、街をあげてのイベントが開催されるらしく、あちこちで通行止めがあり、にっちもさっちもいかない状態がわたしを苛立たせた。
「もう!こっちは、ハイハイレースがあるのに!」
ついにはレースの開始時刻となってしまい、思わず車中で声を荒げてしまう。
そんなわたしを父が宥める。
「まあまあ、ほら、レースって言うくらいだからさ、きっと何レースかあるでしょう。大丈夫、間に合うよ」
それに、と母が付け加える。
「赤ちゃんのハイハイって時間かかるから」
というか、身内が参加するわけでもない赤の他人のハイハイレースをここまで楽しみにしているのは、わたしくらいなものだろう。
あまりにも必死な自分に、我ながらちょっとキモいなと思いつつ、なんとか目的地に到着した。
◆
「頑張れー!頑張ってー!」
マイクを通したハリのある大きな声が会場の奥から聞こえる。
そこには人だかりができていた。
開始時刻から大幅に遅れていたけれど、わたしたちの読みは当たっていて、まだレースは終わっていなかったのだ。
立ち並ぶさまざまなブースや、人混みをかき分けて奥へ進むと、柔らかそうなシートの上で赤ちゃんたちが一列に並んでいて、まさに今から新しいレースがはじまる、というところだった。
「選手を紹介しまーす!まずは、1コース、〇〇ちゃん〜!」
司会の女性の明るい声に合わせて、親御さんがそれぞれ赤ちゃんを持ち上げて周囲にアピールする。
一度のレースでハイハイをするのは、5人。
同じ月齢の赤ちゃんが一挙に集まる光景は圧巻……というより癒しでしかなく、同じくらいのパヤパヤした毛量の丸い頭を見ていると、目尻が下がる。
よーい、どん!という合図で、いよいよレースが始まった。
その瞬間、勢いよく飛び出す赤ちゃんたち……というわけにはいかず、誰一人としてなかなか動こうとしない。
「おお〜?誰も動きませんねえ」
司会の女性の困惑したような、それでいてどこか楽しそうな声が響く。
どうやらこの回は、のんびり屋さんの子が多いレースだったのかもしれない。
周囲に生暖かい空気が立ち込めはじめる。
わたしは、そうか、こんな調子だったからきっとレースに間に合ったんだな、とゆるりと納得した。
すると突然、一人の子が前進しはじめた。
「おおっ」思わず誰もが興奮した声を上げる。
面白いことに、それを皮切りに他の赤ちゃんたちも動き出したのだ。
まだ小さく、この世界に降り立って間もないというのに、彼らなりになにか感じることがあるのだろう。呼応するかのように、それぞれが懸命にハイハイをしはじめる。
「こっちにおいでー」「がんばれー」といった、親御さんたちの声で溢れかえる。
お母さんが腕を広げて待っている。
目の前に携帯用の小さな三脚を立てている家庭もあった。
なるほど。スマホで撮影をしながら子どもの顔を見るにはうってつけのアイテムだ。
おばあちゃんや、お父さんが撮影に徹しているパターンもあった。
「一等、ゴールです!」
いちはやく前進しはじめた子から、それなりに順当に、ひとりまたひとりとゴールしていく。
わたしは手元で小さな拍手をする。
「かわいいねえ」傍らにいる母と頷きあった。
そろそろ終わりかと思いきや、ここからがハイハイレースの本番だった。
そう、レースは、全員がゴールするまで終わらない。
他の赤ちゃんがゴールしていく中、てこでも動かないぞ、といった意志の強い赤ちゃんが一名いたのである。
どうするのだろうか、そう思った瞬間、ゴールの方から小さな女の子が逆走しだした。
2歳か、3歳くらいだろうか。
一目散に赤ちゃんのもとへ駆け寄った女の子は、よいしょと小さな身体で、自分の身体の半分以上もの大きさの赤ちゃんを抱きかかえたのである。
なるほど、その子は赤ちゃんのお姉ちゃんだった。
一瞬で状況を理解した会場の面々。
「特別ルールです!おねえちゃん、頑張って〜」
司会の女性の激励にも力が入る。
小さな赤ちゃんとはいえ、大人が米俵を担ぐくらいの負担はあるだろうに、女の子は懸命に一歩一歩と歩みを進める。
ああ、でもこれで、ようやくゴールできるな、と会場の皆が安心した瞬間。
びたーん!
と、音がしそうなほど、赤ちゃんもろとも勢いよく転んでしまったのである。なんともお約束すぎる展開だ。
数秒遅れて、赤ちゃんの「うわあーん」と大きな泣き声が響き渡る。お姉ちゃんはむくっと起き上がるも、どこか呆けた様子だ。
やわらかなマットの上なので、怪我はないだろう。
慌ててお母さんが駆け寄り、司会の女性が「おつかれさまです、よくがんばったねえ」と締めて、赤ちゃんは泣き止まぬままレースはうやむやに終了した。
その様子を悲観している大人はおらず、皆「あちゃー」といった感じで、どこか微笑みを浮かべていたように思う。
わたしは、目を細めて小さな拍手を送った。
全員が綺麗にゴールとはいかなかったけれど、これこそがハイハイレースの醍醐味だろう。
わたしはなぜか、どうしようもないほどに胸が熱くなっていた。
ついでに目頭も熱くなるのを感じて、いかんいかんと気を引き締める。
他人の子どものハイハイレースで泣く人間、ちょっとどころではなく、あまりにも気持ち悪すぎるだろ、という正気が働き、なんとかとどまった。
◆
その後もレースは続いた。
脇目も振らずに親の元へ向かう子、開始直後から大泣きをする子、ゴール直前で別のことに気が散ってしまう子、赤ちゃんの様子は実にさまざまだった。
不思議なもので、親ではない他人のわたしから見ても、同じレースはひとつとして存在しなかった。
会場に着く前は、1レースだけでも見られればいいかな、と軽く構えていたのだけれど、わたしは足と床が磁石でくっついてしまったかのように、しばらくそこから離れることができなかった。
◆
それから数ヶ月経って、あっという間に娘も5ヶ月になった。
近頃の彼女には、空前の「寝返りブーム」が到来したようだ。
日がな一日中、ころりころりと転がってうつ伏せになっては、「元に戻してくれ」と泣いている。
まだ、寝返りをしたうつ伏せの状態から、仰向けに戻ることはできない。
不器用かつ丁寧に生きている。
ゆっくりと着実に、できることが増えているとも言える。
まだまだ赤ちゃんのくせに、興味深いことに彼女にも性格や性質というものがある。
実は、娘が生まれたときからわたしはそれをなんとなく直感していて、だからこそ彼女に似合う名前を贈ったつもりだ。
とにかく明るく快活で、笑顔の多い子。
好奇心旺盛で何にでも手が出るし、動きも激しく、声も大きい。
草や花を見れば、力強く千切ろうとするし、オムツを変える時にじっとしてくれていることの方が少ない。
少し乱暴なくらい元気だけれど、その分愛想はわたしを遥かに超えるほど良く、いつもニコニコしている。
赤ちゃんはみんなそうなのかと思っていたけれど、そうでもないらしい。
そんな彼女を見て、祖母は「普通の赤ちゃん2人分くらいのパワーがあると思う」としみじみ言い、母は「あなたの赤ちゃんの頃とは正反対!」と笑う。
わたしの幼少期というと、大人しく控えめで、自分から何かをするというよりかは、与えられるまでじっと静かにしているタイプだった。
母はわたしのことを「お利口さんだから、どんな場所にも連れて行くことができた」と言っていた。我ながら、育てやすい子どもだったのだと思う。
わたしから生まれたのに、こうも違うなんて。
でも、だからこそ、わたしと全く違う娘が面白くて、うれしい。
娘は、わたしが感じていた、わたしの性格ゆえの生きづらさや苦しさを感じることがないのかもしれない。
そのことに安堵を覚えるとともに、彼女には彼女なりの、わたしの想像し得ない困難が待ち受けていることもあるのだと思う。
いや、でも、それだってわたしの想像だ。
今は、生まれもった性格に目を向けがちだけれど、これから育つごとに環境が彼女を形作ることだって少なくない。
わたしや夫に似ている部分も出てくるのだろうか。
それはそれで、ひときわ可愛いのだろうな。
この子はどんな風に育つのだろう。
できるだけ、親がいい影響を与えられたらと思うのは、エゴだろうか。
いまは、離乳食をなかなか食べないだとか、皮膚が弱くて病院通いが多いだとか、それなりに頭を抱えることもあるけれど、たまに、あの時のハイハイレースを思い出す。
あの日、ひとりとして同じ性格や性質の子はいなくて。それぞれの頑張る姿を見た親は幸せだっただろうな。
あれはやっぱり、「レース」の名を冠するものの、ナンバーワンではなく、オンリーワンだった。
子どもは、どんな子もすばらしく、尊く、愛される権利があること。
娘は、娘らしく誰に阻まれることなく、まっすぐ生きてほしいと思ったこと。そんな姿を近くで見守っていきたいと思ったこと。
親であれば、誰もが考えるだろう、そんな当たり前のことがあの時間には詰まっていた。
だから、あの日、思わず泣いてしまいそうになったのだろう。
子を育てるのは、それなりに大変で、元々自分のことで精一杯だったわたしには尚更。
日々に忙殺されながらも、しかし覚えていられるだろうか。
たまにでいいけれど、たしかに思い返すことができるといい。