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特別じゃない特別なこと
「美容室に行ってきたら?」
産後すぐ、ボサボサの髪で授乳に追われるわたしにそう言ったのは夫だった。
出産予定日よりも前に、日増しに大きくなるお腹と体調不良を見越して、「これが最後かも」と言って髪を切ったのが、ずいぶんと昔のことのように思えた。
予想した通り、真夏に臨月を迎えた妊婦はどこへ行くにも苦しくて、子供が生まれてからは当たり前に、髪のことなど気にする余裕もなかった。
正直、髪を切る暇があったら一秒でも長く眠りたい、というのが本音だったし、母乳育児をしているため、子供と離れることは物理的に不可能なのではないかとすら思っていたが、たっぷり二ヶ月分放置されたショートヘアは、確かに見るに耐えないものだった。
これが、育児に全く関わらないタイプの夫が放ったセリフであれば、「行けるもんなら行きたいわ!」と声を荒げたのだろうが、子供が生まれてから彼は全身全霊をかけて育児に参加していた。
「授乳はさ、搾乳すればいいじゃん。眠る時間削ってストックするのは大変かもしれないけどさ」
わたしがいなくても一通りの対応はこなせるようになっていた夫が言うそれには、説得力があった。
「うーん、できたらね」
それでもいくらか不安が残るわたしの曖昧な返事とは裏腹に、その日は案外早くやってくることになる。
◆
生後一ヶ月と一日。
わたしは、美容室へ向かっていた。
数日前に、もしかして今なら、いや、むしろ今しかない、と急に思い立ち、勢いのままネットで予約をしたのだ。
搾乳のストックはそれなりに貯まった。授乳は夫に任せて家を離れることにした。
気合いは十分。頻回授乳で寝不足の身であるくせに、前日はやけに興奮して眠るのに時間がかかってしまったほどだ。
道中、一緒に出かけた母からは、「子供と離れて、さみしいでしょう?」と言われたが、実のところ、あまりピンとは来なかった。
というよりむしろ、「本当にいいのだろうか?」と、何か悪いことをしているような罪悪感と同時にふわふわした高揚感に包まれていた。
まるで、学校をサボって遊びに出掛けているような気分だった。
天気は曇りだったが、久しぶりに外出したせいか、家の外はやけに眩しく、晴れ晴れとして見えた。
◆
「無事に生まれたんですね!おめでとうございます!」
担当(とは言っても里帰り中に見つけた美容室なので実は二回目)の美容師さんに言われ、「ありがとうございます」と頭を下げる。
本当に子供が生まれたんだな、と実感する。
たった二ヶ月前のことが、遥か遠く昔のことのように思える。この二ヶ月間は、わたしの人生の中で最も濃密な時間だったのかもしれない。
育児がどうだとかの話をしながら、美容師さんは器用に手を動かす。
重たくなっていた髪がハラハラと床に落ちていくたびに、わたしの心も軽くなっていくような気がした。
◆
シャンプー台で髪を洗ってもらうタイミングで、隣のお客さんと美容師さんのやりとりが耳に入ってきた。
「ええ!知らないんですか?」
よく通る女性客の声に、思わず意識が集中する。
「ミッフィーって、ミッフィー以外のキャラもいるんですよ!?」
ありえない!とでも言いたげな女性客に対して、男性の美容師さんは低めのトーンで「いやあ、知らないっすねえ」と返す。
「えっ、見たことないんですか?他のキャラ。ほら、いるじゃないですか。豚みたいなやつとか」
「えー?わかんないっす」
「いや、たぶん見たら思い出しますよ!」
「や、たぶん見てもわかんないっすね」
懸命に説得する女性客に対して、美容師さんはこともなげに一蹴する。
彼女は、呆れたように「全然興味なさそう〜」とぼやく。
「あ、でも、ダッフィーなら分かりますよ。全部名前言えます」
「へえー」
二人のやりとりはその辺りで終わった。
美容室の会話を得意としないわたしにとって、シャンプー台は「かゆいところないですか?」の問いに、「大丈夫です」と返すだけの場所である。
顔が見えない状態でここまでフランクに会話をすることができるんだ、という驚きがあったし、確かにミッフィーには豚みたいなキャラがいたよな、あれなんだっけ?とか、いや、ダッフィーのくだりは掘り下げないのかい、などと思った。
隣の会話に聞き耳を立てるなんて、あまり褒められたことではないが、妙に軽快な二人のやりとりは聴いていて心地良く、不思議と記憶に残った。
帰宅してから夫にそのやりとりがおもしろかったのだ、と話すと、いまいちよく分からない、といった微妙な顔で「ふーん?」と返された。
今これを読んでいる人も、夫と同じ顔をしているかもしれない。
◆
なぜあの会話がわたしにとって興味深かったのか。あの、特別なわけでもない、ありふれた雑談が……。
そうだ、きっと"特別じゃない"ことがわたしにとって、特別だったのかもしれない。
考えてみると、この一ヶ月はとにかく、あの小さくて、か弱い生き物を生かすことに必死で、雑談というものをしてこなかった。
夫との会話は、育児の業務連絡ばかりで、少し時間に余裕が出れば、眠ることに専念していた。
和やかに談笑する暇などなかった。
生後一ヶ月とは、そんなものかもしれない。
けれど、いまのわたしには、美容師さんとお客さんのあの他愛無い雑談のやりとりがとても新鮮なことのように思えたのだ。
◆
近頃、昔のことをよく思い出す。それも、学生時代のことだ。
深い理由があったわけではないが、学校というものを毛嫌いしていたわたしが、古い記憶を穏やかに呼び戻すことは貴重である。
小学生の頃に好きだったアイドルの名前を定規の裏に書いたこと、中学生の頃に熱中して集めた漫画のこと、大学生の頃に訪れた書店の蛍光灯の光……そういう情景が空気感と共に鮮明によみがえってくるのだ。
どれもこれも、当時のわたしにとっては特別なことではなかったけれど、今となっては懐かしく、愛しい記憶だと思える。
そう感じるのは、いまのわたしが手にすることができないものだからだろう。
けれど、それは悲しいことではない。
いまのわたしには、いまのわたしにとっての"特別じゃない特別なこと"があるはずだから。
思い出とは反射のようだと思った。
道端に落ちているガラスの破片が、光の角度によって宝石よりも美しく見えるように、そのものの価値は状況や心持ちによって変化する。
生きていると、自分の置かれた環境や立場によって、ものの見え方や感じ方が変わっていく。
それは、とてもおもしろいことだと思う。
わたしは、美容室での何気ない雑談を特別だと思える自分に出会えた。まぎれもなく、新しい自分だった。
これからも、わたしは変化し続け、新しい自分を見つけるのと同時に、美しい記憶をたくさん刻んでいくのかもしれない。
いつか、子供がわたしの手を離れ、わたしがいつでも自由に美容室に行けるようになったとき、育児に追われ寝不足だった日々を、産後初めての美容室へ向かう道中のあの不思議な罪悪感と高揚感を、特別だったと思い返すのだろう。
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