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恋人が寿司を作った


 恋人は釣り人で、魚が大好きで、恐らく三日に一度は「寿司食いたい」と言っている。
 わたしは恋人と会うまで、寿司というのは特別な日か、そうでなくても「今日は寿司だ!」という心持ちで食べるものだと思っていたので、これほどまでに高頻度にカジュアルに寿司を食べて生きている人を目の当たりにして驚いた。
 しかし幸いなことに、わたしは食べることが大好きだった。魚も例外ではない。

 とはいえ意外と変なところで倹約家な彼は、毎回高い寿司を食べることを強請るわけではなく、スーパーの半額を狙う慎ましやかな一面もある。
 そんな彼はある日突然、地球規模の大発見だと言わんばかりに目を丸くして呟いた。

 「そうか、寿司、自分で作ればいいんだ!」

 えっ寿司を、自分で作るの?
 そもそも料理が得意な彼と不得意なわたしでは、行き着く発想が違う。
 わたしは、「面倒なことはお金で解決」派なので、寿司づくりに伴うあらゆる手間を思い眉を顰めた。
 しかし料理に関して、わたしはあくまでサポート係。野暮なことは言わずに彼を見守ることにした。

 そこからは彼の寿司作りを極める日々が始まった。
 「いつもより高いマグロを買ってみた!」と喜び勇んで厨に向かう彼。酢飯を冷ますのを手伝うわたし。
 はじめての手作り寿司は、マグロとサーモンとたまご。はじめてにしては上出来だった。
 
 おいしいよ。でも、あえて言うならシャリがすこし柔らかくて生あたたかい気がする。
 わたしがそう言うと彼は心に刻むかのように神妙な顔で頷いた。

 二度目は、格段に上達しているのが分かった。ネタもシャリも全体的にきちんと冷やされている。
 それに、かまぼこを小さく切って乗せたり、明太子を乗せたりと、寿司を楽しく食べようという余裕さえ感じられた。
 二度目でここまで来るとは……。わたしはこれを「ス●ロー超え」と評価した。

 三度目の寿司作りは、年末の母からの電話で決定した。
 「今年は帰省できないでしょう。だから、おいしいお正月セットを送るからね。マグロも筋子もあるよ」
 実家は職業柄、おいしいマグロを手に入れる機会が多い。
 つまりこの電話は彼にはこう聞こえたのだろう。「とびきり良いネタが入るぞ」と。

 彼の仕込みは夕方から始まった。シャリをせっせと冷やし、酸化しないように気を遣いながら丁寧にネタを扱う。
 真剣に厨に立つ彼の背中はそれはもう一人の寿司職人だった。
 出来上がった寿司を見た瞬間、わたしは感嘆した。

 なんだこれは!!

 ブルーのお皿に丁寧に並べられた寿司たち。にぎりはマグロにサーモン、ブリ、その2つの炙りもの、真ん中に佇むのがたまご。
 軍艦はうめきゅうりと、納豆と、すじこ。全部で9種類もあった。
 これは立派な板前お任せコース(上)ではないか。
 
 バラエティ豊かな寿司たちはどれもおいしかった。そこにはもはや手作り寿司という単語から想像する隙のようなものはなく、わたしは思わず呟いた。
 「回らない寿司の味がする……」

 感動してあっという間に食べ切ったわたしを見て、恋人は心底自慢げに、ふふんと笑った。
 自分はろくに食べず、わたしの分だけを全種類1つずつ丁寧に作り、皿に盛る彼は誰よりも料理人で、同時に雛鳥に餌を与える親のような慈愛に満ちていた。
 「寿司は1つ1つが一口で食べられるからこそ、ごまかしが効かない。そこが難しい」と語る彼は最早行くところまで行ってしまうのではないかと思ってしまうほどだった。

 マグロを送ってくれた実家にお礼をするためにも、寿司の写真や食べている動画をたくさん撮った。
 わたしはアドリブが苦手で、どれも支離滅裂な動画になってしまい、ほとんどをボツにして結局無難な動画だけを両親に送った。
 すぐに両親から賞賛の返事が届く。恋人は嬉しそうに笑い、寝室へ向かって行った。

 食後、リビングでくつろいでいると、寝室から声が聞こえる。
 耳をすませると、わたしが彼の作った寿司をすごいすごいと言うだけの、例の支離滅裂な動画だった。
 しばらく様子を伺っていると、彼は何度も何度も同じ動画を繰り返し見ているようだった。
 耐えきれずわたしが「なんで何回も見ているの」と笑いながら聞くと、彼は「自分の作ったもので喜んでいる反応を見て、満たされた気持ちになっているんだ」と答えた。

 その後も飽きず動画を見ながら寝息を立てた彼を見て、この人はどこまでも「与えられる」側の人間なんだなあとしみじみ思った。

 そこでふと気づく。
 そうか、彼がここまで一生懸命に寿司を作っていたのは、自分の為というよりもわたしを喜ばす為だったのかもしれない。
 少し傲慢な考えかもしれないけれど、あながち間違いではないと思った。

 これまでも同じように、彼はわたしの為に色々なことをしてくれた。これをわたしの為だと思わないことの方が、失礼だろう。

 わたしはこの人にたくさんの愛を与えられている。彼が与える愛は無限かと錯覚するほど、途方もなく広大で、深い。

 わたしは一体どうしたらこの人に愛を返せるのだろう。

 それは、一生かかっても返し切れるかわからないけれど、どうしたって諦めたくないし、やっぱり愛は愛で返したいものだ。




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かのりんか|よるの帳
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