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よみがえる子供の頃の記憶と、もやもや感

みなさま、
はとばみなとです。

ちょっとタイミング的に書き方というか言い方の難しい話題も含んでいるのですが、私の子供の頃の思い出も交えながら、書いてみたいと思います。

不適切な内容、表現などありましたらご指摘頂ければと思います。

あの、政治家のみなさん。ここしばらく、自民党の総裁選挙と、立憲民主党の代表選挙でお忙しそうですが、それって、どうなのでしょうか。

というのも、ここ何日間か、北陸地方で豪雨が降っていて、被害も出ているではないですか。どうやら2つの党の選挙はこの週末が佳境のようですが、選挙なんかでお祭り騒ぎしていて良いのでしょうか。

何かもやもや感を感じるのです。

実は、私が小学3年生の時。
1974年7月7日。
この日は選挙の投票日でした。
調べてみたところ、第10回参議院選挙通常選挙の投票日だったとのことです。

なので、夕方以降、夜遅くまで、テレビは選挙の開票結果の報道ばかり。おそらく、画面では、当選した議員さんが万歳三唱したり、鏡割りをしたりという映像が流されていたのでしょう。

が、しかし。
一方で、この日の天気は大荒れ。

翌日7月8日の朝には、私の住んでいた地域は、ほとんどの家が床上浸水という状況になっていたのです。

地域全体が洪水に沈んだのです。

そんな豪雨の夜中、私は、人生で1回切り、と思われる体験をしました。

大雨が降り続いて、辺り一面を、濁流と言えるほどの速さではなかったと思いますが、ドロ水が流れている中を、両親に連れられて、すぐそばの、知り合いが住むアパートまで避難したのです。距離にして200mはないと思います。私の住む町内に面している広場を横切って避難したのですが、水の深さは、当時の小学3年生の私の、肩の少し下辺り。ドロ水でなければ、また、水の流れさえなければ、泳いで行けるくらいの深さになっていたのでした。

そんな洪水の中を、両親に手を引かれて、すぐそばのアパートまで向かったのでした。いま思うと、よくもそんな状況で、水が溢れる中を歩いて避難などしたものだと思います。ヘタをしたら、雨の中を避難中に濁流に呑み込まれて行方不明、なんて事態になっていたのかもしれません。うーん、今になって考えると私の両親の判断ミスだったようにも思います。私を含めて、家族4人全員無事だったので良いのですが。

結局、知り合いの住むアパートの棟までは辿り着けず、その少し手前の棟に避難したのでした。そこの棟の人が

「危ないからこっちに来い。」

と誘導してくれたのかもしれません。

私の出身地では『七夕豪雨』と呼ばれている水害です。

まあ、要するに、大雨が降り続いて、川の水位が増して、刻一刻と危険が迫っていたにもかかわらず、政治家のみなさんは、『当選』という2文字に酔いしれて、万歳万歳のお祭り騒ぎをしていたのですね。マスコミもそれに乗っかったので、開票速報の番組ばかり。テレビでもラジオでも大雨やそれに伴う洪水の危険に関するニュースは、全くなかったと聞いています。

時計は現在に戻ります。

そんなわけで、ここ何日かの能登半島での大雨と、それに伴う被害。しかし、一方で、それに構わず選挙に奔走する政治家のみなさん、そんな状況が、私の子供の時の、あの夜の記憶を思い出させたのでした。しかも、能登半島では、正月の地震につづいての大規模災害なのです。

災害対策というのは、起きる前の対応も、起きてしまった後の対応も、非常に難しいとはわかっているつもりです。しかし、一刻を争う、緊急事態でもあるはずなのです。

なのに、

そんな時に選挙・・・。

しかも、今回は、自民党と立憲民主党のそれぞれの政党の中だけの内輪の選挙。内輪の選挙なんですね。一般の私たちには投票の権利はないのです。

なんか、私の中には、もやもや感が漂って、首を傾げるばかりなのでした。

何か、おかしい・・・。

ひとまず、書きたかった内容は以上です。

まだ、いましばらくは、大雨と災害に対する警戒を続けなければならない状況なのだと思います。特に、能登半島で、正月の地震に続いての被災となった方々に、心からお見舞い申し上げますと共に、一刻も早く災いが去って、心の平穏を取り戻せますように、お祈り申し上げたいと思います。

2024/09/22
はとばみなと

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