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誰にでも見ることはできない景色

ペットロス について

去年の11月に愛犬を急な病で亡くした。
それから2ヶ月が経った。

彼と歩いた散歩道。よくボール投げをした大きな木のある広場。キッチンにいる私を彼がいつも眺めていた隅っこの壁についた彼の影。
毎朝目が覚めると、喪失の深さに打ちのめされる。



人と滅多に会わない田舎の大きな公園を私は歯を食いしばって歩き回る。涙が流れ出るのを我慢しようと。それでも流れ出る涙や鼻水を拭いながら、歩かずにはいられない。


ある日、まだ泣いているの?と友人に言われた。
あの子は幸せだったよ。もうニコニコして走り回っている姿しか浮かばないよ。まだ泣いてるんだ、と友人は笑った。

私は意外にも傷つかなかった。
彼女は知らないのだ。
愛犬の目を覗き込んだ時の虹彩の優しい輝き。
耳の後ろの和毛の柔らかさと暖かさ。
いつも私の隣で眠り、朝はじっと私を覗き込む彼の目を見て目覚めた。
大きな身体に顔を埋めて、大好きだよ、大好きすぎるよ、可愛い君、可愛すぎる君。そう耳元で囁いて抱きしめる。彼はガウガウと嬉しそうに応えてくれる。それが毎朝の日課だった。

彼と旅に出るために車を改造して車中泊ができるようにした。一緒に寝て、食べて、砂浜で遊んだ。
彼といると暗闇が怖くなかった。怖くなくなったのだ。心から信頼する相手がいると、恐怖は薄れて、胸の中に温かいものが育つから。

その全てを友人は知らない。

そしてそんな相棒を持ったことも、失ったことも無いのだから。

いろんなことがあった人生だけど、愛犬を失ったことほど辛い体験はなかった。まだ若く、急な病であっという間だったこともあり、自分を責めずにはいられなかった。彼が死んでしまった痛みを、自分を責め苦しめることで薄めたかった。
カウンセリングやオープンダイアローグも受けた。少し背筋は伸びた気がする。けれど、喪失感を埋めることはとてもできそうに無い。そのことがわかり、諦めると息が出来る。
もうあとは、喪失に慣れるしか無いのだ。


そして、この感覚は最愛の相棒を亡くした人同士でしか共感し合えない。そして共感はできてもそれぞれ違う。悲しく、切なく、狂おしい。けれどどうしようもなく美しい景色を私たちは眺めている。なぜこんなにも美しいのだろう。

苦しみの裏にはその苦しみの深さだけ育った愛があるからだ。美しい時間は失った後、更に輝くのだ。


それは「樹氷」に似ている、と最愛の夫を亡くした友人が言った。
誰にでも見ることができるわけでは無い景色。凍りつくような環境に立ち尽くして見る景色。
眺めていると身も心も凍てついてゆく。樹氷と私が一つになる。

どうしようもなく美しく、凍りつく景色。


歌木鳩

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