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彼らの湖

 存外、父とは仲が良い。
 仲が良いと言っても、連絡頻度は月に数回程度。連絡内容も父が旅行中に撮影した写真を送ってきて、僕が相槌を返すだけ、という簡素なやりとりしかしない。会ってもアニメや音楽の話しかしない。
 父親というよりも、親戚のお兄さんぐらいの距離感か。あるいは、他部署の同僚ぐらいの距離感。
 疎密のバランスを考えると、我ながら素晴らしい親子関係ではないかと自負している。
 
 たまに父の運転で小旅行に行く。たいてい僕は助手席で寝ていて、目的地は父任せだ。
 目が覚めたらどこかについていて、流されるままに場を楽しみ、また車に乗って僕は眠る。これを繰り返す。実の子にしてなんて暴君なのだろう、と自分でも思う。財布を出す素振りすら見せないし。
 
 その日も、そういう日だった。
 車が停まったので目を開けると、やはり知らない場所だった。県外なのかもわからない。父が何も言わずに歩いていくので、着いて行く。どうやら観光施設らしい。魚の塩焼きが売っていたのでねだって買ってもらう。
 食べながら展望台に行くと眼下に湖が広がっていた。湖面がキラキラと輝いている。山の中に湖がポンと置かれているだけで、観光地にしては地味だ。しかし嫌いじゃない。むしろ好きなほうかもしれない。

「ここは町を潰して作った湖なんだよ」

 父が唐突にそう言った。「そうなの……?」僕が返すと、父が頷く。
「ダムを建設したいってことでね。町の人たちは随分と反対したらしいが」
「ふーん」

 な、なんでこのタイミングでそんな話を?
 と動揺しつつ塩焼きを食べる。でもこれを買ってもらったしな、代金分ぐらいの話は聞くべきか。
「立ち退き料はちゃんと支払われたらしいんだけどね。でも多額のお金を一気にもらったことで、身持ちを崩してしまった人もいたらしい」
 父はそこで気が済んだのか、口をつぐんだ。黙って湖を見下ろしている。
 僕も湖を見る。湖面は変わらず光を反射して美しく輝いている。穏やかな日だった。
 
 と、いうのが数年前の話。曖昧な記憶を掘り起こしつつ、これを書いている。あまり父の話を信じていなかったのでこれを機に調べてみたんだけど、概ね真実らしかった。
 
 苫田ダム、ダムのために沈んだ町。町の名は奥津町という。
 数十年をダム建設反対に費やして、結局、敵わなかった。結果、約五〇〇世帯が別の町に移住することになった。故郷を失った者もいるだろう。いや、ほとんどがそうか。しかもコストをかけて開発した割に活用しきれていないらしい。何のために作ったんだか。
 
 思い返しても、観光地と化した湖に悲しさは微塵も香っていなかった。脱臭、という言葉が不意にポップアップしてくる。きっとどこかに説明はあったのかもしれないが、僕の頭には残っていない。残っているのは父の言葉だけだ。父の言葉が無ければ、それこそ行ったことすら忘れていたんじゃないか。
 帰れなくなった人たちは今でも忘れていないのに、だ。
 
 知らないとは罪か。と思う。おそらく、罪ではない。じゃあ遠い記憶だから忘れてもいいのか。それは違う。
 こういうとき、僕は『それでも事実は横たわっているから』と表現するようにしている。事実が横たわっている限り、無視をしてはならない。知ってしまったら、忘れてはならない。覚えているなら、語ったほうがいい。
 できることはそれぐらいしかないのだから。


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