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波戸錦が波戸錦で有るために。

あなたがどうやって
この記事に辿り着いたのかはわからないが、

まず、なによりこれだけは言いたい。


ありがとう。


「いきなりなんだよ。水臭いな。」
「記事読んだだけで感謝とか意味不。」

と思われたかもしれない。


でも、考えてみてほしい。


現代には、数えきれないほどの
情報が山ほど転がっている。

Googleで検索すれば大量の情報にアクセスでき、
Youtubeやtiktokで見たい動画が見れて、
好きな本や映画だって好きなだけ楽しめる。


そんな現代の情報社会で、
この記事に辿り着き、
読もうと思ってくれた

画面の向こうのそこのあなたに
まずは感謝を伝えたい。


「有り難う」

この言葉こそが今回の話のテーマだ。


あなたはどうやって
この記事に辿り着いた?


私の名前を検索して出てきたのかもしれない。
noteのおすすめに上がってきたのかもしれない。
友人から勧められたのかもしれない。


どんなワケにしろ、
有り難い。

有り難いという言葉の意味通り、
有ることが難しい。

あなたが
わたしが

この世に存在していること自体が、
めったにないような奇跡。


ここではそんな話がしたい。
壮大で深淵なこの宇宙について
あなたと話したい。


・・・ちょ、ちょっと壮大過ぎない?

と、ツッコミたくなる気持ちはわかる。


けど、

ここまで読んでくれている
あなただからこそ話したい。

今日だけいいですか?

・・・


思いを馳せながら、
ゆっくり考えてみてほしい。


138億年前に宇宙が誕生し、

46億年前に地球が生まれ、

2億年前には恐竜がいて、、、


200万年前に人類が生まれ、

マンモスを狩ったり、
道具を作ったり、
火を使ったり、
人間同士争ったり、


その後、

長きにわたり信仰中心だった時代を経て
中世ヨーロッパではルネサンスが起き、
科学の知が促進されていった


日本では
武将同士争ってはお城を築き、
長いこと鎖国して独自の文化を発展させ、


他国では蒸気機関が発明されては
瞬く間にコンピュータやインターネットが生まれ

いつの日か世界は

今の形に進化を遂げた。

そんな歴史の中で我々人類は、
生まれては
死んでいき
をひたすらに繰り返してきた。


ほど遠くなるような
長いながい歳月を経て、

今、地球のどこかで、
わたしとあなたは生まれた。

そして
人生を送っている。


母から生を授かり、
歩けるようになり、
話せるようになり、

学校いって、
社会に出て、
働いて、
家族ができて、
老いていき、

いつの日か、この世を去っていく。

せいぜい100年ぐらいかな
わたしたちの人生は。


これって、
138億年の宇宙から見れば

まばたきをするような
ほんの一瞬の出来事

気の遠くなるような時間の果てに生まれた奇跡のような一瞬。


私たちが生まれる前の人たちも
それぞれの人生を送っては、
死んで、新たな命が生まれて、、
を、繰り返してきたはず。


そんなせわしない世界の中で、
あなたとわたしは生まれた。


そして今この瞬間だけは、
あなたとわたしは
対話している。

この記事を挟んで、
あなたとわたしは
お話ししている。


幾度とない人の数。
膨大な情報の中で、
あなたはこの記事を見つけ、読んでいる。

ここまで読み続けている。

「はて… こんな奇跡があるだろうか」

そもそも、生まれてきたこと自体が、

奇跡であり、

今日、この時代に、この瞬間に
私たちが生きているのが奇跡
としか言いようがない。


そしてなによりも、

あなたとわたしがここで出会ったことが、

超絶に偶然である。

奇跡が数々起こっている世界で
偶然にも出会ってしまった。


ちなみにわたしは今、
机の上のPCに向かって
キーボードで文字を打ち込んでいる。


あなたと対話がしたくって
この話がしたくって

どうすればあなたと
心の底からお話しができるのか
を考えながら。

あなたに思いを馳せ、
適切なキー配置に指を動かし、
丁寧にキーを押し込んでいく。


PCの画面には、
文字が浮かび上がる。

またこうして文字が1つひとつと。


そうして書いた文字をインターネット
という世界に放り投げた。


放り投げられた文字は
あなたの頭から胸にまで届き、

心の中でわたしと対話している。

そんなことを想って...


時間と空間を超えて、

あなたとわたしは、

こうして出会い、つながった。


しかし、

なぜ、あなたとわたしは
つながってしまったのだろうか。


あなたとわたしがこうして出会うのは、
広大な砂漠の中からダイアモンド
を探すぐらい難しい。

稀有。



そんな偶然がなぜ今、
目の前で起こっているのだろうか。

・・・いったいなぜ?



もし、
わたしが、
あなたが、
この世に存在しなければ、
つながることはなかった。
話すことすらできなかった。


でも、あなたはこうして文字を読んでいる
ということは、

どうやら
あなた存在している。

わたしもこうして文字を書いている
ということは、

どうやら
わたしは存在している。


これは、

邂逅。

「思いがけない巡り合い」
である。


地球上に存在し、日本語が読める
人間同士での巡り合い。

(もしかしたら翻訳して読んでいるかもしれないね。)

あるひとりの人間と人間が
いまここで、巡り合った。



そして、
これこそが、

縁起であり、ご縁。

と呼ぶべきだろう。


あなたが誰なのかは
わたしにはわからない。

でも、こうしてつながったということ
その偶然であり奇跡の一瞬が
わたしにとってものすごく尊い。




壮大で深淵な宇宙。

気が遠くなるような長い歴史。

数多の人々。

思いを馳せても馳せきれない。

それがこの宇宙の偉大さであり神秘。

荘厳な美しさ。


そんなことを
身体で感じながら
あなたとの、ひと時に意識を集中させると、
感謝の念が溢れ出してくる。


とはいえ、こんなこと言いつつも、

わたしは普段フツーに生きている人間で、

さっきまでは、
きれいな雲ないかなーって空見上げては、

朝飲んだコーヒーで舌火傷。
ザラザラ感残ってて気持ち悪っ。て。

と、まぁ、
なんでもない日常を生きている。


あなたは、今、どこで、何をしている?

これを読みながら、何を感じている?


・・・


ちょっとここで、
わたしの話をさせてほしい。


良いのか悪いのか
わたしは珍しい名前で生まれてきた。

波戸錦(はとにしき)


苗字も名前も珍しいかもしれない。

これまで同姓同名の人を
聞いたことも出会ったこともない。
Googleで検索してもまあヒットしない。


わたしはSNS世代ど真ん中で育った人間なので、
SNSやインターネットに投稿するのは
息を吸って吐くように自然な行動なわけで。

最近も、Instagramのストーリーで
どーでもいーよな5秒ぐらいの動画をUPした。
友達が見てくれて、「わーい」くらいのテンション。


でも、実名でネットに何か発信するのって、
なんかこう、裸で街を歩いてるみたいな
恥ずかしさ・気まずさがある。

え、わたしだけ?

わたしの場合、同姓同名がいないから、
本名で検索されたら即出てくる。


デジタルタトゥー
って言葉があるように、
インターネットにUPした情報は消し去りにくい。


だから、安易なこと投稿しにくいわけ。


「今日空見上げてたら、うんこ踏んじゃってさ。
まーじだるかったー。上司もうざいし。」

なんて、実名でインターネットに書き込んだとして、
それが誰に見られるかなんてわからないし、
最悪、大事な人から距離を置かれるかもしれない。


そんなことを考えると、
実名で投稿することに
メリットなんて1ミリもない。

それなら、鈴木太郎みたいなありふれた名前で
ヒソヒソとつぶやくような人生の方がラク。


じゃあ、偽名使って投稿すればいいのでは?
→確かにそう


でも、

ここからが、自分の変なところでさ、

この名前で生を授かったことに、
何かこうなんだろ、、、

ちょっとした使命感みたいなものがあるわけ。


自分の心の中で渦巻いている、
壮大でちっぽけなことを
時空間を超えてあなたに残したい。
それもこの名前を通じて、どこかの誰かに。


と思った今日のわたしは、
思い切って決心した。
実名で投稿しよう。と。

しかも、本名まるごとタイトルにしよう。と。
そして、あなたと心から対話をしよう。と。






わたしに1つだけコンプレックスがあるなら、
波戸錦という名前だ。
でも、1つだけ武器があるとするなら、
波戸錦という名前である。

とか、カッコつけて言ってみたい。
(・・・いや、もう言ってるやん。)

聞いてくれてありがとう。


・・・で、なんの話やっけ?

つまり、こう。
実名を使って、
インターネットにこの記事を投稿する。
というリスクをあえて負うことにした。


なぜか。


あなたに、
この記事に辿り着いもらうため。

あなたとわたしが対話することに
めちゃくちゃ意味がある。
と心の底から思っているから。

である。


どうやらわたしの心の中では、
フツフツと湧き出てくるなにかがあるみたい。

過去の自分の人生を振り返ってみて、
あらゆる場所で数々の人と出会い、
濃い経験もたくさんしてきた。

時に最高の思い出があれば
もちろん最悪の時だってあった。

あなたもそうだろう。

でもやっぱり、

人生は思い通りにコントロールできない。
ようになってるよね。


あなたも、
同じような人生を歩んでいるはず。


悲劇も喜劇もあって、
甘酸っぱい人生を歩んでいるはず。

そして時に、
だれに相談しても解決できるはずのない、

無理難題な課題
を宇宙は私たちにぶつけてくるし。笑


それでも時は流れるわけで、

わたしがわたしであることに変わりはない。
あなたがあなたであることに変わりはない。


だって不思議なことに、
来る日も来る日も。
寝ても覚めても。

今日という日まで
わたしは波戸錦だった。


波戸錦
としての人生を送ってきた。

たぶん明日だって
波戸錦をしているだろう。


・・・あなただって同じでしょ?


・・・でも。
いつか、この人生は終わる。
たった1度しかない
この人生が。


どこかのタイミングで
終わりを迎える。

だからこそ。
だからこそ、わたしは覚悟を決めた。

・・・

結局なにが言いたいかって。

わたしがわたしであるために、
わたしはわたしをする。

あなたがあなたであるために、
あなたはあなたをする。






いま、あなたは、
ここに、ある。

ある。


わたしも、いま、
ここに、ある。

ある。


わたしは波戸錦として
有るために、

今日という1日から
波戸錦を
はじめる。

二度とない道がある。

わたしはその道をただ歩む。

特別なことは何もない。

一本の道を歩み続ける。


あなたと今日
話せてよかった。

有難う。


🧘🪐

私は、壮大な時間と空間の広がりを
目の前にしている。

そこには、何もない。
ただ、真っ暗な虚無の空間。

その中に、ひとりきりで立っている。

そこには、
私もいない。
あなたもいない。

ただ静寂があるだけのその空間で、
ひとつの大きな、大きな鏡を見つけた。

私は鏡を覗き込む。

そこに映ったのは、

あなた?
それとも、私?

いや――

それは、
セカイのようなものだった。

・・・そう、確かに見えたんだ。

ハトニシキとセカイ

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